砂のお城と知りながら今日も積み上げていく

 ヒーローっていうのは物語の主人公で時にかっこよく、時にどんくさい存在だ。

 そしてなにより悪を滅ぼしてくれる。

 もし居るなら今すぐ俺の横に現れてほしいと思う。

「てめぇどこ見て歩いてんだよ!」

 俺はゲームの中でも運が悪いみたいだ。武器やに向かう途中、ただ歩いていただけなのになにかによろけて軽く肩が当たった相手はものすごく短気で俺の胸ぐらを掴み上げた。

 ヤかマの付く職業についてそうな男はサングラス越しでも怒りを顕にしているのが分かった。こんなことで、と思わなくもないけど言えば確実に歯が1本逝く。いや1本ですめば軽い方かもしれない。

 とにかく武器も何も持ってない俺には今にも顔に落とされそうな拳を止める手段はない。手でも止められそうにないし。

「おら、ぶっ死ね!」

「んっ! ……あ、れ?」

 男が叫ぶと同時に鼻の骨が折れるのを覚悟で目を瞑った。このゲームに骨が折れるという概念があるのかは分からないけどそれほどの覚悟だった。

 しかし、待っていても全然痛みは来なくて「もしかして痛覚の概念が無いのか!」と思って目を開けると怖い男の顔ではなく茶色い髪が目の前に広がっていた。

 向こうを向いているから顔は分からないけど胸ぐらを掴まれている俺より少し高い。

「弱い者いじめは良くないよ。もっと人生まったり生きよう」

 茶髪の男はヤさんのパンチを受け止めたとは思えないおっとりとした声を持っていた。男としては少し高めの声で女の声優さんが声を当ててそうな声だ。待て、俺は何を言っているんだ。

 茶髪男はヤさんの手を離すと振り返って俺に微笑みかけた。男は結構な美形で100人中500人はイケメンと言いそうな顔立ちだった。目にかかる前髪の一束が黄色くなっていて俺とキャンディナと合わせれば色材の三原色だ。

 ヤさんは茶髪男の言動にイラついたのか腰に下げていた剣に右手を伸ばした。しかしその右手を茶髪男が掴み、捻って床に押さえつけた。

「お兄さん、街中で剣を抜くなんて物騒です。やめてください」

 さっきと同じおっとりとした声で言う茶髪男に少し背筋が寒くなった。怒っているのかただの注意なのか俺には全く分からない。それぐらいこの男は表情が薄い。

 ヤさんは「くそっ!」と捨て台詞を吐いて広場の向こうまで走っていった。

「もう大丈夫。怪我はない?」

 茶髪の男が再び振り返って俺に笑いかけてきた。笑顔のせいかさっきよりはやさしい声に聞こえた。おっとりさは変わらないけど。

「平気。助けてくれてありがとう」

「当然だよ。か弱い女の子は守りなさいってずっと言われてたから」

「かっ……」

 何の悪意もなく言われると怒りは沸いてくるけどそれを目の前の男にぶつけてやろうという気にはなれなかった。自分のやさしさが恨めしい。

「か弱い女の子、ね」

「笑うなよ」

 笑いを我慢するようにキャンディナが俺に囁く。こいつにも怒りが沸くけどこいつの前でキャンディナを殴ると後が怖そうだ。

「ちょっと待ってて」

 俺は広場の外れまで歩いて行って奥にそびえる一番の大木に思いっきり拳をねじ込んだ。地響きのような大きな音が鳴り響いた瞬間、しばらく静寂が続いた。その後ゆっくりと拳を木から離してキャンディナのもとへと戻っていった。後ろで大きな音と超音波ばりの悲鳴が聞こえたけど多分巨大なアリでも出たんだと思う。俺にはきっと関係ない。

「キミ強かったんだね」

「俺もびっくりしてる。あと、俺は男だ」

「ああ、やっぱり?」

 俺のことを女扱いしたくせに男だといっても全く動じない。ああ、殴りたい。

 怒りの感情に堪えていると後ろから足音が聞こえて俺の横で砂埃を上げながら急停止した。

「君はなんてことをしたんだ!」

 突然現れた緑髪の男は茶髪男とは正反対に怒りの感情を剥きだしで俺に叫びだした。

「どうしてこう人間は自然を台無しにするんだ! 現実ではないにせよ木を傷つけることは許さない!」

「わかったわかった悪かったって……はあ、もう。この世界は野蛮すぎる。肩ぶつけただけで喧嘩売られたり木を殴ったら怒られたり。ああ、でもこれは向こうでも…………」

 俺はその先の言葉が出てこなかった。向こう、がこの世界じゃないことは分かってる。この世界はゲームで俺が起動したゲームの中。それは分かっているのにさっきまで鮮明に思い出せていた元の世界が今は少しずつ霞んできている。

「どうしたのダスト」

「俺、わからない……」

「ダスト?」

 膝から崩れ落ちる俺にキャンディナがゆっくりと駆け寄った。

「どんどん、記憶が薄れていく……さっきまで父さんと母さんの顔も鮮明に思い出せたのに…………」

「本当のこと、みたいだね……」

 もう、なにがなんだかわからなかった。頭の中にある記憶の断片をかき集めようとしても掴んだ瞬間に壊れてしまう。

 ――まるで初めから何も無かったかのように。

 ポタ、ポタと地面にしずくが落ちた。地面の雫を指でつつくと指先がほんのりと湿った気がする。

「はは、この世界でも涙って出るんだな……」

 俺は静かに目を閉じた。

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