チャンピオンベルトを見せろ

「いつまでそうやってるわけ?」

 チュー・トリアルから落とされて地面に叩きつけられる衝撃を背中に受けてからずっと空を眺めていた。過ぎ行く人、流れる雲。全てがゲームの中にある物体でしかないのにどれも現実と大差がない。

 そんなことを考えていたら誰かに声が掛けられた。声色からして女性だろう。

「10分くらい?」

「ううん。12時間35分17秒。18秒、19秒……」

 そのままずっと秒数を数え始めたので仕方なく俺は起き上がることにした。

「12時間36分31秒。目を開けて寝る選手権があればチャンピオンじゃないかな」

「ならチャンピオンベルトとともに現実に返してくれ」

「…………君っておかしなこと言うね。あんな世界に帰りたいの?」

 不思議そうな顔で俺のことを見ている。といってもフードを深くかぶっているから表情はおろか相手が本当に女かどうかも怪しい。

 俺は相手のことを気にすることなく叫ぶ。

「だって……こんな世界に閉じ込められたんだぞ! こんなゲームの世界に……俺は、ただ面白そうだなってゲームを買っただけなのに。こんな仮想の存在にされて…………もうパパにもママにも会えないんだぞ!」

「君って親のことパパママって呼ぶんだ」

「お前俺の話ちゃんと聞いてんのか!」

 へらへらという声を出すこの女にすごく腹が立つ。

 ある程度笑うと目の前の女は急に口を引き締め、俺の目を見た。その時初めて相手の瞳をしっかりと確認できた。

 俺は女の切り替えの早さにちょっとした恐怖も感じた。

「ねえ、君は本当にあの世界に帰りたいの……?」

 あまりにも真剣な顔をするからどんな重い話かと思えば馬鹿な問いかけだった。

「当たり前だ! お前だって帰りたいだろ!」

「私は思わない」

 女はぱっさりと俺の言葉を否定し立ち上がった。

「ねえ、氷河期って知ってる?」

「うん。地中が氷付いていた時期のことだろ?」

「そんな感じ。それがね、今の地球に近づいてるの。いや、正確にはもう片足くらいなら氷河期に入ったわ。あなたがチャンピオン記録に挑んでいる間にも地球は少しずつ氷の星へと変化している。厳選された優秀な人類は火星へ、私たちみたいに仮想を選んだ人はここへ旅だった。そのどちらも選ばなかった人類は絶滅までのカウントダウンを静かに待っているわ」

 女の話は9歳の俺には酷く重くて辛い話のはずだった。それなのにどうしてか俺はその話を受け入れてしまっている。学校の先生も「氷河期がまた来ちゃうかもな!」なんて冗談を言っていたし、思えば母さんも俺がこのゲームを買うのに大げさなくらい喜んでいた。

 全部、何気なく思っていたことなのにどうしてか今は全てがつながった気がする。興味をそそるCM、誰でもプレイできる環境、全てが全部人類を救うためのものだった。

「それでもまだ外に出たい?」

 俺は俯いたまま静かに首を振った。確かめる術は無くても現に俺はゲーム世界の中に入り、理想も交えた肉体を手に入れた。さっきの女の言葉を疑う方が大変だ。

 俺の気持ちを察してくれたのか女は静かに俺の横に腰を下ろした。

「なあ、一つだけ教えてくれ」

「ん、私にわかることならなんでも」

「俺は、誰なんだ……」

 ずっと思っていたことだった。9歳のくせに大人びている思考、自分じゃない見た目、仮想の存在。だとしたら俺は本当に俺なんだろうか。実は俺以外が俺の意思を動かしているような、そんなことも考えてしまう。

「その答えは自分で見つけなきゃ。ただ、あなたは独りじゃない。一人で不安なら私が一緒に行く。助けてほしいなら手を貸してあげる。だから、そんな泣きそうな顔をしないで」

 俺は自分がどんな想いでいたのかようやくわかった。不安で怖いんだ。理解はできても納得できないみたいな。

 このゲームで生きようと思ったけどそれが怖くないわけじゃない。

「どうして君は俺なんかにやさしくしてくれるんだ」

「そうね…………君がこの世界で残された旧人類、だからかな」

 女はフードをめくって顔を晒した。思っていたよりもかわいい顔にエメラルドブルーの髪。右側の束にだけマゼンタ色に染まった細い髪が揺れていた。

「さて、じゃあ行こうか!」

「行くって、どこに」

「決まってるじゃない。この世界はVRMMO。武器を調達したり装備を整えたり色々あるでしょ」

 俺は女、キャンディナに手を引かれてたくさんのお店に向かった。武器を用意するにも自分に合った武器を考えることから始め、そして武器を作ろうにもお金をもってないことに気が付いた。

「どうして武器を作るために金集めから始めなきゃいけないんだ。お金集めるための武器がないんだってのに」

「君さ、ゲーム初心者のわりにゲーム脳してるよね」

「でもVRMMOってそんなもんだろ? ゲームだとカバンが無限の収納スペースでさ」

「まあね。そういえばこの世界だとお金はクリプトンに入ってるよ。初期の金額でもまあまあの金額があった気がするんだけど……それでも足りない?」

「えっ?」

 俺はポケットに入っていたクリプトンを取り出して時間とともに表示されている『モノン』がこの世界のお金らしい。俺の所持金は100,000モノン。

 初期の所持金としては破格じゃないだろうか。

「あと、ゲームで言う『メニュー画面』はほぼ全てクリプトンで賄えるから……ってどうしたのその顔」

「いや……そういうのは先に言っておけよ!!!」

 俺の悲痛の叫びは誰の胸にも届くことなくこだましていった。

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