第二話

敷島しきしま


 その日の終業時間まぎわ。隊長に声をかけられた。


「はい!」

「お前に、今日から演習が終わって駐屯地に戻るまで、アヒル隊長を風呂におつれする任務を命じる」

「はい?!」


 いきなりの命令に、返事をする声がひっくり返る。


―― 隊長、いま、風呂と言ったか? ――


「復唱はどうした、敷島」

「あの、隊長、よろしいでしょうか」

「なんだ」

「野外なので、アヒル隊長が汚れるのはわかります。でしたら毎日、そこの水道で洗えばよいのでは?」


 建物横にある水場をさすと、隊長が正気か?と言わんばかりの顔で、俺を見た。


「お前、アヒル隊長をそこいらの水道で洗うつもりか?!」

「え? 水道水だけではダメなら、アルコールの除菌シートで拭く、とか?」

「除菌シート!」


 駐屯地内のコンビニに、除菌用のウエットティッシュが売られていたよな、と思いつつ提案をする。するとその場にいた全員が、首を横にふった。


「え、ダメ、なんですか? 風呂で洗うより清潔になると思いますが」


 自分なりに考えて提案したつもりなんだが、どうやら正解ではなかったらしい。


「敷島。お前、わかっているのか? アヒル隊長だぞ?」

「はい。もちろん洗う前に、ブラシでホコリと泥をこすって落とします」

「ブラシで! こする!」


  今度は隊長の声が裏返った。


「ぬいぐるみなら、もみ洗いも可能でしょうが、アヒル隊長は固いビニール製ですし。ああ。中性洗剤なら色落ちする心配もないと思うので、使ってもよろしいでしょうか?」

「中性洗剤!!」


 隊長が天をあおいだ。なにか飛んでいるのか?とつられて空を見あげる。


「あの、なにか問題でも……?」

「大ありだ、ありすぎて開いた口がふさがらん。とにかくだ、ブラシでこするな。除菌シートも禁止。中性洗剤でもみ洗いなんぞ、言語道断ごんごどうだん。普通に風呂にいれろ。赤ん坊をいれるように優しくな」

「自分は未婚なのでわかりません」


 正直に告白をした。


「親戚や兄弟でいないのか」

「いまのところ赤ん坊の入浴には遭遇したことがありません。昔、捨て猫を風呂にいれましたが、おもいっきり腹を引っかかれたので、その手の動物もいれておりません!」

「ほこらしげに言うな……」

「申し訳ありません!」


 隊長は額に手をやって溜め息をつく。


「とにかくだ。今日からお前がアヒル隊長を風呂にいれろ。優しく洗え」

「そもそも、どうして自分がアヒル隊長の風呂係なんでしょうか」

「お前がこの偵察隊で一番の新参だからだ。だいだい、アヒル隊長のお世話は新参の隊員がすると決まっている」


―― それ、マジなのか? 口から出まかせじゃ? ――


 そんな言葉が頭に浮かんだが、口にはしなかった。



+++++



「でも良かったじゃないか、敷島」

「なにがですか」


 風呂の時間、頭を洗っている先輩達に声をかけられた。


「アヒル隊長の風呂タイムのおかげで、普段の倍の入浴時間をもらえるんだから」

「倍も風呂にいたら俺、のぼせちゃいますよ」


 湯船につかりながら、プカプカと浮いているアヒル隊長を指でつつく。


「しかも、アヒル隊長専用シャンプーてなんすか」


 風呂桶には『アヒル隊長専用』と大きく書かれたボディソープの容器。これも隊長から渡されたものだ。


「しかたないだろ。代々の伝統なんだから」

「それって、いつからなんすか」


 俺の質問に、泡だらけの頭がいっせいにかたむいた。


「はて。少なくとも俺が入隊した時にはいたぞ、アヒル隊長」

「かなり前の写真にも写ってたぞ、アヒル隊長」

「俺、アヒル隊長の風呂係したぞー」


 何人かが手をあげる。


「それ、新参の俺をかついでるんじゃないですよね?」

「まさか! だってアヒル隊長だぞ? 偵察隊の守り神なんだからな」


 小火器の整備をしている部屋の奥から、アヒル隊長をおつれした時のことを思い出した。おつれした武器科の隊員がつまづいてアヒル隊長が飛んだ時、その場にいた偵察隊の全員が慌てふためいたのだ。たしかにあの様子からして、偵察隊のアヒル隊長への忠誠心というか信仰心は本物だと思う。


「さてと、そろそろ洗いましょうかね、アヒル隊長」


 湯船から出ると、先輩達の横に座った。


「ちゃんと専用のシャンプーつかえよ? しっかり泡立てて優しくな」

「……それ、本当なんすか?」


 何度聞いても胡散臭うさんくさい。


「もちろんだ」

「嘘っぽいなあ……」

「なんだ、先輩の言ってることが信じられないのか?」

「信じるとか信じないとか、そういう次元の話じゃないような……」


 せっけん液を手にとり、泡立てる。まあこうやって、言われた通りにしている俺も俺なんだが。


「しかも直々の隊長命令だぞ?」

「ですからー……」


 泡だらけになったアヒル隊長は、そのつぶらな瞳で俺を見つめていた。



+++



「はあー……のぼせたー……」


 その場にいた先輩達から、洗う作法がどうのこうのと言われ続け、思いのほか時間がかかってしまった。すっかりのぼてせてしまい、頭がくらくらする。来客用スペースの長椅子に座り、タオルで顔をあおいだ。


「おや、敷島ちゃん、お疲れさん」

「どうもー」

「そう言えば、今年のアヒル隊長のお世話係は敷島ちゃんなんだって?」


 コンビニのオーナーさんが俺のところにやってきた。


「そうなんすよー。毎日の風呂も俺がいれるらしくって、もう大変っすよー」

「偵察隊の新参隊員の宿命だねえ。お世話係の初日、お疲れさん。はい、これ。僕からのおごり」


 そう言って、オーナーさんはコーヒー牛乳を俺にさしだした。


「あ、俺、いま財布もってないんで」

「なに言ってるのさ。おごりだって言ったろ? もちろん、初日だけのサービスだよ。明日からは、自分の分は自分で買うように」

「あざーっす」


 ありがたくコーヒー牛乳を飲んでいると、オーナーさんは、風呂桶に鎮座いているアヒル隊長を座面に置き、その前に氷水の入った小さな湯飲みを置いた。そしてアヒル隊長の前で、うやうやしく頭をさげる。


「隊長さんには氷水。明日もお風呂のあとは、ここにおいで。ちゃんとお水をお供えさせてもらうから」

「まさか、商売繁盛しょうばいはんじょうとか言いませんよね?」

「まさか! 総火演で偵察隊の皆が怪我しませんようにっていう祈願だよ。バイクでジャンプするんだろ?」


 そのジャンプ台の下に、全国の駐屯地からやってきたアヒル隊長用の祭壇が作られるのだ。俺達はその上をバイクで飛ぶことになる。


「まさかコンビニでまで、そんなしきたりがあるなんて」

「まあ、気持ちってやつかな。お客さんである敷島ちゃん達になにかあったら大変だからね」

「しばらくお世話になります」

「いやいや。僕もひさしぶりにアヒル隊長に会えてうれしいよ」


 次の日からコーヒー牛乳は自腹と言われていたんだが、なぜか部隊長からのおごりだとか、駐屯地司令からのおごりが続き、結局、自分で払うことは一度もなかった。


 もしかしてこれも、アヒル隊長の御利益ってやつなんだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る