アヒル隊長と愉快な仲間達

鏡野ゆう

第一話

 自衛隊で使われるありとあらゆるものは、すべて税金でまかなわれている。それは訓練で使われている自動小銃や戦車、そしてヘリコプター。そしてそれらに使われている燃料や銃弾も含まれていた。


 そのせいか、事務方の経理関係の職種についている隊員達は、演習の映像を見るたびに、戦車から発射される砲弾や護衛艦から打ち出されるSM-3が、お札の束に見えるんだそうだ。


 そして年に一度、その札束が大量に飛び交う……じゃなくて、陸上自衛隊の訓練の集大成とも言える大規模な演習が、御殿場ごてんば東富士ひがしふじ演習場で行われる。一ヶ月間という長い期間をかけて行われるもので、その日程の中には、広報と軍事的示威活動を目的として、外部に公開されるものもあった。


 富士総合火力演習、通称、総火演そうかえん


 その演習が一ヶ月後に迫っていた。


「一尉、そろそろ御開帳の時間が迫ってきています」


 腕時計を見ながら横にいた、上官の池垣いけがき一尉に知らせると、一尉がもうそんな時間か?と顔を上げた。


「あー、もう三時か。偵察隊の連中がそろそろ来る頃だな」

「はい」

「では皆、作業の途中だが、連中が押し寄せてくる前に、ここを片づけよう」


 それまで、点検するために広げていた自動小銃などを、その場にいた全員で所定の位置に戻し、作業台も一つを除いてすべて壁際へと移動させる。ここは、武器科の私達が火器類の点検や修理をする部屋だ。


 装備品は長いこと使い続ければ、どんなに大事にあつかっても、銃身が歪んだり曲がったりするものが出てくる。それらを修理して、再び訓練に使用できるようにするのが、武器科に所属する私達の仕事だった。


 そして、普段の訓練で使用されている自動小銃や機関銃の整備点検と修理を任務とする私達には、非公式ではあるものの、重要な任務がもう一つある。


 それは、装備品が仕舞い込まれているこの作業部屋の、一番奥にある棚の管理だ。その棚の南京錠がかけられた扉が開くのは年に一度、富士総合火力演習が行われる日の一ヶ月前、午後三時と決められていた。


 そして今日がその日。そろそろ棚の奥にあるものを受け取るために、この駐屯地に所属している偵察小隊の面々がやってくる時間だった。


「来るのは良いんですけど、ここは狭いんだから、代表で隊長だけがこれば良いじゃないですか。なんで全員がゾロゾロやってくるんだか」

「そりゃあ仕方ない。偵察隊にとっては大事な存在だからな、あそこに入っているものは」

「ほんとーに謎な伝統ですよね」


 実のところ、入隊してまだ日の浅い私は、あの奥の棚に入っているものを見たことがなかった。先輩達から話は聞いていたけれど、まさか本当にそんなものがうちの駐屯地に存在しているなんて、いまだに信じられない。


「よくある験担げんかつぎだと思っておけば、不思議でもなんでもないだろ?」

「そりゃそうですけど……いつから始まったんですか?」

「……はて?」

「知らないで続けてるんですか!」


 思わずツッコミを入れてしまった。


 まあ確かに護衛艦には神棚があるっていうし、こんな時代だからこそ、神頼みとか験担ぎというのは大事なのかもしれない。だけどここにあると言われているものは、どう考えても「神頼み」とは程遠い存在に思えるわけで……。


 そうこうしているうちに、廊下でザワザワと人の気配がしたかと思ったら、偵察隊の面々が入ってきた。とたんに部屋が狭くなった気がする。もうすでに窒息しそうな気分。窓を開けておけば良かった。


「あの、なんで皆さんあの格好……」

「あれも験担げんかつぎだから」

「えー……」


 全員が、普段の作業着ではなく迷彩柄の戦闘服だった。制服ではなく戦闘服というのがまた謎な現象だ。


「なにもかもが験担げんかつぎなんですか?」

「そうらしい」

「らしいって……」

「俺だってアレの管理を任されているだけで、実際のところのしきたりはまったく理解できていないからな。アレの取り扱い方は、偵察隊の人間でないとまったくわからん」


 そんな一尉の言葉に、偵察隊を束ねている有澤ありさわ一尉が反応する。


「おい、池垣、アレとはなんだアレとは。アヒル隊長と呼べ」

「分かった分かった、アヒル隊長な。さっさと連れていけ。お前達がここにいると、こっちの仕事が進まんだろうが」


 一尉がうるさそうに手をヒラヒラとさせた。


「うるさい。隊長をおつれするにも色々と手順があるんだよ。お前は黙ってろ」

「管理しているのは武器科の俺達だぞ」

「やかましい」

「おつれする手順……」


 そんなものまであるんですか?と一尉の顔を見上げる。てっきり、鍵を開けてさっさと持っていくだけだと思っていたのに、どうやら私が考えていたよりも、ずっと大掛かりなことらしい。


「もしかして新人か?」


 有澤一尉が、私のことを見下ろした。


 入隊する前は、陸自の隊員は意外と小柄な人が多いって話を聞いたことがあったけど、あんな話は嘘っぱちだってことがここに来てよーく分かった。だって今ここにいる偵察小隊の人達なんて、大男ばっかりなんだもの。本当に噂って当てにならない。


「ああ、そうだ。そう言えばあの棚から出すのは、うちの人間だったな。初瀬はつせ、今年はお前が隊長をおつれしろ」

「はい?!」


 いきなり話を振られて飛び上がった。なんで私が?!


「あの、そういうのって、験担げんかつぎをする偵察隊の誰かが取り出すのではないのですか?」

「取り出すとか物みたいに言うな。ちゃんと〝おつれする〟と言え、相手はアヒル隊長だぞ?」

「えー……?」


 冗談で言っていると思って一尉の顔を見上げれば、真面目な顔をしてこっちを見ている。これは本気の顔だ……。


「池垣一尉……」

「おつれしろ」


 こっちも本気の顔だ。


「分かりました。えー……アヒル隊長をおつれします」


 一尉はよろしいとばかりにうなづくと、南京錠のカギを私に差し出した。少なくともそのカギは、見た限り何処にでもあるようなカギだった。


「……」


 私は偵察隊と武器科の皆が見守る中、棚の扉にかかっている南京錠を開けた。そして南京錠と鍵を横に置くと、観音開きになっている扉を開ける。


「……本当にいた」


 そこには、朱色の座布団に鎮座している黄色いアヒルがいて、大きな目でこちらを見つめていた。何か特別な仕掛けでもあるのだろうかと、横からのぞきこんでみる。どう見ても何の変哲もない、よくお風呂にぷかぷか浮いているあのアヒルだ。


「あの……」

「頭をつかんだりするなよ。ちゃんと両手で座布団ごと持ち上げて、こっちにおつれしろ」


 もうなんて言うか、目の前のアヒルと一尉達の口調のギャップに、変な笑いが込み上げてくる。


「か、可愛いですね、アヒルの隊長さん」

「可愛いとはけしからん。我が偵察隊のアヒル隊長だぞ」


 その一尉の言葉に、たまらずブホッと吹き出してしまう。駄目だ、来年からはできるだけ、この場にいないようにしよう。とても笑いを我慢できそうにない。咳ばらいをして何とか笑いを引っ込めると、両手でうやうやしくアヒルを持ち上げた。


「えーと、どこにおつれすれば……」

「こっちだ」


 小隊の小隊長さんらしき人が前に進み出る。その場にいる全員が、真面目な顔をしているんだから信じられない。どうして誰も笑ってないの? どうかんがえてもおかしくない? アヒルちゃんだよ、アヒルちゃん。


 そんなことを考えながら歩いていたのがまずかったらしく、何故か足がもつれて前につんのめってしまった。とたんにあちらこちらから「あああああっ?!」と声があがる。そしてアヒルを受け取ろうと前に出てきていた小隊長の三尉さんが、慌てた様子で両手をこちらに差し伸べてきた。


 ……でも、その目は間違いなく、私ではなくアヒル隊長を見てるよね?


 そして、けつまづいた私の手から離れて宙を飛んだアヒル隊長を、三尉さんは見事にキャッチした。その瞬間「おおおおお」って変な溜め息があちらこちらで起きる。


「おい、初瀬、なんでよりによって今そこでつまづくんだ」

「知りませんよ、私だって好きでつまづいたんじゃありません」


 一尉まで、私よりアヒル隊長のことを心配している様子だ。


「とにかく、アヒル隊長が御無事で何より」

「私の心配じゃなくてアヒルの心配だなんて」

「何か言ったか?」

「いいえ、何も言っておりません!!」


 小隊長の三尉さんが作業台の上にアヒル隊長を鎮座させると、ざわついていた偵察小隊も落ち着きを取り戻したようで、真面目な顔に戻るとアヒル隊長の前に整列した。


「本日より予行演習を開始いたします。本年の富士総火演でも、よろしくお願いいたします!!」


 有澤一尉の言葉の後に、全員が一斉に柏手を打って一礼する。これで一連の儀式?はおしまいらしく、アヒル隊長は、今日から総合火力演習が終了してここに戻ってくるまで、偵察隊と共にすごすとのことだった。えーと、偵察隊を見守るってことみたい。


「なんだかこういうところは、私がイメージしていた陸自とはちょっと違ってます」

「まあこれも験担げんかつぎだから」

「全部それで片づけるつもりですか?」



 ところでこのアヒル隊長、それぞれ日本各地の偵察隊であがたてまつられているとのことだった。つまり、少なくとも一駐屯地に一アヒル隊長ということらしい。


 誰が始めた験担げんかつぎなのか知らないけれど、日本全国の駐屯地で、今日のようなことが行われているのかと思うと何とも微妙な気分になってしまうのは、私がまだ自衛官としての自覚が足りないからなのかもしれない。

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