第32話【エピローグ】

「あなた、あなた!」

「う、ん……」


 俺は誰かに呼びかけられて、思い瞼を開けた。そこは白と淡いブラウンを基調とした品のよい部屋で、俺はベッドに横たわっている。ゆっくりと上半身を起こし、俺の目覚ましとなった女性――恵美の頬に手を伸ばす。


「ああ、おはよう、恵美」

「まったく、寝坊助さんなんだから」


 ふふっ、と笑ってみせた彼女と軽い口づけを交わす。


「お父さん!」

「お父さん!」


 子供の声が聞こえる。二人分だ。


「おう、おはよう、拓海、由香。早いな、皆」

「何言ってるの、あなた。今日はピクニックでしょう? 優実さんのお宅も、もうこっちに向かってるって」

「そうか。よし!」


 俺は頬をパチパチと叩き、ばっと掛布団を払いのけた。


         ※


「はあっ!」


 俺は本当に目を覚ました。どうやら、雷撃砲の瓦礫で頭を打ち、脳震盪でも起こしたのだろう。

 しばし、俺は周囲の状況が呑み込めなかった。菱井少尉は? 子供たちは? 俺の家族はどこへ行った?


 すると、目の前のカーテンがさっと引き開けられ、やたらと体格のいい軍医が入ってきた。


「お身体の具合はいかがですか、石津武也少佐?」

「あ、ああ……」


 夢か。菱井少尉と結ばれ、子供たちに慕われ、優実もまた元気に生活している。これが夢だとは。まったく、神様も性質が悪い。


「頭に軽傷、こちらは後遺症になるようなこともありません。ただ……」

「どうしました?」


 眉間に手を遣る軍医に、俺は問うた。すると彼は、背後に控えていた看護師からタッチパネルを受け取った。


「右足は義足にせざるを得ません。これ以上、少佐が軍務に関わることは困難かと」

「……」


 俺は俯き、冷たいため息をついた。そうか、片足は持って行かれたのか。奴に。

 って、待てよ?


「奴は!? 奴はどうなりました!?」


 突然顔を上げた俺に目を丸くしながらも、軍医は『奴とは、怪獣ですか?』と問いかけてきた。大きく頷く俺。


「少佐が昏睡状態にあったのは三日ほどです。怪獣は、右腕を失って外海に逃れました。最新のデータでは、陸地から離れるような動きで太平洋沿いを回遊中です。陸地が危険なところだと、学習したのでしょう」

「そう、ですか」


 仕留めきれなかったのか。だが、奴も深手を負った。また日本を狙ってくる可能性は低いだろう。油断は禁物だろうが。

 

 そして俺は、もう一つの懸念事項を口にした。


「菱井少尉は? 菱井恵美少尉は無事ですか?」

「弾丸は摘出しました。全力を挙げて手術にあたりましたが、意識はまだ――」


 そう言われて黙っていられるほど、俺は冷静ではなかった。


「菱井少尉はどこです? どこにいるんです?」

「隣の個室ですが……少佐?」


 俺は壁に手を着き、左足でけんけんをするように歩を進めた。軍医が何やら声をかけてきたが、気にしないことにする。

 俺が廊下に出ると、そこは病室の最奥部だった。ということは、すぐ右の部屋が少尉の部屋だ。


「恵美!」


 周囲にどう思われるか? 知ったことではない。


「恵美!!」


 俺は危うく転びそうになりながら、隣室のドアを引き開けた。


「石津少佐!? 意識が戻って――」

「どいてくれ!」


 俺は看護師を跳ね除け、ベッドの上の菱井少尉――恵美を見下ろした。

 揺さぶったり、大声を上げたりするのはよくないだろう。俺は一つ深呼吸をしてから、そっと声をかけた。


「恵美」


 微かな機械音がする。そばのモニターを見ると、心電図が映っていた。それ以外、誰も声を上げはしなかった。


「ありがとう、恵美。君のお陰で、俺は生き残ることができたんだ。だが、もう一つ頼みがある」


 俺はごくり、と唾を飲んでから、


「俺と一緒に、生きてくれ」


 と告げ、そっと唇を合わせた。


 お姫様は王子様のキスで目を覚ます。そんな柄でないことは、俺自身が一番よく分かっている。しかし、そうせずにはいられなかった。何故なら、


「恵美、愛している」


 そしてそっと、血の気の失せた頬に手を差し伸べた。

 次の瞬間、先ほどの夢の中の俺と同様に、ゆっくりと目を覚ました。


「武也さん……」

「俺が分かるのか?」


 微かに顎を沈める恵美。


「だって、あなた以外に人生を一緒に歩んでいこうと思える人なんて、いなかったもの」

「そうか」


 俺は微笑むことはしなかった。顔の表情一つでどうにかなるほど、甘い雰囲気ではなかったのだ。だが、互いの胸中はよく分かっている。一方的にではなく、双方向的に。


 再び恵美の手を取った俺は、そっと手の甲を自分の頬に当てた。測っているわけでもないのに、穏やかな、しかし力強い脈が感じられる。


「ありがとう、恵美」

「こちらこそ、武也さん。これからは『あなた』って呼びますからね」


 俺は、ようやく笑うことができた。同時に、彼女をこの世に残してくれた神に感謝した。


 破壊神を駆逐するために、俺の前に現れた女神。彼女と共に生きていける喜びに、俺はベッドに顔を押しつけ、ただただ泣きじゃくった。


THE END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪獣殲滅デッドライン 岩井喬 @i1g37310

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ