ニューラルの先に::2.4 断末魔

 佳世の部屋が作り終わる直前に酔っ払いは帰ってきた。あたかもタイミングが分かっていたかのような、計算されつくされた帰宅のようにも思えた。いつものプロトコルが使えたらしい。曰く、



「すごくレアなバグにでも当たったのかも」



というのが薫の感想だった。



 まれにしか起きない不具合というのは怖い。また同じことが起きるかもしれない。しかも、どうして起きるのか、という原因がつかめていないのが怖い。



「再現する条件の見当ってついている?」



「全然。マンション、というかここへの転送についてはいくつかのプログラムを利用しているから、どこでトラブルが起きたのか分からないんだよね」



 条件の見当すらできていないから、ここを避ければ何となく安全そう、という根拠のない対策すらできないわけだ。だから恐る恐る転送を試みるという場面が増えるわけだが、よく使っている薫が気にしている様子はなかった。だからいくら富田が改善する方法を考えようと言っても聞く耳を持たないで、佳世の部屋案内を求めるのだった。



「後のことは私がやっておくから、早く案内してあげて」



 応接室に入れば、佳世はモニターを開いて何か作業をしている様子だった。



「すみません、もしかして邪魔してしまいましたか?」



「いええ大丈夫です、ちょっとした仕事を片づけていただけですので」



「部屋の用意ができましたので、案内します」



「随分と早いのですね。もっとかかるのかと思っていました」



 モニターを手で払うとすぐに画面もテーブルのキーボードも消え去った。仮想空間ならではの方法で片付けを終えると佳世は立ち上がった。先ほどまで使っていた机やソファを見てから富田を見る目は申し訳無さそうだった。



「この部屋の物をもとに戻さなければ。応接室なのですよね」



「気にしないでいいですよ。後のことは薫がやってくれるので」



 本人がそう言っていたのだから。



「では、お言葉に甘えて。その、お借りしていたベッドなどは、新しい部屋でも使わせていただけますか」



「もちろん運ばせますから」



「恐れ入ります」



 応接室の部屋を出れば短い廊下だ。扉は応接室以外になく、ただ数歩歩くだけの廊下がある。この場所もエントランスと同じ仕組みだった。廊下でメニューを開けば移動先を選ぶことができて、『転送』することができる。



 薫が転送に失敗したアレである。



 応接室の廊下から移動できるのはマンションのエントランスだけ。佳世を案内するときに気にしていたのは失敗しないことだけだった。ほぼ祈ることしかできない。



 転送先にエントランスを選ぶ指が震えた。



 モニターを押した途端に見慣れたエントランスに降り立つ。あっけない成功だった。びくびくしていた富田には拍子抜けな感覚だった。ちょうどエントランスにいたらしいハイタカと話し込んでいる薫に顔を笑われてしまった。



「どうしてそんな狐をつままれたような顔をしているの? どうせ転送プロトコルのあたりが怖くて仕方がなかったってところでしょ」



 人工知能は人の心が読めるのだろうか。



「先ほどの話ですか」



「そうなんですよ、さっきだってすごかったんですから」



 昨日のことを話し込んでいる薫の調子がいかにも富田の行動をおかしく話していた。富田はとにかくマンションのためを思って発言したのだ、冗談のように話されてしまうと言葉にしたいものが出てきてしまうものだ。



 二人の間を割って入ろうとした矢先、富田の右腕を掴むものがいて邪魔をされてしまった。振り返れば佳世があからさまに具合の悪い顔をしていた。VRモデルだから血が通っていなくても、と思う余裕すらないほど、生々しい具合の悪さ加減だった。



「どうしたのですか佳世さん」



「ここ、本当にマンションのエントランスですか?」



「そうですが、何か?」



「すごく嫌な感じがします。多分寒気と表現すればよいのでしょうか、この感じは知っています。何かおかしなことはありませんでしたか」



 別に隠すことではなかったが、背中からズブリ刺されたかのような衝撃に言葉が出なかった。転送がうまくなったことは佳世に伝えていなかった。薫の言葉から気が付くことなんてできるわけがない。知り得る方法なんてないはずなのに、まるで幽霊を見る能力者のようだった。



「おかしいこと、たしかにありましたが、どうして分かったのですか」



「このエントランス中に嫌な感じが残っているのです。その、あまり思い出したくないのですが、私が私でない何かに冒されたときの匂いがするのです」



「じゃあ、佳世さんがおかしくなったときの」



「ごめんなさい不安にさせるようなことを言って。もしかしたら急な環境の変化で具合を悪くしているかもしれません」



「そう、そうですね、それじゃあまずは部屋に行きましょう。メニューを開いて『七号室』を選んでください」



 佳世が指示に従って移動するのを見届けてから富田も後を追った。部屋の中には当然ものがなくて、下見をしにやってきているかのような状況。今まで部屋の中を観たことがないのだから下見としてもよさそうだが、よくても悪くてもここで過ごしてもらわなければならない。



 よいか悪いか、という感触を佳世から汲みとろうとしていた富田だったが、心配する必要がないと分かってほっとした。彼女の目の輝きようといったら。収納とか壁の質感などを見たあとには『窓』に釘付けとなっていた。



 そう、窓。佳世の部屋の窓からは外の景色が見えるように『見えて』いた。結局のところ味気なさから窓のモデルを用意して、その向こう側に画像を表示することができるようにしているのだが、それが新鮮だったのか。お金をかければ外もVRモデル、ということも可能だったが、繁盛していないショップを経営している男にしてみれば、サーバーの性能その他諸々の事情で画像を貼り付けるのが限界だった。



 佳世は取り憑かれたように見入っていた。



「としくん」



 佳世が何かを口にしたが富田にはよく聞こえず、



「何です?」



と反応したところ、



「あ、いえ、何でもありません」



とはぐらかされてしまう。



「ところで体調はどうですか。ここも嫌な感じはありますか」



「いえ、全くありません。これなら安心できます。ありがとうございます」



 富田としてはこの場でちゃんとした契約書の取り交わしをしようとするつもりだった。適当なテーブルセットのモデルを部屋の中に置いて、そこで維持費やルールを確認して電子署名をもらうのだ。テーブルセットは富田からの選別にして、応接室に持ち込んだものは薫に運ばせるつもりだった。



 テーブルセットをセッティングしているところで、しかし邪魔が入る。何もものがなくて静かな空間に着信音が鳴り響いたのだ。



 ポップアップの形で半透明な通知が視界に現れるのが普通の通知である。ざわざわ音を出して自身の興味を惹くよう設定している理由は、紐づくアカウントの性質を知れば言われなくとも理解できる。



 住人と管理人との間の緊急連絡用。



 着信音が鳴り響いているということは、薫のところでもけたたましい音が鳴り響いているはずだった。あえて耳障りな音にしたせいだ、佳世は耳を隠していた。



 通知に表示されている名前は高田。思い浮かぶのは薫の肩を借りて何とか歩けている様子。介抱した礼であるならば薫だけにメッセージを送ればよいものを。富田に対して送る理由はないはずだった。そもそも、そんな用事のためだけに緊急連絡を使ってほしくない。



 しかし、メッセージの通知が立て続けに鳴り響くのは普通ではなかった。佳世と少しばかり距離を置いて表示を切り替えた。トークの一覧画面が表示されるが、その内容に富田は目を丸くするのだ。隅っこに表示される未読数の見る見る間に増えること増えること。人間ではありえない速度で増えてゆくのだ。



 目まぐるしく未読が増える中、高田からのメッセージを表示するなり、思わず元の画面に戻してしまった。一旦リセットされた未読数がまたたく間に二桁、三桁と増えてゆく。一覧画面に戻したにもかかわらず、画面には未だメッセージが表示されているような気がした。あまりにもおぞましい画面だった。



 部屋の様子がおかしい。何かしましたか?



 何だか変。昨日以上に気持ち悪い感じになっています。何かしましたか? 早く返事ください。



 何かがいる!



 挙動がおかしい、どうして。



 絶対におかしい、何だこれ!



 早く返事して!



 返事!



 おかしい、ウイルス攻撃じゃないのか?



 返事!



 返事!



 早く!



 返事!



 返事!



 答えろ!



 へんfghrtyhせああふぁえ#$$$”#5yw5y6



 そこから先は言葉として成り立っていないメッセージが数百通。言葉だけなのに異様な雰囲気をまとっていて、画面から飛びだしてくるのではないかと思わせるほどだった。



 メッセージは止まらない。



「薫、聞こえるか?」



 メッセージに構っていられない。薫も同じメッセージを見ているはずで、薫も同じく何か感じ取っているに違いなかった。人工知能同士、分かるものがあるかもしれない。



「メッセージだろ? 今高田さんの部屋を閉鎖処理している」



 男の声。薫の男バージョンだった。



「洋は少し待っていてくれ。完全に閉鎖が完了してから中を見て欲しい。バグが原因の問題ならいいんだけれどよ、もし外部からの攻撃だとかウイルス、ワーム、トロイのたぐいだったら、多分俺も正常でいられないはずだから」



「分かった。俺は他の住人の対応をする」



「任せた」



 薫との通信を切った富田の視線は自然と高田からのメッセージに戻る。薫と通信をしたせいで画面が一覧画面に戻っていて、高田とのトークが一番上に表示されている。



 未読の数字が百二十七で止まっていた。薫の閉鎖処置が終わったからなのか。終わったからだと思いたかった。



「どうかしたのですか」



「いえ、ちょっと問題が起きましてね。しばらくここを離れますが、決して外に出ないでください」



「外に出ない、そうですか、分かりました」



「せめて座る場所が必要だと思いますので、一旦はこれを使ってください」



 すぐ取り出せる場所にあったクッションを渡すなり次にするのは住人対応だった。管理者名義のメッセージを住人全体に送った。部屋から出ないように、あるいはしばらくマンションに立ち入らないように。



 メッセージをまず送ってそれからメールを送信すれば、後は管理室の薫に合流するだけだった。富田は迷わず管理画面を広げた。タブを触れた後管理室へ移動するボタンを押した。薫たちを長い旅に陥れた問題のことは頭からすっぽり抜けてしまっていた。



 不具合もなく管理室に到着した富田が見るのは、作業している最中のタンクトップだった。

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