ニューラルの先に::2.3 気持ち悪い

 介抱を終えて戻ってきた薫に設定ファイルの確認を頼めば、十秒かからないでチェックを追えてツールの実行までしてしまった。富田がフラフラになりながら確認をしていた時間はやはり無駄だった。人工知能が正確に組み立てた、妥当性を確認したファイルで実行しているから安心感も強かった。最初から薫を待って薫に任せておけばよかったのだ。



 彼女に言わせれば、



「洋が頑張って見てくれたから十秒で処理を投入できた」



とのことだったが。



 さて、設定ファイルを食わせてツールを実行した後は処理が終わるのを待つだけだが、いかんぜん部屋一つを作り上げるがために相応の時間がかかる。最低でも二時間は待たなければならない。



 鳥さえ鳴かない店内、接客する必要のない富田にとって、ここで薫と住人が飲みに出かけてからの一部始終を聞くのはごく自然な流れだった。



「それで、何があったわけさ」



「最初は普通だったんだよ。高田さんがいい場所を見つけたっていうんで一緒に飲みにいったの。割と近場で、六つぐらいのサーバーを経由したら着くような場所。飲み屋街みたいになっていて、その中の一つがおすすめらしくて」



「それってそういう管理がされている場所なのか」



「あまり考えてなかった。高田さんが知っていたから大丈夫なものだと思っていて。で、飲んでみたら確かに美味しいわけよ。洋の感覚で言えば、「強い酒」とか「甘いのに度数の高い酒」みたいなものがたくさんあって、それがもう手が止まらないくらい」



「それって大丈夫なの? 普通に危ない酒にしか聞こえないのだけれど」



「人工知能はいわゆる「酔う」みたいなことはないから大丈夫。あれはわざとバグらせているだけだから。で、いい気分になっているときに急に高田さんの顔色が変わったんだ」



「変わった?」



「私も説明がしづらくて、どう言ったら分からないのだけれど、高田さんが言うには、なんて言ったかな、『もしかしたら、これが気持ちが悪いって感覚なのかも』って。これ、どういう意味なの?」



「気持ち悪いは、気持ち悪いでしょ」



「人工知能には理解できないよ。ネットの情報を見たところで、私達には胃だとか腸もないし、アルコールを摂取することもないし」



「吐きそうになる感覚は分からない?」



「分からない。吐くってことを現象では理解しているけれども、私の体の中には吐くものがないし」



「ちょっと説明が難しいな。何だろう、口からプログラムの塊がオロロ出てきてしまうような感じなのかな」



「何それ気味が悪い。ホラーじゃない」



「気味が悪い何かが体の中にいる感じ、としたらどうだろう」



「すごく嫌だね」



「まあ、多分、その感覚が近いんじゃないかな」



「じゃあその時の高田さんは相当きつかった、ってことなんだ。へえ」



 生まれて初めて『気持ち悪い』とは何たるかを説明した気がする。そもそも、人工知能が気持ち悪いとは何か理解していないというのが新鮮だった。少し考えてみれば分かるようなものだが、富田にしてみれば当然のものとして考えているものだから、『知らない』と言われてしまうと困ってしまう。人間にとって当たり前なことが人工知能には当たり前ではない。



「で、気持ち悪いって言った後はどうなったんだい」



「かと思ったら動けなくなっちゃって、だから私も慌てて帰ろうとしたのだけれど、そうしたら転送がうまく機能しないんだ。承認エラーで帰ってこれなかったんだ。おかしいでしょ、私がいたのに」



「管理者権限で承認エラーって、設定がおかしくなっていたんじゃ」



「帰ってきてから見てみたけれど、設定なんて全くいじっていなかったんだよ。私だったら自由に行き来できるはずなのに! だからしょうがないから、一つ一つサーバーとか端末を歩いて帰ってきたってわけ」



 薫の言葉を信じれば、マンション側は常に薫のことを受け付けるのが当然だった。にもかかわらず繋がらないというのは確かにおかしい。もしや勘違いしているだけではと思ってマンションのログを開いて時間を辿ってみると、確かに接続エラーの記録が残っていた。



 外部からマンションへの転送が失敗した、薫からの話を聞く分にはその程度の記録だろうと踏んでいた。しかし実際に目の当たりにしたメッセージは全く異なる性質のものだった。



 『不明プロトコルによる接続が試みられました。』



 見たこともないメッセージにあっけにとられてしまう。考えることすら忘れてただただ見つめるばかり。何だこれ。ええと、何だこれ。日本語で表示されているにもかかわらず、意味を理解することができないのだ。いや、言葉は理解できる。不明、プロトコル、接続、試みられました。部分部分の意味は十分に知っている。にもかかわらず、言葉が集まって一つのメッセージを生み出した途端に困り果ててしまう。見たこともない言葉になってしまう。



 とりあえず何も考えないでみよう。メッセージをそのままネットで検索してみるのだ。すぐに応答してくれるものの、ざっと見たところでは役に立ちそうなサイトは見つからない。出てくるものも大抵は、見たことのないメッセージを晒すだけ、というものばかりだった。



 仮想マンションを作るのに使った製品のマニュアルを引っ張り出してきて検索してみても、それっぽいものは見つからなかった。どこにも原因やら対処方法やらの書いていない、未知のメッセージとしかいいようのないものだった。



「このメッセージは見たのか」



「いや、ログはまだ見てなかったんだけれど、何これ」



「俺が聞きたいんだけど。不明なプロトコルって、変な操作をしたんじゃないのか? 『酔った』勢いでいつもと違う方法をやっていたとか」



「誓ってありえない。確かにやっている最中は酔っているけれども、やめればその瞬間に酔いはなくなるんだよ。高田さんみたいに気持ち悪いってやつが続くほうがおかしい」



「じゃあしらふで転送をやろうとしたって言いたいと」



「もちろん、私のライフログを見れば一目瞭然だよ」



 モニタ一面に大きな文字で表示される記録を見れば、ああ確かに、マンション側で変なメッセージが出ている時間帯に薫が普通のプロトコルで接続しようとしている旨が書き込まれている。



 薫は正常な接続を試みているのに、マンションは不明なプロトコルと認識している。どこもおかしくなっているように見える箇所はない。



「これって、今も同じなのかな」



「同じって、転送がうまくいかないってこと? それはすごく困るんだけど」



「ちょっとさ、転送を試してくれないかな。近場を使ってさ」



「確かに。でもやることは再現しないといけないから、また行ってくるね」



「行ってくるってどこに」



「昨日行ってたところ。事象を再現するんだったらそこまで合わせないとだめじゃない」



「そこまでしなくても」



 富田の言葉はまるで聞こえていないかのような素振りだった。よっぽど楽しかったのか、既に顔が緩んでいる。何時間もかけて帰ることを余儀なくされる可能性を忘れてしまった。こいつ、ただ酒が飲みたいだけだ。



 モニターの縁にまで来たらちらり富田を見やって、



「それじゃあ行ってくるね」



と完全にミッションを忘れてお出かけ気分の言葉である。処理が終わるまでまだ時間がかかるとしても、他にやることがあるだろうに。オンラインショップの面倒はどうするのだ?



 端末に呼びかけて薫が戻ってくるのを期待したが既に遅かった。チャットアプリ使って呼びかければ答えてくれるだろうが、既に乗り気な彼女の顔を見てしまうと呼び止めるのも何だか気が引けた。



 椅子の背もたれに寄りかかってモニターを見つめる。見えるものは薫が実行した処理の進捗状況。三割ぐらいが終わったことを示していた。

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