ニューラルの先に::1.4 精算手続き

 ハードディスクといくつかのグラフィックボードを検品してからなお藤田からの連絡はなかった。薫の働きでハードディスクの買い手がつく間でも連絡はなくて、店にジャンク端末を買いに来た中年のおじさんが来た時でも、オンラインショッピングの発送準備をしている時でも。



 藤田からの連絡はなかった。



 薫と約束した時間は既に過ぎていて、後は粛々と決めた手続きを進めるだけだった。現時点のバックアップを取ること。やることそのものは簡単である。藤田の部屋のデータ全体を複製してバックアップサーバーに保存すればよいだけ。操作はウェブの管理画面からワンクリックか、マンションのVR管理室で操作をすればよい。



「結局帰って来なかったな」



 今日の薫は男の姿、管理室の模様替えをしていた。知らないところで拡張モジュールを購入していたらしく、どこに置こうか思案している様子だった。曰く、匿名通信を監視するためのモジュールらしい。匿名通信のノードを腹に抱えていて、どこかから送られてくる接続リクエストを記録するのだそうで。



 薫は薫で、藤田失踪を気にしていた。



「でもさ、どうしてここでバックアップを取ろうとしているんだ? 別にここまできてやる必要もないだろ。ウェブ管理画面からプリセットのバックアップ命令を出せばいいだけじゃないか」



「俺だってそれで済むと思っていたんだ。でも、想定しないエラーが途中で起きて失敗してしまってね」



「あんなの失敗するわけないじゃん。ただコピーするだけでしょ」



「俺もそう思ったから、たまたまかなとリトライしてみたのだけれど、それでも同じところで失敗するんだよ。だから細かいログが出せるこっちに来て試している」



「で、うまく進んでいるのか?」



 計ったかのような言葉だった。薫が声をかけた瞬間にプログラムが異常終了した。待ちに待った異常終了のメッセージを見る時間である。原因が分かれば藤田の部屋を対比できる。



 しかしどうしたものか。エラーメッセージらしいメッセージが何も出ていなかった。見たところ正常に処理が進んでいるようなメッセージが記録されているが、処理が完了するメッセージはなく、唐突に終わる。強制的に処理を止めたかのようにも見えた。



 異常なメッセージがない、一番面倒なパターンだった。プログラムそのものの結果を表す数字にも異常が見られなかった。見たところどこにもおかしいところが見当たらない。いや、おかしいところはあるのだけれども、掴むところがどこにもない。



 一旦腕を組んでのけぞってみよう。少し距離を置いて、少し目の前のミッションを忘れてみよう。ああそろそろ、ハードディスクが買い取り手のところに向かって配送されている頃だろうか。あとは入金を待つだけだ。この手のお金の交渉は薫に任せるに限る。



 現実を見直そうではないか。



 もしかしたらもっと細かい情報が出るように設定を変えてみたら見えてくるものがあるかもしれない。バックアッププログラムの管理画面から設定をいじってリトライを試みて。



「何も出ていない。ログレベルが低すぎて何も出てこないのかも。もっと詳細に状況が出るようにしてみた」



「何のエラーも出てこないっていうのはちょっと不気味だな。もしかしたら不具合なのかも」



「まずはどんな形になるかを見てみよう。それで、設定は終わったのかい」



「後はマンションのシステムに接続すればいいだけ。ちょっと作り込みをしないといけないのだけど、今日は疲れたからいいかなって」



「じゃあこれでも、ってもうおかしくなっている」



 大量のログがモニターを埋め尽くす。始めから辿ってみれば、どうしてだろう、ある時から出力されているものが理解できないものになってしまう。アルファベットと記号と、見たことのない文字がランダムに並ぶ。カオスだった。もっと細かい情報を引き出そうとした矢先、意味の理解できない情報を突きつけられてしまった。



「なんじゃこりゃ。何で文字化けしているんだ」



「ひどいねこれは。もしかしたらログレベルを上げると表示する言語の設定がおかしくなるバグでもあるんじゃないか? でもバグとして報告が上がっているようではないみたい」



「じゃあ未知のバグ? ゼロデイ?」



「いやどうだろう、でも画面に表示する情報って全部英語で出すようにしているよな? ユニコードでしょ? その上で正しく表示できないのなら、別の何かが起きているようにしか思えない」



「でも今回のやつだと、バックアップデータができているみたい」



「嫌な予感がする。やるなら隔離環境の中でテストしたほうがいい」



「空き部屋を使ってやるんじゃなくて?」



「完全に独立したところでやったほうがいい気がする。壊れてどうしようもなくなっても大丈夫なように」



「どうしてそうなるのさ。何か知っているとでも?」



「知らないさ。でも、このログの出方には鳥肌が止まらないんだ。すごくよくないもののような気がする」



「人工知能にも直感みたいなものがあるのか」



「知らないよ。俺の中のニューラルネットワークがそう訴えている」



 理由が分からなくても自分の頭がそう訴えている、勘以外の何ものでもない。でも薫の勘となれば侮れない。オンラインショッピング事業をひらめいて成功させたのも薫の勘だし、本来は人間向けの娯楽用途ぐらいにしか考えていないマンションを野良人工知能を受け入れる『本当のマンション』にしようと言い始めたのも薫だった。



 何か迷うことがあれば薫の判断を尊重すればよい。



「じゃあ隔離環境を作ってくれる?」



「それなら壊れてもいい環境があるからそこ使ってよ。残っているデータは上書きしても大丈夫だから」



「接続先はどこさ」



「これ」



 接続先の情報がモニタを滑って富田のもとへ届けられる。バックアップデータを戻す先を変更するだけの簡単な作業。向きが変わっていることを三度確認して、指差し確認して、それから実行すれば。



 画面に表示される進捗画面、もちろんメッセージは細かく出るように設定した上で、である。横に成長してゆく棒状の進捗とその下にぶら下がる真っ黒背景のログ。目まぐるしく流れていってまるで読むことができないが、見ていると何となくちゃんと処理が進んでいるような気になる。



 ログが止まる。処理が滞っているのだろうか? 首根っこを掴まれたような気分になる。異常終了という言葉が頭をもたげてくるのだ。



 富田の心配をよそに再びログが目まぐるしく動き始めれば、自身がいつしか息を止めていたことを知る。背もたれに体を預けながら深呼吸、処理の動向を見つめた。



「見た感じ問題なさそうだね」



「ちゃんと動いているように見える、これなら大丈夫かもしれない、がちょっと待て何かおかしくないか?」



 背後の薫がモニタの画面を指差した。ぱっと見たところ何もおかしいところはない。人が読めないスピードでログは動いているし、進捗バーがあまり進んでいないことはよくあることだし気にするところではない。



 どこがおかしいのか。富田には見分けがつかなかった。



 薫は富田の背中から離れるなり別の壁に向かって半透明の画面を広げた。全面に黒っぽい画面で、文字だけが並ぶ画面。操作をしようとする素振りもなく、ただ文字を眺めて、



「うそだろ」



と消えるような声でつぶやくだけだった。

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