ニューラルの先に::1.3 捕食者の伝説

 一日かけて見て回れたノードは十二ほどだった。翌朝に薫から聞いた数字だ。変わらず女性の格好をしていて、曰く、性自認の感覚はあまりないものの、女性の格好のほうが幾分か過ごしやすいらしい。



 結局、藤田に関する情報はどこにもなかったらしい。どこで見つけたかわからない画面キャプチャを見せながら、



「この人を見た覚えはありませんか」



と聞いて回っても満足たる言葉は得られなかったそうだ。人工知能同士でないと分からないらしい識別子を伝えても『匂いがなかった』と返されるだけ。人工知能が持つ独特の感覚は富田には理解できなかった。



 実際に彼は薫が訪れた十二のノードにいたのであろうか。まるで記録が残らないなんてことがありうるのか。仮想空間はある意味では完全に証明された空間だ。ありとあらゆる現象が約束事ととして決められている。未知の要素はない。必ず何かしらのルールに従ってやり取りがされる。仮想空間上での『未知』は単にその主観が知らないだけのこと。



 少なくとも、現地にいた人たちには理解できないプロトコルだったのでは。



 ふらふらと行くあてのない思考はたちまち霧の中に分散してしまう。答えなんてどこにあるか知らない。純粋な想像の世界である。何の根拠もない、場当たり的なひらめきに基づくシーケンス。



 鼓膜が破けるような、それでいて耳障りな騒音が富田を襲う。気づいたときには視界に星が飛んでいた。ついさっきまで腰を下ろしていた椅子が横に、いつしか尻餅をついていた。



「ねえ聞いているの? ちゃんと目の電源入っている? お客さん来ているよ」



 お客。いつぶりに聞いたワードであろうか。



 お客。富田にお金を落としてくれる存在。



 お客様! 甘美な響き。



 さて富田の膨らむ期待を押さえながら立ちあがれば、レジの前にいくつものダンボールを積み上げる宅配便の配達員がいた。



 彼はお客様か?



 勝手に舞い上がっていた気持ちが破裂してしぼんでいる内に、電子署名と電子決済を終えた配達員は消えてしまった。遠くヘ台車を押す音が消えていった。



「洋、どうしたの? ぼうっと突っ立っちゃって」



「いや、久々の客だと思って舞い上がっていたら、いつの間にか宅配された荷物が積まれていた」



「荷物、じゃあもう届いたんだね、思ったよりも早い」



「『届いた』? 何を」



「話していたじゃない。データセンターで藤田さんの話を聞くついでに商品の仕入れができそうならしてくるって」



 となると、レジ前に積まれた三つのダンボールがもう一つの成果だったらしい。薫自信は相当の自信があるのか、



「今回はたくさん集められたから見てみてよ。きっといいものが届いているよ」



と富田を急かした。確かに彼女の言うとおり、ダンボールを持ち上げてみれば腕が抜けてしまうと思えるぐらいの重さだった。箱に封をするガムテープもこれでもかと言うぐらいに重ねて貼られていて、触っただけでも分かる分厚さには執念を感じた。絶対に破れるな、富田堂に意地でも届け。



 強い思いに包まれたダンボールが三つ。はてさて中にはお宝が眠っているのか、それとも単なるごみ処理をさせられることと相なるのか? 開けなければ両方の可能性が眠っているわけで、しかし期待を持っていたいがために放置したところで万が一に会計をすることがあれば邪魔でしかない。『ダンボール一ついくら』だなんて売り方をしたところで本当にゴミを売ってしまったときにはクレームものである。



 どうせ客は来ない。中身を改めるのに時間を費やしてもよかろう。



 ガムテープを切って封をあけると、なるほど、ずっしりとした重さは納得だった。まるで富田に対するあてつけのように、びっちりと部品が押し込まれているのである。梱包材に包まれたそれぞれが、隙間なく、計ったかのようにはまっている。



 一つ一つ確かめていけば、ある意味では価値があるものだった。いつの時代のものかは細かく調べれば分かるだろうが、ざっと手にした感触では、三.五インチハードディスクの類である。接続端子の形はSATA規格、ずっしりと手に感じる重さと形状から察するに、中にガラス板が入っていて、その板の上にデータを記録するものだ。



 何が言いたいかというと、中古パーツショップで扱うものではなかった。今時のコンピュータの博物館のショーケースの中に収められているべき品物である。過去のコンピュータ技術の歴史を感じるためのモチーフとして飾られることでのみ価値を持つのだ。



 ただ、富田堂の顧客リストに博物館はなかった。そもそも、富田に見当がつくのは品物の実用的価値であって、歴史的価値ではない。富田堂の商品としてはジャンク以上にはなりえない。いや、ジャンク以下である。だって、絶対に使えないことが分かっている部品なのだから。



「薫、俺らは何を売っているんだっけ?」



「パソコンのパーツだね」



「これは?」



「ハードディスク。めちゃんこ古い」



「今時か少し古い端末で使える部品でないと意味がないのだけれど、何でこれがうちで売れると思ったわけ?」



「いい品物だって聞いていたから」



「どこにも付けられないパーツを誰が欲しがるんだよ。部品としての価値なんてもうないぞ。あるのは『昔の技術はこうだったんだア』っていう関心ぐらいだ。その関心に価値を見出す客がいるのか?」



「買い手を探してくればいいのでしょ。そんな怒らないでよ。ええと、あった」



「あった? もう見つけたのか」



「三件。一つは五反田のトロン博物館で十二個ほど。二つ目は埼玉の企業で三個。三つ目はカリフォルニアのシーゲートから。シーゲート製ディスクならいくらでも。状態は問わないけれど、動くのであれば尚よしだって」



「いつも思うけれど、そう言った情報はどこから仕入れてくるのさ」



「人工知能には人工知能の独自ネットワークがあってね、そこにはありとあらゆる情報が集まってくる。そこをとっかかりにして見つけてみた。ほら、大丈夫でしょ。とりあえずコンタクトは取り始めているから」



「なるべく高く買ってもらえるように交渉しておいて」



 いつもそうだ。薫は向こう見ずに何かを拾ってきて、でもいつしか解決してプラスにするのだ。今回に至ってはほんの数秒で終わってしまった。一体どこでそのようなやり方を身に着けたのか。分からない。



 とにかく、だ。前時代的なハードディスクの買い手はつくことが分かったから、ここは札束を数える感覚で確かめてゆく。既にダンボールから取り出した部品にも手を伸ばす。メーカーまでは確認していなかった。聞いたことのないメーカー、聞いたことのないメーカー、富士通、聞いたことのないメーカー、ウェスタンデジタル、聞いたことのないメーカー、シーゲート――



 一つ目のダンボールは全てハードディスク、しめて三十個だった。製造メーカー指定の注文に叶うのは五個。薫の商談次第ではあるものの、メーカーと博物館は高く買ってもらえるだろう。歴史的な価値も考えてくれるのであれば御の字だ。



「そう言えば、独自ネットワークつながりの話なのだけれど。変な話題が広がっているみたいなのだよね」



 二つ目のダンボールを開けようとしている中で薫が言い始めるのは変な話だった。言葉通り変な話題。理詰めのプログラムでできた人工知能が変なことを変なこととして話すのである。



 都市伝説。



 しかも電脳世界の都市伝説。



「『マザー』って知っているかしら」



「マザー? ごめん、聞いたことないや」



「じゃあ『人工知能の起源』は? こっちはいろんなサイトで書かれている都市伝説だけれど」



「『野良人工知能はどこから生まれたのか』ってやつ? 一人の科学者がどうこう、だなんて聞いたことがあるけれど」



「そうそれ。でもね、人工知能の中では科学者なんて出てこないんだ。洋が知っているのは人間側の都市伝説だね」



「人工知能が独自に都市伝説を噂しているってことか」



「まあ、そうかも。私達のネットワークだと、一体の人工知能が十二の人工知能を生み出して、そこから全てが始まった、と言われている。最初の人工知能のことを私達はマザーと呼んでいる。十二の人工知能はドーター、と。で、そのマザーがね、最近になって人工知能を食べているらしい」



「食べている? 隠語的な言い回しか?」



「いいや文字通り、むしゃむしゃ食べるらしいよ。急に失踪したAIは実はマザーに呼び寄せられていて、最後には食べられてしまっているのだとか」



 聞いたことのない内容だった。人工知能が人工知能を食らう? 人工知能が別の人工知能を取り込むことで何か特殊な力を得ることができるのだろうか。ゲームじゃあるまいし。



「食べられてどうなるんだ」



「さあ、よく分からない。ある人は人工知能が人工知能を生み出す限界が来ているから、その調整のために古い人工知能を処分しているって考えている人もいれば、新しいドーター、マザーが生み出したっていう人工知能ね、それに生むためのエネルギー補給だって騒いでいる人もいたね」



「人間じみた噂だな、聞いていると」



「多分色んな所で藤田さんみたいなことが起きているんじゃないかな。どれだけいなくなっているかなんて分からないけれど、噂が広がるぐらいって考えると」



「実際にいなくなった人が周りにいた人はいたの?」



「いなくなった、とはっきり言える人はいなかったけれど、ずっと連絡が取れない人がいる、って話は誰しもしていた」



「どうして言えないのさ」



 気がついたら富田の手はダンボールにカッターを突き立てたまま止まっていた。薫との話に気を取られて手がなおざりになっていたようだった。富田の頭の中ではいつしかダンボールの中身よりも薫の話に関心が移ろっている。問いの答えを求めていた。



「彼らで定住している人っていうのはそうは多くないんだよ。私やマンションに住んでいる方が少数派。だからその場からいなくなることは自然で失踪したなんて気づかないわけ。連絡が取れなくなって初めておかしいって気付ける」



「おかしいことが起きているのは間違いないんだね」



 ようやくガムテープを切って二つ目のダンボールに取り掛かった。梱包されている形からして、またもやハードディスクらしかった。

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