山の常識?

 そんなこんなで探検よりもトレーニング重視の日々が2週間続いた後。

 いよいよ出発当日となった。

 朝2時50分、ディパックを背負って寮の管理棟1階へ。

 既に女性陣3人は待っていた。

 この時間は門限後だから非常時以外は生徒だけで寮外には出られない。

 そんな訳で小暮先生が迎えに来るのを待っている訳だ。


「おはようございます」

 深夜なので小さい声で挨拶する。

「おはよう」

「おはようございます」

「おはや過ぎて眠いのです」

 それぞれ返事が返ってきた。

 いつも通りな感じだ。


「さあ。地獄の門の入口だ。覚悟はいいか」

 勿論これは神流先輩だ。

「脅さないで下さい」

 そう言うついでにある程度の根拠も述べておく。

「今回はそんなに酷い事にはならないと思いますよ。食事メニューへの注意から、活動はせいぜい今日のお昼過ぎくらいまでと思いますから」

「ただし早朝から、だぞ」

 先輩、攻める。

「それはもう覚悟するしか無いですね。まあ死にはしないでしょう」

 佳奈美の体力も学内を2周できる程度には向上した。

 あとはもう、当たって砕けるしかない。

 砕けたくはないけれど。


 外をヘッドライトの光が横切った。

 ちょっと野太いエンジン音。

 白いでっかい車が右からやってきて寮の前に止まる。


 ◇◇◇


「いい車ですね」

 僕のこの台詞はお世辞ではない。

 新しいデリカD5。

 ミニバンだが足回りはクロカン四駆と言われるアウトドア屋御用達の車だ。

 中もかなり広い。

 先生入れて5人だと広すぎる位だ。

 なお今回は僕が助手席、女性陣3人が中央席、後席は使っていない。


「この車だと何処へでも行ける気になります。車幅も見かけほど広くないから林道を思い切りよく走れますし。広いから車の中で寝る事もできますしね」

 確かに山屋にはいい車だよな。

 ディーゼルだから燃費もそんなに悪くないだろうし。

 でも確か結構値段が高かったはずだ。

 うちの父が欲しがっていたけれど高価すぎると母に却下されていたし。


「それにしても先生、朝3時集合は早すぎないのですか。まだ眠いのです」

「登山の世界では35出発でっぱつは常識よ」

 知らない言葉が出てきた。

「そのさんごーでっぱつというのは何なのですか」

「朝3時に起きて食事や用意等をして、5時にはテント場所を出て行動開始する事よ。山の天気は変わりやすいから、とにかく早く行動するのが常識なの」

「ここは登山部ではなく学内探検部なのです」

「フィールドワークである以上、原則は同じよ」


 うん、先生は相変わらずだ。

 わかっていたけれど。


 ◇◇◇


 行程の途中に24時間営業のSE●YUで食材を仕入れる。

 更にコンビニで休憩がてら弁当も購入。

 そして車はどんどんと山奥へ入っていく。

 何か微妙な感じのトンネルを抜け、急に道が太くなった場所で車は停車した。


「さて、ここで朝食。でもまずは着替えてね。沢で濡れたり汚れたりしても気にならない服装よ。靴は専用のものを用意したから」

「一応全員、パーカー等を脱げば今日の行動用の服装です」

 これは事前に合意しておいた。

 いきなり女子高生生着替えなんて目前でされたら目も当てられない。

 以前の経験を元にした事前根回しだ。

 ちなみに先生もこのまま山に突っ込むぞ、という格好。


「なら靴を履き替えましょう。皆さんのサイズに合わせて用意してきましたから」

 という事で、車の外に出て後から荷物を出して履き替え作業だ。

 靴は一見ハイカットの登山靴のようだが、靴底が違う。

 何か安物の絨毯みたいな繊維が分厚くついている。

 通常のゴム底で模様のあるタイプでは無い。

「これが沢登り用の靴ですか」

「ええ。ウェーディングシューズって言うの。この繊維部分が濡れた岩などでしっかりグリップするの。沢登りや釣りなどで使う専用の靴よ」

「ウェディングシューズですか」

 佳奈美、微妙に発音が違う。

「それだと結婚式になるわ」

 なるほど。


 そんな訳で履き替え。

 事前にサイズを言っておいたからか、ちゃんとサイズが合っている。

「しかし良くこんなに色々サイズを用意できましたね」

 先生は自慢そうに口を開く。

「大学時代なんかの山登りの仲間に声をかけてね。使わなくなったお古を譲って貰ってストックしてあるの。高等部のワンゲルでも使うしね。

 他にも色々な装備をストックしてあるわ。うちは家が広いから。

 田舎は一軒家でも家賃が安くて助かるわ」

 どうも色々、大量に在庫している模様だ。

 こういう処はいい先生なんだけれどな。


「うーん、微妙に靴が大きいような気がするのです」

「その場合はこの靴下を履いてから試してみて」

 先生はそう言って分厚い靴下を出す。

「それも山用ですか」

「ええ。クッションや保護の一部として普通はこんな靴下を履くの」

 なるほど、ワンゲルなら色々参考になるだろう。

 学園探検部で参考になるかは微妙だが。

 ただこの先、色々楽しみにはなってきた。

 ただでさえ緑深い自然満喫という環境。

 そして林道から見える沢も水が綺麗だ。

 東京都とは思えない。


「それじゃ食事場所に案内するわ。各自弁当を持って」

 そういう事で皆コンビニの袋をぶら下げて先生について行く。

 ちょっと歩いて橋を渡り、広くなった処で先生は青いビニールシートを広げた。

 工務店なんかが使っている業務用っぽい奴だ。

「どうせ沢登りすると濡れるんだけれど、最初ですしね」

 つまりこれはピクニックシート代わりか。

 皆でその上に座って朝御飯となる。

 周りは正に森のまっただ中という感じで横には沢が流れている。

 なかなかいい環境だ。

 いかにも自然という感じで。


 さて、弁当を食べながらちょっと気になった事を聞いてる。

「ところで何故、わざわざ出かけていって東京の沢なんですか。いや、確かにここはいいところです。でも他にも有名処は色々あるようじゃないですか」

「ああ、それはね」

 先生は大きい唐揚げを丸呑み状態で食べてから説明してくれる。

「確かに丹沢とかの沢も有名ですけれどね。南関東の山は中央線あたりを境にね、南側はヒルが出るの。私はそれが嫌いで。

 だからもっぱら奥多摩側に来るんです」


「うわあっ」

 雅が心底嫌そうな顔をする。

「大丈夫、ここにはまずいないですから。あと奥多摩の沢の方が丹沢より水量が多いというのもありますね。私はそれで奥多摩の沢が好きなんです。あと大学があるのが多摩だったせいも大きいですわ。結局近くて数多く来ているから、その分色々知っていますしね。

 中でも一番来ているのがここ、海●です」

 なるほど、目の前の体力系女子を育てたのがここの沢という訳か。


「去年のワンゲルで行ったのもこの沢なのですか」

「あれは大雲●沢。ここよりは難しいけれど、それでもリーダーさえ確かで少人数限定なら初心者でも大丈夫な場所ですよ。自然も奥深くて人も少ないし。私の大好きな沢なんです。

 でもいつもの私の山行のつもりで計画をたてたのが失敗だったですね。それで昨年はちょっと厳しすぎたかな、と反省していて。

 だから今回は大学時代の新人歓迎沢登りと同じコースにしてみました」


 ほっと一息。

 それなら多分大丈夫だろう。

 それにしても皆、朝からなかなかごつい物を食べている。

  ○ 先生は大盛りからあげ弁当

  ○ 神流先輩はスパゲティとサンドイッチと野菜サラダ

  ○ 佳奈美はビッグロースカツ弁当

  ○ 雅に至っては男の大盛り弁当という、ハンバーグだの唐揚げだのてんこ盛り弁当

 ちなみに僕は

  ○ サンドイッチ1個とおにぎり1個(昆布)

で全てだ。

 でも普通は朝食なんてそんなものだろう。

 ここの女性陣が普通だとは思いたくない。


 まあそんな大食漢の朝食もあっさり終わる。

「それでは車で装備を準備しましょう。楽しい訓練の開始です」

 先生が宣言した。

 それが楽しいのか苦しいのか、この時の僕にはまだわからない。

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