第3話 小川組抗争と事件の記憶

橘は口を噤んだ。はて、そんなものがあっただろうか。思い出せない。

「知らへんな。どないな間違い(いざこざ)やったんや。そりゃ。」

嘉瀬はまだ、俯いていたままでどんな表情をしているのか見ることはできない。ただ、思い出したくもない思い出を記憶の底から掘り起こしているのだろうか。

「はじまりはカチコミ(ガラス割り)からやった。箱乗りした車からチャカ(銃)のタマが飛んでって、うちの事務所の窓が割れた。」

漸く、嘉瀬は話し始めた。

「発端は小川組や。そっから小川のモタレが事務所をささらもさら(めちゃくちゃ)に掻き回して、そいつは当然、蜂の巣。殺ったら殺ったで、小川の猿どもが、アヤ(因縁)つけてきよったから、事務所の幹部が小川の幹部の土手っ腹にタマ、ぶちこんでな。」

嘉瀬は顔を上げた。何とも謂えないその表情は恐ろしさを物語っているようだった。

「猿と狸は殺ったから、小川のアホどもも理解するやろうと思とったら、それ相応のおつむをあいつらは持ち合わせてなかったようやな。事務所の幹部をモタレが殺りよった。」

「今、思たら、ほんま馬鹿げた抗争やで。事務所の構成員は向こう見ずに鉄砲玉になって、そのかいあって、小川は殆ど、壊滅状態や。」

嘉瀬の言葉、一つ一つに熱い思いがのしかかっていた。橘はその言葉をゆっくりと呑み込んだ。

「で、結局、小川は壊滅。殆どの組員が死んだ。今んなったら、あんな無謀なことをよう、いけしゃあしゃあとやったもんやなと感心さえするわ。」

はははと嘉瀬は冷酷そうに笑った。

「それをお前はねきで(傍で)見とったんか。」

橘は訊いた。嘉瀬は不愉快な表情を浮かべた。

「アホさらせ。んなもん金玉握って、黙って見てるわけないやろ。俺も抗争に参加しとったわ。それでモタレを何人か殺ったら、マッポ(警察)に見つかって、捕まったっちゅうこっちゃ。」

橘はホッと胸を撫で下ろした。嘉瀬が薄情な奴ではないとわかったからである。

「よう、あれで死刑にならんかったわ。なんに大体、十五くらい殺ったけど、結局は何人 殺ったかわからんくて、中で真面目に過ごしてたから、六年ぐらいで外出てきたからな。」

 「そんなもんやったんか。小川組抗争っちゅうのは。小川も分家やからな本家の驫木(とどろき)会に示しがつかんかったやろうに。」

 橘は笑みを浮かべた。夔夜叉会と驫木会は敵対関係にあるのだ。

 「それはそうかもしれんな。やけどその抗争自体が裏切りの象徴や。芥組も驫木会の分家やからな。結論からいえばたいして、変わらん立場やさかい、こちとて、カチコミも妥協でけへんかったんやろうけどな。」

 嘉瀬はしみじみと語った。

 「暁はやっぱり、今のおまえには仲間として受け入れづらいか。」

 「そうやな。くどいようやけど、昔の裏切りがあるからな。もう少し考えさせてくれ。唐突に謂われても困るわ。」

 橘は一瞬、すまなさそうな表情をした。嘉瀬は思い出したように、

 「そういや、なんでお前は中、入っとったんや。」

と訊いた。忽ち、橘は焦燥に似た表情を表した。嘉瀬はおもわず、前屈みの姿勢を立て直した。

 「忘れもせいへん。十二月三日。コンビニで大物たれて、(大口を叩いて)アヤつけてきよったボンクラを嬲り殺して、そこらのゴミ捨て場にあった絨毯で包んで、堂島川に沈めたんや。」

 一ヵ月後、行方不明で捜索届の出されていた、鹿島恭二(24)がコンビニの防犯カメラに、小男と口論している様子が確認され、コンビニ店員や近隣住民の情報により、小男が橘であることが映像解析から、断定され、あえなく、御用となったそうだ。そして、橘の供述によって、堂島川の川底から白骨化した鹿島の遺骸が引き上げられた。

 「あのくそったれ。話だけや謂うさかい、ついてったら、留置場みたいな狭苦しい部屋に閉じ込められてな。あんなんは尋問やないで、ハイダシ(恐喝や強請)かけてんのと一緒や。絶対、口を割らんつもりでも唄わせられて、(すべて吐かされて)パクられるんや(警察に捕まる)。あいつら、ヤクやっとんちゃうか。」

 橘は畏怖を含んだ物謂いをした。嘉瀬は感嘆の声を漏らし、姿勢を元に戻した

 「そんなことがあったんか。なんか訊いて悪かったな。まあ、お互いそういう過去を背負ってるっちゅうことや。」

 橘は頷いた。

 「ほんまやな。そやけど、生きとったらそういうこともあるで。」

 「人生って〝そんなもん″かもしれへんな」

 嘉瀬が呟いた。

 「そんなもんでええんちゃうかな。難しく考えるより、銭の計算してるほうがよっぽど、気が楽やもん。そういうもんがあってこその人生や。」

 嘉瀬も頷いた。二人はなんともいえない、いい心地を感じた。橘は不意に時計に視線を落とした。

 「まずい。約束に遅れる。」

 橘はそう口走りながら、サングラスを掛け、茶色いジャンパーの袖に腕を通し、鞄を掴んだ。帽子を頭にのっけて、帰り支度を整えた。

 「じゃあ、また、たのんまっせ。日時が決まり次第、電話、掛けますわ。」

 オーダーボードのクリップに五千円紙幣を挟みながら、謂った。嘉瀬はおうと返事して、手を上げた。

 橘は足早に店の玄関に向かい、大急ぎで扉を開くと、停めてあったオートバイに跨り、耳を聾するような爆音をたてながら、夕闇に消えた。

 嘉瀬は紅茶を飲み干し、帰り支度を整えると、黙ってオーダーボードを掴むとレジへ急いだ。釣りの三千円をポケットに押し込み、靴の踵を踏んだまま、嘉瀬は歩きだした。

閑静な住宅街の空を掩蔽する街路樹の枝枝が作る歪な影法師は嘉瀬の歪んだ心と表情を象徴しているようだった。

 


 


 







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