第二話○まりあと友情のコンビネーション

 まりあが初めて聖心乙女の仕事をした翌日の土曜日。十字坂小学校の西門で、三年生のトモとゆうが言い争っていた。

「ゆうとなんてもう遊んでやんねえから!」

 トモは乱暴に吐き捨てる。ゆうの顔が、一瞬くしゃっと歪む。

「俺、別に遊んで欲しいとか思ったことねえし! じゃあな!」

 ゆうは最後にキッとトモを睨んでからトモに背を向けて去っていった。

「じゃあ、今までなんでずっと一緒に居たんだよ……」

 トモはずるずると西門に寄りかかった。ゆうの声が耳の奥で反響する。その度に胸に冷たいモヤモヤが広がっていく。

「ねえ」

 突然頭の上から聞こえた声に顔を上げると、そこには美しい少女が立っていた。ウエディングドレスを染め上げたような、黒く深い色のドレス。闇の色の長い髪に黒いベールを重ね、目元を隠している。

「なんだ、お前」

「私は……そうね、悪魔の味方よ。あなたの中にいる悪魔の声が聴こえたの」

「はあ? 変な奴」

 警戒するトモに、少女は妖艶な微笑みを向けた。黒い手袋に包まれた手で髪をかき上げると、トモの耳元に唇を寄せて甘い声で囁く。

「あなた、今寂しいのね」

 トモの心臓がドクンと跳ねた。

「寂しくなんてねえよ!」

 トモは少女の肩を押し返した。少女はというと、顔を上げてクスクスおかしそうに笑っている。

「な、何がおかしいんだよ……」

「可哀想なあなたに、寂しくなくなる方法、教えてあげましょうか」

 少女はベールを上げた。その大きな瞳の奥に宿る炎が、トモの瞳にも暗い影を落とした。


 ―☆☆☆―


「嫌だーっ! 無理ったら無理!」

 十字坂住宅街のとある一軒家の中、部屋の床に転がって駄々をこねるように叫んでいるのはまりあだった。

『なんでですか! 昨日だってかなえさんを救えて嬉しかったでしょう?』

「それとこれとは別問題だって! 聖心乙女なんて危ないししんどいし、なによりめんどくさい! 一戦につき五千円くらいくれるならやってもいいけど」

『天使にお金を要求するだなんて……なんて嘆かわしい……』

 ローズは額に手を当ててわざとらしくため息をついた。横からレイジーがふわふわと流れてきて、ローズの耳元でにやりと笑う。

『まりあがやりたくないって言ってるならさ、無理に押し付けなくても別の聖心乙女を探せばいいんじゃん? めんどくさいからあたしは探さねーけど』

 まりあはがばっと床から起き上がった。

「代わりの聖心乙女を見つければ私は聖心乙女にならなくて済むの?」

『え? いや、まあ……そうですね、特別な事態でも起きない限り、聖心乙女は一つの町に一人で十分ですから。でも、聖心乙女の素質を持つ人はそう簡単には……って、まりあさんどこに行くんですか? まりあさーん!』

 まりあはパーカーを羽織ると階段を駆け下り、家を飛び出した。

(絶対代わりをみつけてやるっ!)

 まりあはそう心に誓った。絶対にこの町のどこかに、まりあよりも聖心乙女にふさわしい人がいるはずだ。


 ―☆☆☆―


「って、当てもなく飛び出しちゃったけど、どうやって探せばいいんだろ?」

 道行く女の子一人ひとりに、「あのうすみません、天使と悪魔の声が聴こえることってありませんか?」なんて聞くわけにもいくまい。そんなことをしたら、どうみてもただの怪しい宗教の人だ。

『はぁ、はあ……。もう諦めてまりあさんが聖心乙女になりましょう? 私はまりあさんは聖心乙女に相応しいと思いますよ』

 慌てて追いかけてきたローズとレイジーはまりあのパーカーのポケットに飛び込んでコンパクトの姿になった。

「よく言うよ。めんどくさがりやの私が、聖心乙女に相応しいわけないじゃん」

『でも……』

 コンパクトの中から訴えるローズの声を、高い声が遮った。

「あれっ、まりあちゃんじゃないですか。おはようございます!」

 顔を上げると、私服姿のかなえだった。ララちゃんが音楽番組で着ていた衣装をリスペクトしたレモン色のAラインワンピースは、小柄なかなえによく似合っている。

「うふふ、土曜日なのにまりあちゃんに会えるなんてちょっとラッキーですね」

 そう言うかなえの左手には、牛乳が入ったスーパーのビニール袋が握られている。

「かなえはお遣い?」

「そうです。まりあちゃんは?」

「私? うーん、なんていうか、人探し、っていうか……」

「人探しですか? お買い物も終わったし、カナでよければお手伝いしますよ」

 かなえはにこっと天真爛漫に微笑んだ。まりあと違ってめんどくさいと迷うそぶりもなく、かなえはまりあが困っていたら当たり前のように手伝ってくれるのだ。

(やっぱ、聖心乙女ってのはかなえみたいなほんとのいい子がなるべきだよね)

「ありがとうかなえ。あのさ」

「なんですか?」

「かなえは―」

 天使とか悪魔の声が聴こえることない? そう訊こうとした瞬間、まりあの頭の中に声が響いた。


 ―俺は一人ぼっちなんかじゃない!


「この声……」

『悪魔に乗っ取られた人間の声です! 昨日現れたばかりなのに、なぜ……。とにかくまりあさん、すぐに行ってください!』

 まりあのパーカーのポケットの中で、ローズが叫ぶ。けれど、まりあの足はなかなか動かなかった。

(でも、私もう、聖心乙女は)

 まりあが俯くと、いつものように天使と悪魔の闘いが始まった。

『町の人が苦しんでいるんですよ? いま、救えるのはまりあさんだけなんです!』

『行かなくていいんじゃね? 昨日のまりあみたいに偶然覚醒した他の聖心乙女がなんとかしてくれるって』

『レイジー、あなたは黙っていてください!』

 まりあが黙ったまま迷っていると、かなえが小さな手を伸ばしてまりあの手をとった。まりあははっと我に返る。

「まりあちゃん、どうかしたんですか?」

「い、いや、なんでもないよ! ちょっと、困ってる人がいるのを思い出したっていうか……でも別に、私が行かなくてもなんとかなるだろうし、いいかなーって……」

 かなえはその大きな瞳でまりあを見つめた。優しそうなたれ目の奥には、確かな意思が秘められている。

「まりあちゃん、なんだかとっても心配そうな顔です。……まりあちゃんが後悔しないようにしてください」

「かなえ……」

 かなえはまりあの手を握る手を緩めた。まりあは一つ頷くと、声の聴こえた方へ駆け出した。

「ありがと! またね、かなえ!」

「まりあちゃん、頑張ってください!」

 かなえはその場で、まりあの後ろ姿を目で追った。


 ―☆☆☆―


 ―寂しくなんてない。俺は人気者なんだ!


「小学校の方だ!」

 十字坂小学校へ繋がる畑道を駆け抜け、正門の影から校庭を覗くと、そこには無数の人影があった。

「な、なんだなんだ!?」

 よく見ると、無数の人影は小学校の生徒たちだ。校庭いっぱいに広がって、手を繋いで輪を作っている。


「僕らは友達」

「みーんな友達」

「僕らは一つ」

「どこでも一緒」


「な、何……? あの子達……」

 まりあが思わず呟くと、まりあに気がついた校庭の子どもたちが、一斉に振り返って虚ろな目を向けた。

『まりあさん、変身です!』

「う、うん!」

 まりあは急いで手鏡を開いた。


「ホーリーコネクト!」


 手鏡からあふれ出す光を浴びて、子どもたちは眩しそうに後ずさった。

「世界に優しき恩恵を! 聖心乙女、ホーリー・ハートフルローズ!」

 聖心乙女の姿になったまりあを、生徒たちが取り囲む。まりあは羽を羽ばたかせて真上に逃げた。校舎の窓にとまり、呼吸を整えたその瞬間、まりあは羽を引っ張られて教室の中に墜落した。

「ひいぃっ!」

「俺らは友達、トモの友達……」

 教室でまりあを取り囲んでいるのもまた、小学生たちだった。校庭の生徒たちだけでなく、校舎の中にも仲間がいたのだ。

 まりあは足を縺れさせながら廊下へ飛び出した。廊下にいる生徒もみな、虚ろな目でまりあを追いかけてくる。まるでゾンビ映画のような展開だ。

「この学校中が悪魔に乗っ取られてるっていうの!?」

 昨日のかなえの悪魔とは桁違いの強さだ。しかも狭い学校の中は、空を飛んで戦うまりあにとって圧倒的に不利である。

「僕は友達。トモの友達」

「私も友達。トモのためにやっつけろ!」

「聖心乙女をやっつけろ!」

 生徒たちは皆、『トモ』という生徒の悪魔に操られているのだろう。うわ言のようにその名前を繰り返す。

「うるせー! あんたたち、ただ悪魔に操られてるだけの手下じゃん! そんなの、友達って言わないよっ!」

 まりあは振り返って叫ぶ。

「みんな、目を醒まして! みんなにも本当の友達が居るんでしょ。悪魔なんかに操られて言いなりになってないで、本当の友達のこと思い出してよ!」

「本当の……友達……」

 まりあの声に、数人の子どもたちがうつろな目に光を取り戻していく。お揃いのヘアピンをつけた女の子二人が顔を見合わせた。

(呼びかければ意外とすぐ洗脳は解ける……けど)

 呼びかけたそばから上の階の生徒たちが降りてきて、飛びかかってくるのだ。

(多すぎてきりがないよ! やっぱり悪魔本体に直接呼びかけないと。でも、悪魔はどこ……!?)

 まりあは、乗っ取られた人間―恐らく、トモと呼ばれる少年の声に耳を澄ませる。


 ―一人は嫌だ……。


「下だ!」

 まりあは生徒たちの傍をすり抜け、一階の廊下に出る。

 声は窓の外から聞こえる。まりあが身を乗り出すと、校庭の正門とは反対側、西門の側に、鳥かごとその周りでくるくると踊るピエロのような姿の悪魔がいた。

「見つけたっ!」


 ―俺は一人じゃない。友達なんていくらでもいるんだ。寂しくなんてないんだ。


 鳥かごの中で体育座りしている少年―トモの左目から、ぽつりと雫が落ちる。レイジーが冷やかすように笑った。

『あいつの悪魔、ありゃ〈孤独の悪魔〉だぜ。―孤独に蝕まれると自分勝手になって、周りの人を大切にする気持ちを忘れちまうんだ』

「でも、こんなやり方で友達を増やしたって、寂しくなくなるわけないじゃん」

 まりあは窓を開けて外に飛び出すと、壁を蹴って回り続ける悪魔の側まで跳んだ。

「〈孤独の悪魔〉! トモには、『本当の友達』は本当に居ないの? トモの悪魔なら知ってるよね」

 孤独の悪魔はぴたりと回転を止めた。その頬に、雫の模様が無数に浮かび上がる。

『トモにはね、本当の友達は居ないんだ。親友だったゆうも、本当はトモと遊びたくなんてなかったんだって。親友なんて嘘だったんだ』

 トモが悪魔に乗っ取られたきっかけは、親友・ゆうとの仲違いだったのだ。

「だから寂しかったんだ……」

 まりあは着地すると弓を引き、悪魔に向かって閃光を放った。眩しさに顔を伏せた悪魔が再び顔を上げると、目の前にまりあが居て、悪魔の手をとっていた。

『何だお前……、お前にトモの何が分かるんだよ』

「わかるよ。私にも親友がいるから。

 けんかして、時には傷つけたり、分かり合えなかったり、それでも……好きだから、仲直りしたいと思う。トモがゆうとまた遊びたいって思うならそれだけで、トモとゆうは〈本当の友達〉なんじゃないかな」

 トモとゆうは仲良しだった。一年生の頃からずっと一緒に居るのに、けんかしたことなんて一度もなかった。だから気づかなかったのだ。トモはゆうがいないと、とてもとても寂しい。孤独に支配されてしまうくらいに。

 なのに、些細なことで、ひどい言葉を浴びせてゆうを突き放してしまった。

「トモはどうしたいの?」

 まりあが言うと、鳥かごの中のトモは閉じた瞼を震わせた。


 ―俺は……。


 トモの瞼の裏に、ゆうと遊んだいくつもの場所が浮かんでは消える。もう分かっていた。寂しくなるのは、ゆうに遊びたくないと言われて悲しいのは、もう前のように笑い会えないのが苦しいのは、それだけゆうのことを好きだったからだった。


 ―俺は、ゆうと仲直りしたい。


 悪魔が光に包まれると、校舎の中や校庭の子どもたちも次々と正気に戻っていく。まりあが勇気付けるように二度悪魔の手を握ると、淡い光が学校中を包んだ。


 ―しかし、その瞬間だった。


「仲直り? 本当の友達?―馬鹿らしい。信じちゃだめよ」


 突然校庭を闇が渦巻いた。まりあと悪魔の繋がれた手をめがけてガラスの欠片のようなものが飛んできて、まりあは思わず悪魔との手を離してしまった。

「あっ!」

 闇が晴れたときまりあが目にしたのは、トモの悪魔を抱き寄せる美しい黒い少女の姿だった。黒いドレスと長い髪が風に靡き、黒いベール越しの瞳が妖しい光を帯びて煌いた。


 ―☆☆☆―


 少女は悪魔の耳元に赤い唇を寄せて囁きかけた。

「ねえ……あなたは彼を親友と思っているかもしれないけれど、彼はどうなの? もし今親友に戻れたとしても、いつか裏切るかもしれない、そんな不安にあなたは一生苦しみ続ける。いくら友情を信じても、どれほど親友を愛しても、あなたが孤独から救われることは二度とない―」

 少女は毒薬を瓶に注ぐように、少年の耳元で言葉を流し込む。一度は光を取り戻していた悪魔の瞳は、再び濁った夜の色に染まっていく。

『俺は……孤独……孤独の悪魔。そうだ、トモは孤独なんだ。トモが孤独じゃなくなったら、俺の居場所はない……』

 悪魔がおぼろげに呟くと、一度大人しくなった校庭の子どもたちが再び輪になって踊り始めた。

「な、なんで……! あなた、何者!?」

 まりあがそう問い詰めると、黒いドレスの少女はくすくす笑って、唇を開いた。

「私は妖魔乙女、イーヴィル・ナイトラベンダー」

「妖魔乙女……!?」

 少女は背中の黒い翼で空に羽ばたくと、屋上の柵に座って黒いリボンに包まれた長い脚を組んだ。

「さあ、思い知りなさい聖心乙女。天使の力なんて全てが偽者だってことをね!」

 悪魔が再び狂ったように踊りだして、学校中に響く声で吼えた。

『進め、俺の友達! 聖心乙女をやっつけろ!』

 濁った光が学校中に降り注ぐ。すると、校舎の中の生徒が軍隊のように行進しながら昇降口から出てきて、西門に向かって突進する。全校生徒約五百人が、まりあめがけて襲い掛かってきた。


 ―☆☆☆―


 まりあを見失ったかなえは、きょろきょろと辺りを見回していた。

「まりあちゃん、どこに行ったんでしょう……」

 もしかして、誰かを助けようとして危険な目に遭っているのではないだろうか。かなえの胸の中に言い知れない不安が渦巻いて、かなえは俯いた。


『かなえ、あの子を助けたい?』


「えっ、今、誰かなにか言いました?」

 突然響いた小さな声に顔を上げると、二等身の少女が二人、ぽかりと浮かんでいた。

「よ、妖精さん……?」

 白い服の少女が、小さな手でかなえの指を掴んで引いた。

『詳しいことは後。カナは、あの子―まりあを助けたい?』

「まりあちゃんに何かあったんですか!?」

『あの子は〈聖心乙女〉なの。だから今、悪魔と戦ってる。きっとカナの力を必要としてるわ』

 黒いほうの少女が言った。聞きなれない言葉の数々に、かなえは戸惑う。

 けれど、誰かのためにまっすぐ駆けて行ったまりあの後ろ姿を思い浮かべて、ぎゅっと手を握り締めた。

「カナは……もし、まりあちゃんの力になれるなら、まりあちゃんを助けたいです!」

 そう、ララちゃんがかなえの心を煌かせてくれるように、かなえもまりあに光を届けたいと、ずっと思っていたのだ。かなえは胸の中に力強い明かりが灯ったのを感じた。

『それなら、ついてきて!』

 かなえは白い少女に連れられるままに道を急いだ。


 ―☆☆☆―


『お、おい! やべーぞまりあ、これ死ぬぞ!』

「ヤバいってことくらい私が一番よく分かってるって!」

 とりあえず上空に逃げたものの、先ほどと違って子どもたちは手に銃を持っている。悪魔の力が強まり、操られた生徒たちの力まで上がっているのだ。まりあは必死に翼を羽ばたかせて、校庭から撃ちこまれる闇の弾丸を避けた。

「ど、どうしよう……!」

 まりあが戸惑っていると、〈孤独の悪魔〉が鳥かごと一緒にくるくると回りながら空中に浮き上がった。

『〈友情〉なんて信用ならないもの、もういらないっ! トモはずっと、孤独の中で生きていくんだ!』

 悪魔に鋭い蹴りを入れられた。まりあは両手でそれを防いだものの、勢いよく屋上に墜落した。

「うぐ……っ」

 痛みに顔をしかめる。間髪入れずに悪魔が屋上に降りてきて、銃の先端をまりあに押し付けた。

『あら、意外と簡単に決着がついたわね。やっぱり偽者の力はその程度ということよ、聖心乙女』

 柵に座ったナイトラベンダーはまりあの様子を見てくすり、と小さな笑みを見せた。


「ま、待ってくださいっ!」


 そのとき、正門から声が聴こえた。悪魔の注意が逸れた隙にまりあが身を起こして見ると、正門には小柄な少女が立っていた。その手にはまりあが持っているのと同じコンパクトミラー。

「かなえ!?」


「ホーリーコネクト!」


 コンパクトから光のリボンが飛び出し、かなえの全身を包む。リボンが解かれると、細い足はふんわりと丸いスカートに包まれ、背中にはまりあと同じ白い羽が生えていた。最後にふわふわ内巻きヘアーの両端に光のリボンが結ばれ、かなえはゆっくり目を開く。


「明日に夢みるよろこびを! 聖心乙女、ホーリー・ドリーミングシトラス!」


 かなえはリボンのついたバトンをぎゅっと握り締めると、白い翼で屋上に向かって羽ばたいた。

「聖心乙女が二人!?」

 ナイトラベンダーが初めて表情を崩す。まりあは状況が掴めずにただ光に包まれたかなえを見つめた。

「う、うそ……かなえも聖心乙女に……?」

「まりあちゃん! いま助けますから! えーいっ!」

 かなえはバトンの七色のリボンを伸ばすと、悪魔から銃を奪い取り、まりあを光の網に掬い上げた。

 屋上に着地したかなえは、悪魔に向かい合って杖を向けた。

「まりあちゃんに……カナの親友に、ひどいことしないでくださいっ!」

『親友……』

 悪魔はかなえが発した〈親友〉という言葉に、ギリリと歯を食いしばった。

「そう、親友です。まりあちゃんはカナの親友。親友に光を届けたい、それが、カナの今の〈夢〉!」

『嘘だっ! 友情なんて嘘なんだ。俺はずっと寂しいままなんだ!』


 ―寂しい。俺、一人が怖い……。


「今の声……今の声が、あなたの本心なんですね」

 ガンガン、バキッという激しい音がして、屋上のドアが破壊され、銃を持った生徒たちが流れ込んできた。生徒たちは校庭から屋上まで階段を上ってきていたのだ。

 まりあに銃口を向ける生徒たちを、かなえはリボンで拘束した。

「かなえ、ありがとう」

「いいえ、この子たちはカナに任せて、まりあちゃんは悪魔を……!」

「うん!」

 まりあは悪魔に向かって矢をつがえる。矢が光を帯びる。まりあが弓を引いた、その瞬間。


「トモーっ!」


 かなえが押さえつけていた子どもたちの集団の中から、大きな声が響いた。

 かなえのリボンを潜り抜けた少年は銃を投げ捨てると、鳥かごに駆け寄った。

「トモ! さっきはごめん、トモ。また誘ってやるよ。ちょっとムカつくとこもあるけど、俺、昔も今も、お前と遊ぶの好きだよ。だから、そんなとこに閉じこもんなよ。泣いてんじゃねえよ……」


 ―ゆう……


 まりあはやっと気がついた。この少年こそ、トモとけんかしていたゆうなのだ。まりあが説得するまでもなく、トモにはずっと、トモを見ている親友が側に居たのだった。悪魔を見ると、呆然と動きを止めている。踊らなくなった悪魔の手を、まりあはそっと取った。

「本当の親友、いたじゃん。今度こそ、大事にしてあげなよ」

 悪魔はくしゃっと顔を歪めた。そして、美しい雫を貯めた瞼をゆっくりと閉じる。


 ―俺もごめん、ゆう……。


『彼の天使は〈友情の天使〉。本当の友情に気がついたとき、彼は優しくなれるのですね』

 まりあの中のローズが呟く。かなえの悪魔と同じように、〈孤独の悪魔〉の姿も光に溶けていった。ゆうが鳥かごに触れると、鳥かごはすっと消えて、その手はトモの左手を握った。


 ―☆☆☆―


 悪魔が消えると子どもたちは教室へと戻っていき、屋上に、まりあとかなえ、それからイーヴィル・ナイトラベンダーが残された。

「……へぇ。まさかこの町に聖心乙女が二人も現れるなんてね」

 まりあは黒い少女に向かい合って問いかける。

「あなたは何者?どうして悪魔を助けるようなことをするの?」

 黒い少女は一瞬目を伏せて、不気味な微笑みに口元を歪めた。

「……愛する人の為よ」

「えっ!?」

 まりあとかなえは意表を衝かれて顔を赤くした。

「……とでも言えば、満足かしら。つまらない質問ね、聖心乙女」

 黒い手袋に包まれた手を口元に当ててまりあたちを一瞥すると、ナイトラベンダーは黒い翼を空に広げ、つま先で屋上を蹴って舞い上がった。

「なかなか楽しかったわ。また会えます様に」

 妖しい笑い声とともに、彼女は空の向こうに消えていった。


 まりあとかなえの変身が解けると、ローズが二頭身の姿になってまりあに真剣な視線を投げかけた。

『……まずいですね。妖魔乙女がいるということは、また今日のように強力な悪魔が現れるかもしれません。そうなると、聖心乙女も一人では太刀打ちできません。まりあさん、かなえさん、どうか二人で、この町の人々の心を救ってくださいませんか』

 二人の心はもう決まっていた。目と目を合わせて頷くと、どちらからともなく手を繋いだ。

「かなえと一緒なら、やってもいいよ。聖心乙女」

「カナも。まりあちゃんの、この町の力になりたいです」

 この日から、〈優しさ〉の聖心乙女と〈夢〉の聖心乙女、二人の聖心乙女の闘いが始まった。


 ―☆☆☆―


 十字坂町の最北に位置する展望台、その頂点に飾られた大時計の上に、ナイトラベンダーは降り立った。

 手鏡を取り出して開くと、月の光を浴びてきらりと光る鏡の中に、一人の若い男の顔が浮かび上がった。

(どう? 〈悪魔の手下〉は作れそう?)

 妖魔乙女は青白い顔をさっと伏せて、震える声で応える。

「……ごめんなさい。邪魔が―二人目の聖心乙女が現れて、天使が力を取り戻してしまったの」

(なーんだ。残念。君って結構役立たずだね)

 妖魔乙女はぎゅっと唇を噛んだ。瞳に滲んだ涙がこぼれないうちにと、俯いたまま早口で言う。

「つ、次は……っ、次こそは必ず、〈悪魔の手下〉を―天使が死に、心に悪魔だけを持つ人間を生み出してみせるわ。マコト、あなたの望みの為に……」

 ナイトラベンダーはコンパクトを閉じると、コンパクトの端にそっと口付けた。

 翼を広げて展望台から飛び降りる。夜風を切って、人通りのない道に降り立った彼女は、くすんだ桃色のワンピース―聖アンジェ女子中学校の制服姿になっていた。夜の色をした長い髪が、翼の消えた背中にはらりと落ちる。


 夜道を駆ける少女のポケットの中で、男は笑う。


(そうそう。そうでなくっちゃ。僕は従順な君が好きだよ、夜永いのり)

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