13. 告発

 部屋の壁一面に、リストアップされた有機資源たちの行動記録が映し出されている。起床から就寝まで、有機資源を見張るために街中に設置された監視カメラが記録した映像だ。


 マコトの虚ろな目が、それをガラスのように反射させている。この部屋で作業を開始してから既に数日が経過しているが、一向にスパイらしき有機資源は確認できていない。ただ悪戯に体力を消耗するだけで、成果は全くなかった。


「あとどれくらい残ってるの……」

「進捗は二十五パーセントです」


 がっくりと項垂れながら、マコトが目を閉じた。眠っても作業は終わらないし、情報は増え続ける。だが、もうこれ以上仕事を継続しても効率が良くなることはない。マコトは思い切って、目の前で映像を展開しているAIに話しかけた。


「休息申請って出したら通る?」

「この調査の終了条件は「不穏分子の発見」と設定されています。中断するという選択肢は用意されていません」

「……見つからなかったら?」

「質問の意味が理解できません」


 ずっとこの調子だ。外に出してもらえないのは、想像以上に堪える。肉体的ももちろんだが、窓も出口もない圧迫感が何より心に重くのしかかってきた。


 ここは独房だ。留置所のように、有機資源の情報を逃さないようE-terが誂えた檻だ。自由はなく、ただ管理されるだけの世界。E-terシステムが支配しているこの社会と似ている。


 マコトは椅子から立ち上がり、軽く伸びをして身体をほぐした。何もせずにただモニターと向き合っているよりは気が楽になる。腕、背中、肩、脚と念入りにストレッチをして、凝り固まった筋肉を何とかリラックスさせた。ここには時計がないので正確な時間は分からないが、ぐう、と空腹を訴える身体がもうすぐ夜の配給が来る頃だと伝えていた。


 その予想は正しく、夜の配給が届いたのはマコトが作業を再開してからすぐの事だった。届けに来たのは、ホームヘルパーシステムが搭載されたドローンだ。積載量が多く、エネルギー消費も少なくて済むタイプだろう。家庭用に作られている丸いフォルムではないシルエットからそう判断した。


「本日の配給です」


 小包が床に落とされる。ドローンからもまともな扱いをされないのか、とマコトはげんなりした。


 ドローンが去っていった後、マコトは皴の寄ってしまった小包を拾い上げた。中身を検めれば、飲料水のボトルとゼリー飲料のパウチが出てくる。パウチは破損していなかったが、ボトルは落ちた衝撃で凹んでいた。


「これはまぁ、作業が捗りそうだ」


 皮肉を込めて呟いた。それでも、課せられた仕事をこなさなければ待っているのは身の破滅だ。E-terの下で暮らしている以上、その常識から逃れることはできない。

 マコトは、パウチの蓋を開けて口をつけた。作業はまだ残っている。




 作業の終わりは唐突に訪れた。仮眠を取ろうか悩んでいたマコトが鈍る頭を振り、目をこすっていると、とある映像を映し出したモニターに視線が引かれた。


 そこには、一人の男性が写っている。左上に小さく表示された録画時刻は夕方の作業中だ。至って普通の映像だが、マコトの目が見ていたのはそこではない。

 彼の手元。持っているのは仕事用の端末だ。マコトがいつも使用しているのと同じ型で、画面から薄く明かりが漏れている。本来なら端末と点検するサーバーを無線で接続すればいいものを、男性はなぜか有線で接続している。


「何で有線……?」


 疑問符を浮かべながら、眠気が覚めたマコトはモニターに顔を近づけて確認する。男性が端末で何を操作しているのかが視認できるまで画面を拡大し、解像度を上げた。そこに映されていた文字列に、マコトは見覚えがあった。


「……暗号だ」


 それはフェンリルが開発し、「蟻」としてテロを鎮圧したマコトがサンプルのために回収した暗号だった。既に解読が終わっているそれは、スキャンにかければ内容がすぐに明らかになる。


「[入口ヲ確保][〇二〇〇決行][実行部隊ハ決行前ニ、アオイヲ留置所カラ奪還スベシ]」


 内容を読みながら、マコトの表情はどんどん険しくなった。これは、あのテロの下準備を撮影したものだ。「留置所のアオイを奪還」ということは、これはあの乱闘騒ぎでマコトとアオイがPSに連れていかれた後の出来事だろう。


「この情報の送信先は……ダメだ、妨害されてる」


 コンソールを指で弾きながら当時のログを遡り逆探知を試みるが、当然のことながら対策が講じられている。マコトは逆探知を諦めて録画の続きを見た。


 男性は辺りを警戒しているようだった。しきりにきょろきょろと周囲を見ながら、暗号を回線に有線に仕込んでいる。やがてそれが終わったのか、彼は接続していたケーブルを外して去っていった。


「この男性有機資源の情報出して」

「……こちらになります」


 PDMシステムの音声と共に、男性の顔写真と詳細な個人情報が表示された。マコトと同じエリアで働いている有機資源だ。


 ≪キョウヤ Eクラス有機資源。第十一エリア担当。主な仕事はE-terインターネット回線のシステム整備、及び機材整備。幼生有機資源教育機関「アテナ」での学業成績は可。職員への反抗など、素行不良によりEクラスへの所属とする≫


「キョウヤ……あいつもレジスタンスだったんだ……」


 誰に言うでもなくマコトは独り言ちた。キョウヤとコンビで仕事をしたことは数えるほどしかないが、それでも彼はマコトにとって共に働く仲間だ。「蟻」の仕事で告発せざるを得なかったアオイも、馬は合わないが協働意識はあった。


 ……――また、私は仲間Eクラスを売るのか。


 マコトの胸中に、失望に似た影が広がる。Eクラスの有機資源社会を構築する部品として、裏切り者不良品を処理しなければならないのは分かっている。E-terがマコトに任せた仕事がそういうことだとも理解している。


 だが、それでもマコトは躊躇っていた。彼女の中にある良心と、E-terに対する忠誠がせめぎ合ってその胸をぎしりと軋ませる。掌に載せられた告発用の通信機をどんなに握りしめてもそれが壊れないように、E-terの支配から逃れることはできない。


「E-terに逆らうことは許されないなんて、分かってるよそんなの……」


 項垂れながら、マコトが呟く。コンソールに拳を叩きつけてもその事実が覆ることはないし、マコトがE-terのために動く未来が変わることはない。それでも。

 マコトは、俯いたまま言った。


「外に、出たい」

「申請理由の提示をお願いします」


 返答があった。顔を上げれば、PDMシステムがマコトの音声を拾ったらしい。部屋の中央に置かれているモニターには、「音声入力中」と表示されている。


「……ここから出たいの。出て、ちゃんと話を聞きたい。スパイは見つかった。でも、私はその人が本当に望んでE-terに逆らったのか分からない。もしかしたら脅されていたのかもしれない、何か事情があったのかもしれない。だから」

「却下します」

「っ、なんで!」


 高ぶった感情のままに問いただせば、モニターから無機質な返答が返ってきた。


「作業終了まで部屋のロックを解除することは許可されていません」


 声色と同じように、冷たい返事だった。


「規則だから、それは覆らないってこと……?」

「その通りです」


 マコトの中の失望が、絶望に形を変える。システムE-terの判断を部品有機資源ごときが曲げることはできない。分かっていたが、それでもやはりショックは大きかった。


 だが、PDMシステムの言葉には続きがあった。


「E-terのメインサーバーは「有機資源」についての情報を収集しています。特に現在は「感情」の動きを研究し、それを活用する方法を模索しています」


 マコトは驚いてモニターを凝視した。システムが質問の返答以外に情報を出すところなど今まで見たことがないからだ。

 PDMシステムは話を続ける。


「識別番号e3839ee382b3e38388あなたの見解は非常に興味深いものです。不穏分子がシステムの脅威になると分かっていながら、それを見捨てられずにいる。それをE-terシステムは「葛藤」と定義することにしました」

「なに、を」

「仕事を行う有機資源には、正当な対価を支払う必要があります。新たな情報獲得に貢献した有機資源マコトとその「葛藤」に、E-terシステムは一部あなたの申請を受け入れることに決定しました」


 マコトの腰につけていた端末から、小さな電子音が鳴る。この個人情報管理室は情報漏洩を危惧して、外部からの電波を遮断する構造だったはずだが、E-terにそんな細工は通用しないらしい。


 端末の画面には、「Unknown」とタイトルがついたタイマーがセットされている。まだ作動はしていない。


「タスク終了をこちらで確認してから、一定の猶予を設けます。カウントダウンはあなたの端末に表示いたしますので、それを確認の上で行動してください」


 つまり、これはE-terがマコトに与えた選択の自由だ。スパイの名を告げた後に部屋を出てキョウヤに真意を聞くも良し、彼に何も尋ねずに見殺しにするも良し。システムは彼女にそう言っている。


「E-terへの敬愛をお忘れなく」


 いつも通りの言葉を残し、モニターから流れるPDMシステムは沈黙した。先ほどまで映し出していた有機資源たちの映像も消え、部屋の中央で「静止中」とだけ表示されたモニターの明かりがマコトを照らしている。


 マコトはしばらく黙りこんでいたが、やがてゆっくりと握りこんでいた手を開く。長く触れていた小さな装置は、マコトの体温ですっかり暖かくなっていた。


 大きく息を吸い込み、マコトは、中央のボタンを押して、囁いた。


「裏切り者の名前は――……」

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