12. 密偵

 日中。今日のマコトに課された仕事は回線の定期点検だ。先日設置したばかりの防御システムは正常に作動していたので、今日の仕事は比較的に易い。だが、そんな常より軽い仕事内容を与えられてもマコトの心は軽くはならなかった。


 ……――少し、大人げなかったかな。


 自分の言動を顧みて自己嫌悪に陥りながら、マコトは静かにため息を吐いた。まだクラスも与えられていない子供幼生有機資源を相手に、自分は何を言っているのだろうか。

 あの後マコトは一人で自分の部屋に戻った。Eだから、最下層の有機資源だから、と言われることには慣れていたはずなのに、ユズリに言われるとどうしようもなく心が乱れてしまう。


 だからといって、もう端末は返してしまった。彼と連絡を取る手段はない。


「謝ったほうがいいのかな……」

「何がだ?」


 マコトの独り言に、隣で作業をしていたタイガが返事をした。


「ちょっと、色々あって」

「ほーう。マコトがそうやって悩んでるのは珍しいな」

「私だって悩みの一つや二つくらいあるし」

「そうは言っても、お前そうやって顔色に出さないだろ」

「……まぁ、否定はしない」


 マコトは顔を隠すように帽子を深く被りなおすが、それはタイガに奪われた。帽子を取られたマコトは不機嫌なのを隠さずに睨みつけるが、タイガはそんなことお構いなしだ。


「話してみろって」


 ニコニコと笑っているが、タイガがあきらめる様子はない。だが、マコトがため息を吐いてユズリのことを話そうとした瞬間、作業部屋にEクラス有機資源ではない誰かが入ってきた。


「識別番号、e3839ee382b3e38388。出てきなさい」

「あ、はい。私です」


 自分の識別番号を呼ばれたマコトは、慌てて立ち上がる。

 入り口付近に立っていたのは、以前マコトを留置所まで迎えに来た「蟻」の上官だった。


「あなたは……」

「仕事です。最優先ですので、ただちに作業を中断して移動をお願いします」


 感情を持たず、上官はただ淡々と用件だけを伝える。先ほどまで賑やかに作業していた周りのEたちは皆すっかり静まり返ってマコトと「蟻」の上官を見ていた。


「……ごめん。話はまた今度」

「お、おう」


 タイガにぽつりと言いおいてからマコトは作業を中断させて上官のもとに歩み寄る。会話もなく、二人は作業部屋から出て行った。

 上官がいなくなったことを確認してから、またEたちがざわつき始める。


「あいつ、「蟻」の偉い奴だろ? テロでもあったのか」

「でも今回線を確認しても何もないぞ」

「こっちはリアルタイムで観測してるから変なことがあったら一目でわかるのにな」


 各々の考えを垂れ流しながら、彼らは作業を続けた。その中でタイガはしばらく黙っていたが、彼もまた作業に戻るのだった。





 「蟻」の上官の後ろを歩きながら、マコトは彼に話しかけた。


「今日の招集はどういった用件なんですか」

「先日あなたが提出した疑似ウィルスと新セキュリティプログラムの動作レポートを拝見しました。ファイアウォールから故意に抜け出そうとした疑似ウィルスの件です」


 その言葉を聞いて、マコトの脳裏に先日の防衛テストの記憶が浮かんだ。だが、「蟻」の上官に呼び出されるほど重大な事故ではなかったはずだ。マコトは疑問に思いながら、上官の言葉を待った。


「あのレポートを受けて、我々「蟻」はあの防御システムを設置した有機資源の中に何かしらの細工を行ったモノがいると判断しました」

「……テロリストの、スパイってことですか」

「そうとも言えます。あの新しいセキュリティプログラムに使用した疑似ウィルスは、まだ一般にその存在を知られていません。しかし、あなたのレポートにあった内容をこちらで再現し、破損した疑似ウィルスのソースコードの断片を採取したところ、明らかに改ざんされた形跡がありました。防御システムを突破し一般回線に乗ってインターネット接続トラブルを引き起こすように指示がされていたと我々は推測しています」


 マコトは、上官の話を聞きながら頭の中で考えを巡らせていた。


 きっとそのテロリストはアツオが率いるレジスタンス「フェンリル」だろう。もともと、前回のテロで使用されたウィルスは彼らが開発したものだ。そこにほんの少し手を加えて新しい指示を出すことは、恐らく難しくない。


 確かに、マコトが見たあのウィルスは挙動がおかしかった。回線に乗って重要機関を攻撃しようとする通常のウィルスの動きとは違い、あれはファイアウォールを破って外に出ようとしていた。


『マコト、お前もフェンリルに入れ』


 アツオの言葉を思い出し、マコトは唇を噛んだ。アツオが言っていた次回の強襲まで、あと数日ある。それまでに、彼女は答えを決めなくてはいけない。しかし、マコトの胸中にあるのは困惑と躊躇だった。


「今回の件を重く見た「蟻」の上層部は、プログラムの設置に携わった有機資源の素行調査を開始することにしました」

「素行、調査……?」

「えぇ。既に疑惑のあるメンバーはリストアップしています。監視カメラの追跡を強化し、日々の作業通信も傍受して機械的に確認していますが、成果は芳しくありません。テロの後は追跡を警戒しているのか、その尻尾を出す素振りも見せない」


 耳を疑った。いくらE最下層でも、プライバシーは存在する。それを、E-terを守るという大義名分で秘密裏とはいえないがしろにしていたということか。守るべきはシステムであり、有機資源はあくまでそれに奉仕するだけ。今の世の中は、そういう回り方をしている。


「それで、どうして私が呼ばれたんですか」

「分かってて聞いているでしょう」


 上官は冷ややかにマコトを見た。歩いている足は止まらない。マコトはその時、彼が自分をどこに案内しているか気が付いた。


「いくらE-terからの許可があるとはいえ、これは誰が見ても違法行為です。例えテロリストが相手でも保護されるべき情報はあるでしょう。そのため、Dクラスの「蟻」職員は全員この仕事を拒否しました。彼らはEのあなたとは違い仕事を選ぶ権利がありますし、汚れ仕事ですから当然でしょうね」


 上等な革靴の踵を鳴らし、上官が立ち止まった。そこは、Aクラス以上の有機資源でないと原則入室を許可されないセキュリティールームだ。


「あなたに課せられた仕事は簡単ですよ、マコト」


 マコトは、ごくりと唾を飲み込んだ。彼女は知っている。

 この部屋には、全ての有機資源の個人情報を管理しているE-terのサーバーが置かれていることを。




 上官が壁に埋め込まれた装置にパスコードを入力するのを、マコトはただ見るしかなかった。パスコード、網膜認証、掌紋、声紋と何度も要求される情報に、上官は慣れた手つきで応答していた。


 やがて、全てのセキュリティをクリアしたのか扉が小さな電子音を立てる。


「こちらへ」


 促されるままに開いた扉をくぐり、マコトは入室した。そこは椅子と、モニターと、コンソールが中心に置かれているだけの飾り気がない部屋だ。

 マコトが椅子に座ると、モニターが生体を検知して点灯した。ゴーグルをかけようとすると、上官に制止される。


「それは必要ありません」

「そうなんですか?」

「今回の仕事で重要なのは、速さではなく正確さですから」


 その言葉と同時に、モニターに「起動」の文字が浮かぶ。表記がアルファベットではないことに、マコトは驚いた。

 基本的にE-terがネット回線で使用するOSオペレーションシステムは文字の表示を英語にしている。コンピューターのための言葉、とアテナの職員が子供幼生有機資源に教示していたのをマコトは覚えていた。


個人情報管理Personal Data Managementシステム、起動。生体反応、確認。警告、未登録有機資源の使用を探知しました」

「特例コード「イスカリオテの接吻」を使用します」


 上官の声を受け、PDMシステムはしばしの沈黙を保った。


「……確認致しました。初めまして、マコト」


 名を呼ばれ、マコトは肩が揺れる。次の瞬間、薄暗く何も置かれていなかった部屋の壁一面に投影されたホログラムの映像が流れだす。


 映っているのは、マコトと同じ場所で働いているEクラスの有機資源たちだ。


「今回のあなたの仕事は、この画面に映っている有機資源の中にいるテロリストのスパイを発見することです。ここでは情報ログ、傍受した通信、二十四時間常時追跡している監視カメラ……あらゆる個人情報の閲覧が行えます。不審な行動を起こす有機資源を発見次第、こちらへ連絡を」


 上官は制服の胸元から小型の装置を取り出した。傍から見れば、ただの小さな半導体だ。


「この装置の中心にあるスイッチを押しながら、テロリストの名前を呼んでいただければ結構です。あとは治安維持部隊が処理します」


 床に投げられたそれを、マコトは拾えずにただ見ていた。その様子に上官は眉をひそめたが、言及するつもりはないのかそのまま部屋の扉に向かった。


「裏切者が発見されるまで、あなたにはこの部屋で作業していただきます。必要な生活物資はその都度配給しますのでご安心を。それでは健闘をお祈りします。E-terへの敬愛をお忘れなく」


 その言葉とともに、扉が閉ざされる。部屋には個人情報管理システムと、そしてマコトだけが残された。

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