8. 母親

 ゴーグルに映る情報を頼りに、回線を何度も行き来する。E-terが新しく提示した機密防衛システムはマコトが想像していた以上に厳重で複雑なものだった。頭の中の葛藤をかき消すように必死に手を動かしていると、隣に誰かが来る気配がする。


 顔を上げれば、そこにはタイガがいた。無線接続された端末を持ちながら、どすんと重い音を立ててマコトのすぐ脇に腰を下ろす。マコトは一瞬手を止めたが、タイガが自分の作業を始めたのを見て自分もまた仕事に集中した。


 ふと、タイガが口を開く。


「いくらテロがあったとはいえ、ここまで厳重にするか? さすがにCクラスの回線に敷く警備のレベルじゃないだろこれ」

「うーん……新型ウィルスにそこまで警戒してるってことなのかな……」


 隣で作業をするタイガに対して、マコトはぼんやりと返事をした。ゴーグルの内側に展開されている情報に忙しなく視線を動かしながら、タイガとの会話を続ける。


「昨日のテロも相手は新型のウィルスを使ってきたからさ。プログラムの概要も軽く確かめてみたけど、やっぱりアンチウィルスがメインって感じだった」

「大概の攻撃には耐えられるよう俺たちが整備してるのにその様か」

「きっと必死なんだよ」

「そういうもんか?」

「知らない。私はテロリストじゃないから」

「ははっ、違いない」


 マコトの不安など知らないように、タイガは笑って作業を進めている。ふと、マコトの疑問が口から洩れた。


「タイガはさ」

「ん?」

「E-terって、何だと思う?」


 唐突な問いに、タイガはゴーグルの奥の目を見開いた。マコトは努めてそれを見ないように、目の前に表示されているウィンドウを見つめ続けている。タイガは一瞬唸って考え込んだが、うまく言葉にならなかったのか頭を掻いた。


「いざそうやって言われると思いつかねえな。E-terって、俺たち有機資源が生きていく上で絶対に必要なもんだろ? こう、「脳みそって何?」って聞かれてるような感じだな」

「脳みそ?」

「おう、脳みそ。生きるのに一番必要なのは脳みそだからな」


 タイガは自分の手を何度も握ったり開いたりして、それをマコトに見せる。


「E-terが開発した医療技術ってのはすごい。足が取れようと腕がなくなろうと、本物と見分けがつかないくらい精巧な義手やら義足をつけてくれる。内臓だって、遺伝的な病気が発症したとしても、体外再生医療でダメになった臓器と新しい方を取り換えてくれる。しかも、この制度は申請が通れば俺たちEだって利用できるんだ。だから、身体が壊れたってすぐに治してもらえる」

「うん」

「身体はすぐに治せる。でも、E-terの技術を持ってもまだ脳みそを治すことはできないからな。絶対に代わりのない存在がE-terだから、それと脳みそが似てるって思っただけだ」

「そっか」

「マコトは?」

「え?」

「だから、E-terだよ。お前にとってE-terってなんだ?」


 今度はタイガから飛んできた問いにマコトが手を止める番だった。

 E-terとは何か。タイガはかのシステムを「脳みそ」に例えたが、マコトの中に果たしてその回答はあるのだろうか。

 マコトは、目の前で秒単位で目まぐるしく変わる情報から逃れるように目を閉じた。


「E-terか……難しいね。私にとって、E-terがなくてはならない存在なのは、タイガと同じ。でも、脳みそって言われるとなんか違う」

「ほう?」

「そもそも、私たちって有機資源じゃん。E-terのために生きて、システムを整備したり警備を厳重にしたり、他の有機資源の世話をして間接的にE-terに奉仕したり、自分よりクラスの低い有機資源をまとめて行動を統一したり。AとかBとか、クラスの高い有機資源はE-terの提供する暮らしに満足してるし、私たちみたいなEは生活に不満もあるかもしれない。……ごめん、言いたいこと上手く言えない」

「いや、マコトの話面白いぜ。続けて続けて」

「うん……それで、E-terはそういう仕事の成果と引き換えに、ご褒美じゃないけど配給って形を示してる。質に差はあれど、やっぱりそこは平等でしょ」

「そうだな」

「……もしかしたら、E-terはおかあさんなのかもしれない」

「おかあさん?」

「おかあさん。女親。私を形成している性染色体の提供者。有機資源私たちってさ、一定年齢に達した有機資源から提供された卵子と精子の体外受精で、培養装置から生まれてくるでしょ? だから本当の親が誰だかなんて知らないし、知る必要もない。だって、本当の親が自分と違うクラスだったら絶対に問題が起きるから。E-terが脳みそを再生できないように、まだあのシステムは有機資源の感情をコントロールする技術なんて持ってないんだもん」


 マコトは、がりりと親指の爪を噛んで話し続ける。


「悪い事をしたら処罰って形で叱ってくれて、ちゃんと仕事できたら配給の質を上げて褒めてくれる。やらなきゃいけないことを教えてくれて、「あなたの生活はこうですよ」って道を示してくれる。有機資源が余計なことを考えなくてもいいように、先回りして計算された未来に導いてくれる。「アテナ」の教材が定義してた「母親」が正しいなら、やっぱり私にとってE-terはおかあさんだから」

「なるほどなぁ。マコトの意見も何となく分かるかもしれん」


 ふーむ、とため息に似た納得の音をタイガが吐いた。その時、背後から怒鳴り声がかかる。


「おいそこの二人! ぴーちくぱーちく喋ってないで仕事しろ! いつまで経っても終わんねえぞ!」

「うえ、分かってるよ」

「ごめん、すぐやるから」


 慌てて二人は作業に戻った。

 今度は、彼らの間に言葉はなかった。


 視界の半分を埋めるE-terからの指示ファイルには、暗号化された回線の番号と組み込むコードが所狭しと並べられている。解読プログラムを上から重ねてみれば、対応する光点が同じ色で点滅した。


「音声認識システムを再開しました」

「とりあえず一番手近なところから始めよう。P085から開始」

「表示します」


 ゴーグルから聞こえる音声に従って、マコトの指が端末の画面を叩く。光点を拡大し詳細を表示してから、指示ファイルに載っていたコードを選び取ってパッチを当てていった。単純な作業だが、同期に時間がかかるためどうしてもスピードは落ちる。


「完了まで少々お待ちください」


 ただ作業の進行状況を伝える女声が耳に入った。マコトは欠伸を噛み殺しながら、目の前のプログレスバーの緑が満ちるのを待つ。数分の間を置いて、やっと「Completed」と表示された。この調子では、本当にしばらく帰れないかもしれない。


「いくつか並行しなきゃダメかな……。接続先を増やせる?」

「確認いたします……現在の端末のバージョンですと、接続先は最大三点まで増築可能です」

「それでいいや。足増やして」

「確認いたします……許諾確認。無線接続によるコントロール先を増やしました」


 途端、マコトの視界は薄緑の線によって三分割される。どれも異なる座標を示したマップは、暴力的な情報量でマコトの目を襲った。


「うっへえ……」


 映像酔いを起こしそうになる己の目を何とか見開き、右端から順繰りに処理を始めた。


「こっちは、このコード……うわ、ここ穴空いてる……待ってる間に修復だな……」


 ブツブツと呟きながらも、マコトの指は止まらない。作業中、思考を整理する時に思ったことが口に出てしまうのは、マコトの悪い癖だった。


「目が追い付かない……完了時は音で知らせて」

「了解しました」

「あと簡易修復用のコードを展開申請。今使える奴で一番丈夫なのってどれだっけ」

「確認いたします。現段階でマコト様が使用できる修復コード一覧はこちらです」

「使用頻度順に再整列」

「少々お待ちください……再整列いたしました」

「一番上の使用許可を申請します」

「声紋を確認いたしました……ロック解除。使用の許可が下りています」

「そりゃどうも」


 ツールバーから降りてきた赤い十字のアイコンに触れ、指示ファイルにはない座標に張り付けてdrag-and-dropいく。視覚情報の多さに、マコトは脳が揺れるような感覚を覚えた。


 やはり、今日は帰れそうにない。

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