1リットルの鼻水

乳酸菌飲料

第1話

「先週までの寒さは無くなり、暖かい日が続きそうです。


 朝のニュースは死刑宣告を意味している。

 今日は月曜日、今週は大変な地獄になる。


「ついにやって来たか」


 この時期(とき)のために準備をして来ている。マスク、ゴーグルを装着する。帽子、薄手のコートを着用して戦場へでる。


 大学の警備員に止められる。毎年のことだ。

 胸ポケットからカードをチラ見せすると、警備員は一礼して通してくれる。



「おはよ、高木くん。今年も辛い戦いの時期になったね」


 俺とどっこいどっこいの重装兵が声をかけて来た。


「おはよ、月宮さん。観測所によると例年より戦いはシビアになるらしいよ」


 敵は例年の2倍に登ると言う。


「そのニュース見たよ。だからポケットタイプの弾丸を用意してきたんだ」


 こいつは……死ぬな。

 我々はポケットタイプでなく、かさばるとは言え箱タイプを準備しておくべきなのだ。痛い目にあいたくなければ。




 今日はなんとかダメージを負うことはなかった。だが気を抜いてはいけない。自宅に入る前にすべての装備を解除し、しっかりと払う。毒物は家に持ち込んではいけないのだ。マスクの外側を内にして、折りたたんでから捨てる。これがルーティーン。

 手洗いうがい、そして洗顔を済ませてから部屋に入る。




 次の週、ついに、やつの攻撃を受けた。まだ被害は少ないが気を抜くと命に関わる。

 いつものルーティーンに加えて、乳酸菌飲料を摂取することで体の中からも抵抗する。


 また次の週、やつの攻撃も本格化してきた。講義を受けている間も弾を消費する。静かに撃つことなど出来ないので、周りからはいい目では見られない。



 そして3月に入り、ついに発表される。


「今年も花粉の季節になりました。まだ飛散量は少ないですが、これから増えていく予報なので花粉症の皆さん、対策を怠らないでくださいね」


 敵兵が猛威を振るうようだ。箱タイプの弾丸を2つカバンに入れて最前線へ赴く。




「おはよー。今日もきついね」


 俺たちは、汗ばむ時期なのに、相変わらず重装備をしている。


「おはよ、今日も苦しね」



 講義が始まっても聞こえてくる、鼻をすする音と鼻をかむ音。当事者以外は不愉快だろう。申し訳ない。


(ねぇねぇ、残弾0。弾丸頂戴)


 戦友が、鼻ずまり特有のこもった声で、こっそりと弾丸を求めてくる。箱からひとつまみ程の弾丸を綺麗に出し、折りたたんで手を後ろに持っていく。

 ギリギリまで耐えていたのか、強い力で持っていった。後ろから鼻をかむ音が聞こえる。


(たすかった)


 時間を確認すると講義終了まで5分を切っていた。5分が耐えられないのが我々、花粉症重症患者(せんゆう)なのだ。

 講義が終わると花粉症重症患者(せんゆう)は各々がポリ袋を持って部屋を出ていく。廊下にあるゴミ箱にゴミ(からやっきょう)を捨てるために。


 

「私、すごいことに気がついちゃった」

 ズルっ。


「何?」

 チーン、ズズズッ。


「鼻水が出ない方法」

 ズッ。


「え、マジ?知りたい」

 ズッズッ。


「飲み物を飲まないと直ぐに止まる」

 

 そう言えば飲んですぐが1番よく出るかもしれない。

 

「俺、明日から講義前は飲まないわ」

 ズッズズッ。


「私も。あ、弾丸本当にありがとうね」

 チーン。




 飲み物なしの講義は地獄だった。

 鼻水は止まったが、喉はひどく乾くし、鼻も乾いてきた。体も火照ってくる。のど飴と相まって、口の中はニチャニチャする。頭も痛くなってきた。

 飲まないにしても、水くらいバッグに入れておけばよかった。さっきから時間が進んでない気がする。講義は始まって半分も経っていない。


 教授、ありがとう。講義を20分早く切り上げてくれて。


「死ぬ」

「自販機行こ」


 1000円入れてお茶を買う。月宮さんが隣から手を伸ばして、勝手にお茶のボタンを押した。

 文句を言うよりまずは水分(ほきゅう)だ。お釣りは後回しにして、俺らはお茶を飲む。

 俺らは一気飲みして、ペットボトルをゴミ箱に捨てる。


「脱水だわこれ」

「ね、死ぬかと思ったよ」


 冬ぶりに会話がスムーズに運ばれる。


「これはダメだ、禁術だ」

「これからはちゃんと水分採ろうね、あ」

 ブシュッ。


 月宮さんはくしゃみをして、鼻水をぷらーんさせている。

 ひーはははは、ふーひーーははははは。


「ディッジュヂョウダヴイ」


 笑いながらティッシュを分けてやる。

 チーン、ジュジュジュ。


「ひどいな、それ」


 まだ笑いが止まらない。


「これ、飲んだ分出るんじゃないの?」

 チーン


「まさか、あ」

 くしゃみでる。やばい。

 急いでティッシュを出す。


「えいっ」

 ジュッ。

「え、ちょっ」

 ヘブシッ。ぶらーん。


 月宮さんがティッシュ箱を奪い取ったせいで、俺の鼻にもブランコができた。


 チーン、ブジュジュジュジュ。


「これ、飲んだ分出るわ」

 チーン。


 サラサラの液体が喋ってる間も、鼻の中を通過している。なんなら気を抜くと垂れてくる。 


「ねぇねぇ、いつになったら帰れるの」

 チーン。


「500ml出し切ったらじゃない?」

 チーン、ジュジュ。


「なら二人で1Lだね」


 僕がドキッとした彼女の鼻は、真っ赤に染まっていた。

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