第19話

 沙参が微睡んでいると何かが開く音がした。


「おい、起きろ」


 声に促されて瞼を動かすと、眩しい光が瞳に飛び込んできた。


 沙参が両手を後ろで縛られたまま体をゆっくりと起こすと、正面の大きな窓から朝日が直接降り注いできた。太陽の光を避けるように顔を逸らすと、自分が寝かされていた物が目に入った。


「棺桶か。悪趣味だな」


 磨きあげられた木目に細かい彫刻が施され、その周囲を金と宝石で飾られている。まるで宝石箱のように見えるが、人が入れる大きさとなると棺桶にしか見えない。


「おい、顔を上げろ」


 後ろから銃を突きつけられて、沙参は光に慣れた黒い瞳を正面に向ける。複数の男たちに銃を向けられているが沙参が怯えている様子はない。

 そこに逆光を浴びながら一人の青年が歩いてきた。


「銃を下げなさい。客人に失礼でしょう」


「は、はい」


 青年の紳士的な言葉に突きつけられていた銃が収められる。沙参は後ろで縛られた手で器用にたれ耳うさぎのぬいぐるみを手繰り寄せながら、静かに青年を観察した。


 青年は長い白髪に黒い瞳をした美青年だった。白髪と言っても沙参みたいな新雪のように柔らかい白髪ではなく、銀のような鋭い光を放つ銀髪に近い白髪である。


「お怪我はありませんか?」


 王侯貴族のような優雅さで床に膝をつき、微笑みながら沙参に手を差し出す。だが、沙参はため息を吐きながら後ろで縛られている手に視線をむけた。


「失礼だと思うのなら先に縄を外せ」


 その言葉使いに青年は黒い瞳を大きくした。そして縄を外しながら咎めるように沙参に声をかけた。


「失礼致しました。ですが、女性がそのような言葉使いをしてはいけません。どのようなことがあっても、優雅さと気品をお持ち下さい」


 沙参は自由になった手を動かしながら吐き捨てるように言った。


「私は私だ。お前が私を通して誰を見ているかは知らないが、押し付けるな」


 その言葉に青年の動きが止まった。そして狂ったように笑い出した。

 沙参はその姿を静かに見ながらカツラを外し、左手にたれ耳うさぎのぬいぐるみを抱える。


「そうです。確かに貴女(あなた)は違います。似ていますが、まったく違います。」


 青年の表情が初めに見せた紳士的な笑みに戻る。


「食事の用意をしております。こちらへどうぞ」


 沙参は青年に案内されるまま部屋を出た。後ろには先ほど沙参に銃を突きつけた男がついてきている。

 石造りの頑丈な壁にランプが点々と並び、薄暗い廊下を照らしている。足下には赤い絨毯が敷いてある。小さな窓の外からは波の音が聞こえてきて、黒に近い海と少しだけ色をつけた空が見えた。


 青年が大きな木製のドアの前で止まる。その場に立っていた老齢の執事が一礼をしてドアを開けた。


「こちらへ」


 青年が手で指し示した先には、高い天井から豪華なシャンデリアと、色とりどりの花が飾られたアンティーク調の長いテーブルと椅子が並んでいた。


 壁一面にある窓の左側からは草原の先にある森から少しだけ太陽が顔を出している光景が見える。そして、そのまま視線を右へとずらしていくと断崖絶壁があり、その先にはまだ夜の色を残している大海原があった。

 黒一色の夜から、空の青、木々や草原の緑、海の藍など様々な色が目覚めていく朝を迎える。この一瞬にしか見られない自然が創りあげた芸術が眼前に広がっていた。


「美しいな」


 沙参は黒一色の空が太陽によって白、藍色、そして赤とも紫ともいえる色に変化していく風景が一番好きだった。

 ただ沙参は朝に弱いため、見たいと思うのだが早起きすることが出来ず、この風景を見ることは滅多にない。


 沙参の率直な賛辞に、青年が満足そうに頷く。


「海に沈む太陽も絶景ですよ」


 沙参は椅子に座ると、いつものようにたれ耳うさぎのぬいぐるみを膝に乗せる。そこにタイミングよく老齢の執事が食事をテーブルの上に並べていった。


 目の前に並んだ料理をナイフとフォークを使って優雅に食べる沙参の姿に、同じように優雅に食事をしている青年が声をかける。


「お上手ですね。貴女の国では箸という棒で食事を食べると聞きましたが、難しくないですか?」


「付き合いで、このような食事をすることはある。相手に失礼にならない程度の作法と礼儀は学んだつもりだ」


 綺麗な動作とは正反対の素っ気ない言葉。青年はその様子に表情を変えることなく、にこやかに話を続ける。


「会話術については学ばれなかったのですか?」


「誘拐犯に礼儀をつくしても仕方ないだろ。しかも名前さえ名乗らないような無礼な奴だ」


 その言葉に青年は食事の手を止めて頭を下げた。


「これは失礼致しました。私はセルティカ国オシスミィ領主、レグルス・クレティエンと申します。レグルスとお呼び下さい」


「私のことは知っているな?」


 沙参は食事の手を止めることなく話を続ける。その姿は自己紹介するのも面倒だと言っているようなものだ。


 そんな沙参の姿に、レグルスは不機嫌な表情一つせず丁寧に話す。


「もちろんです。大和国(やまとこく)第一(だいいち)皇女(こうじょ)、雅(みや)白(しら)姫(ひめ)、沙参様」


「そこまで知っているなら、まわりくどい話はいいな。何故、私を誘拐した?まさか、身代金が目的ではあるまい?」


 レグルスは温和に微笑みながらグラスに入ったシャンパンを口に含んだ。


「どうしても貴女にして頂きたいことがありまして」


「何をしろと言うのだ?」


「そんなに焦らなくても、時がくれば分かります。今はまだ準備が出来ておりませんので、ごゆっくりお過ごし下さい」


「人を無理やり誘拐しといて準備が出来ていないのか?最低だな。では、もう一つ聞いてもいいか?」


「私に答えられることでしたら」


「何故、教皇に血を飲ませて操った?」


 沙参の質問にレグルスは微笑みながら当然のように答えた。


「もちろん、貴女を呼んでいただくためです。貴女をあの国から呼び出せる人間は限られていますから。ですが、一つ訂正させて下さい。教皇は操っておりません。彼の性格を考えれば操らなくとも貴女を呼び出しますから。それでも貴女を呼び出すのに三年もかかったようですね」


「いや、|たった(・・・)三年と言ったほうがいいだろう。かなり脅しに近い無理な交渉をしてきたようだからな。そうでなければ私が直接こんなところまで来るものか」


 沙参は吐き捨てるように言いながらレグルスの髪を見た。白色に近いが光の角度で銀色にも変わり、染料で染めている色ではないと分かる。


 人を操れる血を持つのはモン・トンプ島に住む黒髪、黒瞳の一族のみであり、レグルスはどう見ても一族の人間ではない。と、いうことは他の誰かが血を飲ませて操っていることになる。


「血の持ち主はどこにいる?」


 突然変わった会話の内容に、レグルスは視線を窓の外に広がる朝日を浴びて輝く草原にむけて言った。


「この城で元気に暮らしていますよ。」


「会わせろ」


 レグルスは沙参の言葉を予想していたように、にこやかに微笑みながら視線を戻した。


「会ってどうするのですか?」


「そいつは自分が何をしているのか分かっているのか?自分の血を飲ませて操るということは、自分の命を飲ましているのと同じことなのだぞ。しかも教皇だけではなく、あれだけの人数に血を飲ませて操ったのだ。血の持ち主はかなり疲労しているだろ」


 沙参の言葉に、レグルスは初めて笑みを消して強い口調でキッパリと言った。


「確かに今は疲労で休んでいますが、同意の上で協力していただいています。貴女が心配する必要はありません」


 レグルスの様子に沙参は少し驚いたように黒い瞳を大きくした。


「ほう?血の持ち主に少しは悪いと感じているのだな」


 沙参の言葉にレグルスは苦笑いを浮かべながら言った。


「まるで私が血も涙もないような言い方ですね」


「実際そうだろ。なんの関係もない人に血を飲ませて操っているのだからな」


 目的のためなら手段を選ばない。人を道具として考え、不要になれば簡単に切り捨てる。知能犯の典型的な姿だ。


 だが、レグルスは沙参の言葉を気にせず微笑んだ。


「そのようなことはありませんよ。人間が彼女にしたことを考えれば、私のしていることなど些細なことです」


「彼女?」


 いぶかしむ沙参に、レグルスはにっこりと微笑んだ。


「もうすぐ会えます。楽しみにしていて下さい」


「では、それまでこの城の中を歩いてもいいか?」


 食事を終えた沙参に対して、レグルスはゆっくりとデザートを食べている。


「すみませんが、それは出来ません。先ほどの部屋でお寛ぎ下さい。部屋は自由に使われてかまいません。用事は執事に申し付けて下さい」


「……そうか」


 沙参が椅子から立ち上がる。すかさず老齢の執事がきて沙参を部屋まで案内すると言った。


「見張りか」


 沙参は老齢の執事にエスコートされるまま部屋から出ようとして、ふと足を止めた。


「レグルス」


 突然の呼び捨てにもレグルスは微笑んだまま顔を沙参に向けた。


「どうかされました?」


「何故、コンタクトで目の色を変えている?」


 レグルスを初めて見た時、あまりの見事な白髪と自分と同じ黒い瞳に同じ一族かと思った。だが、沙参の言葉使いに驚いてレグルスが黒い瞳を大きくした時、瞳孔の大きさは変わらなかった。それはカラーコンタクトで瞳の色を変えているためだ。


 瞳の色を変えるのは自由だが何故、黒なのか。どう見ても、レグルスの白髪には黒い瞳より青や緑のほうが自然だ。


 沙参の質問に、レグルスはグラスを掲げてシャンパン越しに沙参を見た。グラスという限られた範囲の中から、こちらを見る沙参の姿は彼女を思い出させる。


「彼女と同じになりたかった。それだけです」


 その言葉に沙参は何も言わずに部屋から出て行った。

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