第12話

 小さな庭には木々や色とりどりの花々、小川に池もあり、そこで毎日遊んでいた。まわりには父様や母様、鴉など大人しかいなかったが、それが当たり前だと思っていた。清潔な服に温かい食事。身の回りのことは全て執事や女中がしてくれる。

 何不自由ない生活。周囲は高い塀に囲まれ、その向こうに世界があるなんて考えもしなかった。この塀の中が全てだった。


 そんなある日、私は出会ってしまった。


「キレーな髪だな」


 その声に振り返ると七歳ぐらいの男の子がいた。


「だ、誰?」


 一歩下がる女の子に、侵入者は笑顔で手を伸ばしてきた。


「おまえの髪ってキレーだな。雪みてぇ」


 その言葉に女の子が反射的に髪を押さえる。


「さ、触らないで!」


「へ?」


「貴方の手、汚れてる」


 侵入者は泥で汚れた自分の手を見て笑った。


「悪い、悪い。こんなんで触ったら汚れちまうよな。ところで、おまえこんなところで何してんだ?」


「あ、遊んでるのよ」


「一人でか?」


「……今、みんな仕事で忙しいの。貴方こそ、誰よ?見たことないわ」


「あ?俺か?俺は勝郎っていうんだ。おまえは?」


「……沙参」


「沙参?あぁ、あの白い花と同じ名前か。いいな、よく似合ってる」


 そう言って、勝郎は屈託(くったく)なく笑った。


 これが初めて自分と同じ年ぐらいの子どもとの出会いだった。その後も勝郎はどこからか現れ、日が暮れるまで一緒に遊んだ。いつも勝郎から聞く外の世界の話が楽しくて、いつか外に出たいと思うようになっていた。





 そんな毎日が3ヶ月ほど続いた頃、ふと勝郎が姿を現さなくなった。


「どうしたんだろ?なにかあったのかな?」


 あれこれと考えるが何もわからず、一人で過ごす時間が過ぎていく。


「外に出て探そうかな?でも、どうやったら出れるんだろ?」


 そんなことを考えていると、ふいに窓を叩く音がした。


「なに?」


 沙参が窓際に近づくと、そこには勝郎がいた。


「勝郎!」


 沙参が嬉しそうに窓を開ける。だが、勝郎は俯いたまま何も話さない。


「どうしたの?」


 首を傾げる沙参に、勝郎はどこか苦しそうに顔をあげた。


「頼みがある」


「なに?」


「一緒に俺の家に来てほしい」


「え?でも……」


 空には満月が昇り、周囲は寝静まっている。こんな時間に部屋から出たことなど当然ない。ましてや塀の外など今まで一度も出たことがない。


 戸惑う沙参の腕を勝郎が掴んで真剣な顔で言った。


「母さんが病気で死にそうなんだ。おまえの血はなんでも治すって聞いた。頼む!おまえの血を母さんに飲ませてくれ」


 勝郎の言葉に沙参が首を横に振りながら下がる。


「私の血が?知らない。そんなの聞いたことない」


「知らなくてもいい。ただ、おまえの血を一滴、くれるだけでいいんだ。頼む!俺たち友達だろ?」


「友達……」


 ストンと胸の中に言葉がはまった。


 初めての友達……


「沙参!」


 勝郎が必死な表情で沙参に詰め寄る。


 私がイヤだと言ったら、どうなるだろう?勝郎はもう、ここに来てくれなくなる?せっかく友達が出来たのに、また一人になる?そんなのイヤ!勝郎に嫌われたくない!


 沙参は結論を出すと同時に叫んでいた。


「行く!」


 そう言うと沙参は窓に足をかけて地面に降りた。沙参の行動で勝郎に笑顔が戻る。


「こっちだ」


 箱庭の隅。植垣に隠れるように子どもが一人ようやく通れるぐらいの小さな穴があった。

 沙参は勝郎に案内されるまま真っ暗な穴の中を這うように進んだ。ようやく月明かりが見えた頃には、全身泥だらけになっていた。


 穴から這い出ると、そこは林だった。家を囲ていた高い塀は木々と夜の暗闇で見えない。


 勝郎は穴を枯れ葉や枝で隠すと再び歩き出した。沙参が勝郎の後をついて林を抜けると、大きな道とそれに沿うように木造の屋敷が立ち並んでいた。


「これが外の世界……」


 呆然としている沙参に勝郎が声をかける。


「早く行くぞ」


「まって」


 走り出す勝郎を慌てて追いかける。しばらく走っていると、風景が変わった。穴から抜け出したときに見たような立派な造りの屋敷はなくなり、簡素で今にも壊れそうな平屋が並んでいる。


 その中の一軒の引き戸を勝郎が勢いよく開けた。


「母さん!薬が来たぞ!これで病気が治る」


 小さな土間の隣に居間がある。そこには床に敷いた布団に一人の女性が寝ていた。勝郎の声に女性が微かに瞳を開けて沙参を見た。


「勝郎……その子は?」


「沙参っていう俺の友達だ。不老不死の血を持ってるんだ。こいつの血を飲めば母さんの病気もすぐ治るって」


 その言葉に女性は咳き込みながら体を起こした。


「なにを言ってるの?そんなことあるわけないでしょ。こんな時間に連れ出して家の人が心配してるわ。早くお家まで送りなさい」


「ウソじゃない。あいつらが言ったんだ。沙参の血はどんな病気も治す薬になるんだって。沙参、母さんに血を飲ませてくれ」


「あの……でも、私……」


 勝郎が戸惑っている沙参を無理やり居間に引っ張り上げる。


「母さん、こいつの髪すっごく綺麗だろ?これが不老不死の証なんだってよ」


 沙参の髪が暗闇でもボンヤリと淡く白く光っている。ただ穴をくぐったため、ところどころに泥がついていたが。


「そうね、綺麗な髪ね」


 そう言って女性が儚く微笑む。そのとたん胸を押さえて咳き込みながら真っ赤な血を吐いた。


「母さん!」


 勝郎が女性の背中をさする。その姿に沙参が両手を握りしめながら言った。


「本当に……私の血で病気が治るの?」


 その言葉に勝郎が大きく頷く。


「ああ。一滴でいいんだ。それで母さんが……」


「勝郎」


 女性のたしなめるような声に勝郎が黙る。女性は沙参を見て頭を下げた。


「ごめんなさいね。勝郎がわがままを言って連れて来たのでしょう?私のことはいいから、今日はお家に帰って。今度は明るいときに遊びに来てね」


「母さん、ほんの一滴でいいんだ。騙されたと思って飲んでみてよ。お願いだから」


 すがるように女性を見つめる勝郎に沙参は左手を差し出した。


「いいよ。私の血をあげる」


 女性が何か言おうと顔を沙参に向けたが、真剣な黒い瞳に薄く笑うしかなかった。


「わかったわ。でも、飲んだらすぐにお家まで送るのよ?」


「ああ!」


 勝郎は笑顔で頷くと懐から小刀を取り出して沙参に渡した。沙参は小刀を持って深呼吸をすると、瞳を閉じて指を少しだけ切った。


 鋭い痛みの後、赤い血がプクリと指の上に出てきた。沙参がその指を差し出すと、女性は傷を癒すように指を口に含んだ。そのとたん女性の両目が大きく開いて瞳の色が黒から銀へと変わり、全身がガタガタと震えだした。

 沙参が慌てて手を引っ込めると、女性は硬直したように動かなくなり、そのまま倒れた。

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