第10話
沈みゆく太陽で海と空はサンセット色に染まり、海風が吹きぬける。両側には何世紀前も昔に建てられた寺院に時計塔、大鐘楼などが悠然とそびえ建っている。
その中を小さな人間がゴンドラで往き来する姿はまるで一枚の絵画のようだ。
「絶景だ」
両手を腰にあてて仁王立ちで周囲を見る沙参にオニキスが慌てて手を伸ばす。
「危ないから、座って」
その言葉と同時にゴンドラが揺れて沙参がバランスを崩す。
「川に落ちるよ」
オニキスが慌てて沙参を支える。ゆったりと川を進むゴンドラの上で沙参は眼前に広がる海と夕日を眺めている。
「素晴らしい夕日だな」
独特の服装(沙参は正装だというが)にロングコートをはおり、黒髪のカツラを被った沙参がオニキスを見る。その表情は言葉に反して感情が表れていない。
「わかった。わかったから、座って」
オニキスがなだめるように沙参をようやく椅子に座らせる。
「何故、そんなに冷静なのだ?こんなに素晴らしい夕日に、周りは現在も使われている歴史ある建築物だぞ。この街一つが自然と人間の作り上げた美術館ではないか。もう少し感動したらどうだ?」
言葉の内容で感動しているのは伝わるのだが、淡々と話しているため、本を棒読みしているように聞こえる。
それで、どこか感動してるの?
と、いう言葉はさすがに恐ろしくて言えなかったが、オニキスは沙参と同じように海に沈んでいく太陽を見た。その壮大な光景に自然と言葉が漏れる。
「綺麗だね」
「そうだろ」
沙参が満足そうに頷く。
そんな二人の様子を見ていたスピネルが隣に座っている鴉に視線を移した。腰に提げている刀を隠すようにロングジャケットをはおり、黒いサングラスで隠した瞳で目の前にいる二人を見ている。
「どうして何も言わないの?」
沙参の護衛が鴉の仕事だ。その護るべき沙参が危ないことをしているのに注意もせず、動かない。ただ黙って二人を見ている。
「怒ってる?」
スピネルの言葉に、鴉は静かに首を横に振った。
「いや、その反対だ。感謝している。あんな沙参は久しぶりに見た」
「そう、よかった。でも、あんまり楽しんでいるようには見えないわよね」
「沙参は喜怒哀楽の喜と楽の感情の表現が上手く出来ない。怒はよく見せるが、最近は哀も少なくなった」
「どうして?」
「さあな。本人に聞いてくれ」
投げやりな言葉にスピネルは肩をすくめた。
「あんまり聞きたくないわね。まあ、楽しんでくれているならいいわ。で、貴方はどうなの?」
鴉がスピネルの質問の意味が分からず視線を隣に向ける。
「何がだ?」
「楽しんでる?」
スピネルはまるで子どもが悪戯をしているような笑顔で聞く。鴉は眉一つ動かすことなく答えた。
「これは仕事だ。何故、楽しまなければならない?」
鴉の言葉にスピネルは呆れたようにため息を吐いた。
「頭の固さも変わってないのね」
そこに沙参が声をかけた。
「鴉、世界は広いな」
顔に表情はないが黒い瞳が嬉しそうに笑っている。長年、そばで見守ってきた鴉だからこそ分かる微妙な表情だ。
「そうだな」
鴉は頷きながら答えると、沙参は夕陽を見ながら堂々と宣言した。
「腹が空いた」
今までの感動から一変、突然の本能の欲求に全員が沈黙する。
「どうした?」
オニキスとスピネルが俯いて笑いを堪えている。鴉は慣れた様子で取り出した地図を指差した。
「ここのレストランを予約している。そろそろ行くか」
「ああ」
こうして次の目的地が決まった。
店内は程よく明るく、観光客で賑わっている。威勢のいい店員の声にピザの焼ける匂いが食欲をそそる。
テーブルの上に並ぶ料理を次々と食べていく沙参に鴉が声をかけた。
「これで満足か?」
沙参がパスタを口に運びながら答える。
「満足ではないと言えば、まだ観光してもいいのか?」
沙参が口を動かしながらピザに手を伸ばす。
「駄目だ」
「即答するぐらいなら聞くな。いつ帰るのだ?」
「いつでも帰れる」
「私次第、というわけか」
沙参の言葉を鴉が無言で肯定する。その姿にスピネルがため息を吐いた。
「もう帰るの?寂しいわ」
スピネルがそう言いながらピザに視線を向ける。そこにオニキスがピザをさりげなくスピネルの皿の上に置いた。スピネルは礼を言わず当然のように、そのピザを食べる。
「……」
沙参が食べていたピザを皿に置いて椅子から立ち上がる。そして鴉と視線だけ合わすとスタスタと店の奥へ歩いていった。
「どうしたんだろ?」
オニキスが首を傾げる隣でスピネルが少し笑う。鴉が沙参の後ろ姿を見送りながら小さく呟いた。
「早く帰ったほうがいいようだな」
オニキスがますます首を傾げる。
「もう少し、ゆっくりしたら?今日は大変だったんだし」
スピネルが手を動かすと、オニキスがグラスにワインを入れて渡した。その姿に鴉が感心したように言う。
「よく躾けたな」
「いいでしょ?欲しいでしょ?あげないわよ」
スピネルが自慢するようにオニキスの背中を叩く。
「姉さん、痛いんだけど」
オニキスの非難の声にスピネルではなく鴉が反応した。
「姉さん?」
鴉の疑問の声に、スピネルがワインを飲みながら上機嫌で笑う。
「母親に見えないからって、人前では姉って言ってるのよ。ほんと、カワイイでしょ?」
「ね、姉さん!?」
オニキスが慌ててスピネルを見る。
スピネルはどう見ても二十代半ば。一方、オニキスは十六、七歳。どことなく似ているため姉弟には見えるが、年が近いため親子には見えない。逆に親子だと言ったほうが信じられないだろう。
「苦労しているな」
鴉の同情の言葉にオニキスは青い瞳を丸くした。
「驚かないんですか?」
鴉が答えるより先にスピネルが答える。
「平気よ。鴉は知ってるから」
「え?知ってるって?」
戸惑うオニキスに鴉はワインを飲みながら言った。
「沙参を見れば分かるだろ」
「どうして沙参が関係あるのですか?」
「……知らずにかかわったのか?教えてないのか?」
最後の言葉はオニキスではなくスピネルに向けられていた。スピネルは少し笑っただけで何も言わない。
鴉は何も言わないスピネルからオニキスへと視線を戻した。
「知りたいか?」
鴉の言葉にオニキスはゆっくりと首を横に振った。
「知りたくないと言えばウソになるけど。沙参がかかわっているなら、本人のいないところでするべき話ではないと思います」
凛とした態度と言葉。
「本当に、よく躾けたな」
「ありがとう」
スピネルは微笑みながら鴉に空になったグラスを向ける。鴉は無言でグラスにワインを注いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます