第5話

 適度な間隔で緑の葉を茂らした大木が立ち並び、木陰を作っている。小鳥のさえずりに小川のせせらぎが聞こえ、まさしく癒しの空間だ。だが、そんな雰囲気を切り刻むように突き刺すような緊張感が漂っている。

 黒いスーツを着た男達が周囲を厳しく警戒する中、和装姿の三人が会話をしていた。


 その中の一人である白髪の妙齢の女性が、心配そうに同じ白髪を持つ少女の顔を覗き込んだ。


「気をつけて。外はいろいろ危険だから」


 女性の真っ直ぐ伸びた白髪が腰の帯のところで揺れている。だが、女性より長い白髪をポニーテールにしている少女はなんでもないことのように答えた。


「母上、心配は無用だ。鴉(からす)も一緒だし、護衛の人数も充分いる」


 少女の言葉に、長く伸びた白髪を一つにまとめた男性が表情を曇らせた。


「おまえのことだから何があっても大丈夫だとは思うが、油断はしないように」


「ああ。父上、母上のことを頼む」


 三人が別れの挨拶をしているところに、黒髪に黒いサングラスをかけた青年が歩いてきた。


「時間です」


 白髪の男性が黒いサングラスで隠れた瞳と視線を合わす。


「鴉、沙参のことを任せる」


「はい」


 鴉と呼ばれた青年が完璧な姿勢のまま頭を下げる。その姿に妙齢の女性も声をかけた。


「沙参が迷惑をかけるけど、お願いね」


「……母上。何故、私が迷惑をかけると断定している?」


 沙参が不満を口にする隣で、鴉がしっかりと頷く。


「慣れています」


「……鴉?」


 鴉は沙参の黒い瞳に睨まれていたが、気にすることなく平然と歩き出す。だが、鴉の背中を睨んだまま動こうとしない沙参に、鴉は一度だけ振り返って声をかけた。


「行くぞ」


 沙参は言いたいことを無理やり押し込めて両親を見た。


「すぐに帰る」


 それだけ言うと、沙参は長い白髪を翻して走り出し、先を歩いていた鴉の足に蹴りをいれた。



*******



 沙参は窓の外の流れる景色を見ながら、家を出てきた時のことを思い出して呟いた。


「今回は、私は悪くないぞ」


「なに?」


 オニキスが前を向いて運転しながらバックミラーで沙参の顔を見る。


「いや、なんでもない。首都まで、あとどれぐらいだ?」


 畑の中に転々と家が建っている中心を大きな道路が真っ直ぐに突き抜けている。始めは貸し切り状態で走っていたが、太陽の位置が高くなるにつれて走行する車の数も増えてきた。


「もうすぐだけど、首都のどこに行くの?」


 オニキスの言葉に沙参は再び黙った。


 しばらくして沙参は袋の中から服を取り出すと、バックミラーに写っているオニキスを睨んだ。


「見るなよ」


 そう言って沙参はカツラを取ると、いきなりセーターを脱いで着替えを始めた。


 オニキスが慌てて視線をバックミラーから外すが、その隣でスピネルが楽しそうに振り返った。


「なかなか、目にいい光景ね。沙参ちゃんったらスタイルいいわ」


 リュックやバック、バイオリンケースなどに占領されている車内で、沙参が慣れた手つきで腰の帯を結んでいく。


「……姉さん、失礼だろ」


 オニキスの呆れたような言葉にスピネルは首を傾げる。


「あら、どうして?同じ女同士なんだからいいじゃない」


「姉さんは良くても、沙参は良くないかもしれないよ」


「そうなの?」


 意見を求められた沙参は頷きながら脱いだ服を袋の中に入れた。


「確かに着替えを見られるのは、あまりいい気分ではないな」


「そうなの?なら、次からは気をつけるわ。でも、その様子だと目的地を言ってくれるみたいね」


 スピネルの言葉に、沙参は長い白髪をポニーテールに結びながら答えた。


「この姿でないと入れないからな」


「で、どこに行けばいいの?」


「ヤヌス神殿へ」


「ヤヌス神殿だね。教皇にでも会うの?」


 オニキスが冗談半分で言った言葉を沙参が真剣な表情で肯定する。


「そうだ」


 予想外の言葉にオニキスの顔が固まる。そして、今度は慎重に聞いた。


「教皇に会うために来たの?」


「勘違いするな。むこうが私を呼んだのだ」


 来たくて来たわけではない。


 そんな不満を訴えている声だ。だが、それは世界の三分の一の人間を敵にまわしてもおかしくない台詞だった。

 教皇は世界の三分の一の人間が信仰する宗教の象徴であり、地上での神の代理人だ。普通は会おうと思って会えるわけもなく、雲の上以上の人間である。


 驚いているオニキスの隣でスピネルが面白そうに笑っている。


「教皇は今、病気療養中だけど会える?」


「会えなくてもかまわない。私は用がないのだからな」


「じゃあ、なんで行くの?」


「連れがそこにいる」


 沙参の言葉にスピネルの黒い瞳が一瞬揺れる。だが数時間前に会ったばかりの沙参には、その変化がわかるはずがなかった。


 スピネルは表情を変えることなく話を続けた。


「目的地を話してくれたってことは、少しは信用してもらえたってことかしら?」


「完全に信用したわけではない。今は少なくとも敵ではないと判断しただけだ」


 相変わらず失礼な言葉だが、スピネルは満足そうに頷いた。


「嬉しいわ。でも、すんなり行けないかもね」


 上空からヘリコプターの音が聞こえてくる。


「逃げ切れる?」


 スピネルの言葉にオニキスがため息を吐きながら言った。


「あのねぇ、わかってることを聞かないでよ。相手はヘリコプターなんだから。逃げ切れるわけないだろ」


「まあ、そうよね。沙参ちゃん、その中にバイオリンのケースがあると思うんだけど取って」


 沙参は隣で山積みになっているバックの山の中からバイオリンのケースを取り出した。


「これか?」


 ずっしりとした重量は明らかにバイオリンより重い物が入っているのが分かる。


「そう、そう。ありがとう」


 スピネルはバイオリンケースを開けると、中に入っていたライフル銃を素早く組み立てた。その姿に沙参は素直に感心する。


「よく慣れているな。目隠しをしていても組み立てられるだろ?」


 沙参の賛辞にスピネルは当然のように言った。


「こんなの基礎中の基礎よ。でも射撃は久しぶりね」


 スピネルは窓を開けて上半身を車から乗り出した。後方から迫ってくるヘリコプターをスコープで捕らえる。


 連続で三発。空の薬莢が車内に転がる。だがヘリコプターは無傷のまま飛行を続け、車の真上を並行して飛んでいる。


 スピネルは舌打ちをするとライフル銃を車内に投げ捨て、胸のホルターから銃を取り出した。

 ヘリコプターからロープが垂れ下がり、軍服を着た兵士が降りてくる。だが、スピネルが揺れるヘリコプターから垂れ下がっているロープを正確に打ち抜くと、兵士はあっさりとロープごと地面に落ちた。


「よし」


 スピネルは自分の仕事に満足しているが、後ろを走っていた車の運転手には、たまったものではなかった。


 突然、道路に落ちてきた兵士に慌てて後続車がブレーキをかける。次々と車が止まり、あっという間に渋滞が出来あがったが、何故か衝突事故は起きなかった。


 その光景をバックミラーで見ながらオニキスが安心したように呟く。


「事故が起きなくてよかった」


「そんなこと、どうでもいいから。早くちょうだい」


 スピネルは確実に死者がでるような大事故未遂をそんなことで済まして、銃を胸のホルターに収めながら左手をオニキスのほうに伸ばした。


「はい、はい」


 どこか諦めたような口調でオニキスが座席に落ちていたライフル銃をスピネルに渡す。

 スピネルは再びライフル銃を持つと一瞬だけ沙参を見て、ヘリコプターに視線を移した。何も言わなかったスピネルの代わりにオニキスが説明する。


「急停車するから、気をつけて」


「え?」


 沙参がオニキスの言葉の意味を理解する前にスピネルが叫んだ。


「ブレーキ!」


 高速で走っていた車が急停車する。車の予想外の動きにヘリコプターは止まることが出来ず、前方に飛んでいく。そこにライフル銃を構えたスピネルが連続して発砲した。しかし、ヘリコプターはなんでもないように方向転換して車の進路を塞ぐように低空飛行で向かってくる。


 そこで再びスピネルが叫んだ。


「ゴー!」


 タイヤが空回りする音が響き、体が座席に押し付けられる。スピネルが車内に体を滑り込ますと同時に車がヘリコプターの下をギリギリ潜り抜けた。


 ヘリコプターが車を追いかけるため再び方向転換をする。が、プロペラの一本がはじけ飛び、バランスを崩して回転しながら炎とともに道路の上を転がった。

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