第14話 ギール

「ギール」


 あたしがその部屋に入ると、ギールはおびえたように寝台の布団にくるまった。


「姉さん」


 あたしの顔を見て、ギールはとたんに顔をくしゃ、として泣き出した。そして、そのままうつ伏せになって布団をかぶった。


「ちょっと、ギール。大丈夫なの」


 あたしは寝台に近づき、ギールから布団をはがそうとした。


「やめて! 姉さん!」


 布団の中でギールが叫んだ。


「おねがい、めくらないで」


 あたしは布団にかけようとしていた手を下へ下した。


「わかったわよ。……あんたが元気なのか、知りたいだけよ」

「オレは大丈夫。……姉さんは」

「あたしも平気よ」


 う、と布団の中のギールがうめいた。


「そんなわけない。姉さん。……初めてだったのに」


 あたしは小さく息を吐いた。


「たいしたことないわよ。あんなことくらい」

「うそ」

「本当よ。子供を産むことに比べれば、なんともないわよ、あんなの」

「……姉さんは、きれいだったのに」


 ギールがしゃくりあげる声が聞こえはじめた。


「オレが最初に姉さんの相手をするつもりだったのに。すごく、大事にやってあげるはずだったのに……オレのせいで……」


 あたしは、布団の上からギールの形をした塊を抱きしめた。


「なに言ってんのよ。あんたのがつながっていたって、あたしはあんたなんかと一生、寝ないわよ」


 ギールが声を上げて泣き出した。


「……ごめん……姉さん……う……ごめん……」

「本当にあんたはバカよ。バカだわよ」

「もう……オレ……姉さんを抱けない……」


 ギールが身を震わせた。


「姉さんを抱けない……」


 あたしはふとんをひっぺ替えした。

 中から出てきた涙でぐちゃぐちゃの顔のギールを、あたしは引っ張って起き上がらせた。


「なら、あたしが抱いてあげるわよ!」


 あたしはギールの頭を抱きしめて、胸にギールの顔をおしつけた。


「あたしがあんたをいくらでも抱いててやるわよ!」

「姉さん……」


 たよりなくすがりつくギールの頭にあたしは頬を寄せた。

 女の髪のように細くて美しい、ギールの髪。


 こんなにきれいな子なんだもの。

 この子が悪いわけじゃないわよ。ギールをこんなきれいな子にした神様が間違っちゃったのよ。

 それなのに、ギールにこんな罰を与えるの?


「かわいそうにギール。痛かったでしょう」


 あたしはギールがあまりにも哀れで、泣きそうだった。


「かわいそうに」


 ギールの背中をなでてやる。

 無駄な肉のない美しいギールの身体。

 みんながあんたを欲しがるのは仕方ないじゃない。

 あんたがバカなことにつけこむ女たちが悪いのよ。

 あんたがバカみたいに優しくて、さみしがりやの子ってことにつけこんだ女たちのせいよ。

 あんたはさみしくて、優しくされたらすぐ懐いちゃう子なんだもの。

 抱きしめてくれる女の腕が人一倍恋しい男の子なんだもの。


「ギール、かわいそうに」


 あたしは抱きしめたままギールを横たわらせ、ギールの頬に頬をすりよせた。


「今晩はあたしがずっと一緒に寝てあげる。あんたにひっついててあげる。だから泣き止んで」


 しゃくりあげ続けるギールの髪を撫でて、あたしはギールの頬に口づけた。

 やわらかな、赤ん坊のような肌。

 ギールの唇はふんわりと女の子みたい。

 長いまつげは、砂漠のラクダみたいね。

 とても、きれいな男の子だわ。


 あたしはギールの顔中に、そっと唇を這わせた。


 本当にきれいな子なのよ。どうして、こんなにきれいな子にこんな酷いことするのよ。


 目をつぶっていたギールが目を開いた。

 深い、茶色の瞳。

 吸い込まれそう。

 春の若木の色よ。優しくて心をとろかす、美しい色だわ。


 あたしはギールのまぶたに口づけて。

 もう一度、ギールの顔を抱きしめた。


 ――――――――――


 どれくらい時間が経ったかしら。

 あたしとギールがぴったりとくっついて、お互いの熱を伝え合って、おんなじ温度になって、どっちがどっちの身体かわかんなくなるくらいに、ひとつの生き物になっちゃったころ。

 あたしは、ギールがやっと落ち着いたことを知った。


「……いたい? ギール」

「……うん、姉さん」


 答えるギールの声は静かで、呼吸も穏やかだった。

 あたしは、ギールのさらさらした髪を撫でる。


「ねえ、ギール。……あんたはこれから大変よ」


 あたしは頬をギールの髪に押し当てて、つぶやいた。


「王様はあんたをまだまだ許さないだろうし、兄さんたちもあんたには愛想がつきたかもしれない。……女の子たちは、こうなったあんたにもう興味がなくなるかもしれないわ」


 ギールが体をこわばらせたことに気付いたけど、あたしは続けた。

 言いたくないけど、でもこれはあたしが言ってやらなきゃならないことなんだわ。


「ここからが踏ん張りどころよ。一生かかってもいいから、償い続けなさい。なんとか許してもらえるように。ない頭を使って必死に考えるの。どうしたら、受け入れてもらえるか。ここからがあんたの勝負よ」


 あたしはギールを抱く腕に力を込めた。


「あんたはとてもきれいだわ。すごく魅力的。でも、これも一瞬のうちよ。あんたが若いときだけ。年を取れば、どんなにいい男でも女の子に見向きもされなくなるのよ。でも、それから本当にその人間の価値が出てくるんだわ。……しわくちゃでシミだらけのおじいちゃんになっても、あんたを慕って愛してくれる人がいるかどうかよ。ついてきてくれる人間がいるかどうかよ。……そんな人間になりなさい。見かけの美しさではなく、あんたの中身の美しさにみんなが惚れ込んでくれるように。あんたは、素直でいい子なのよ。悪い子じゃない。そんな子になれるわ」

「本当に……姉さん」

「ええ」


 あたしは頷いた。


「大変だけど、きっとあんたならやれるわ。あんたはバカだから中身はまっさらなんだもの。これからなんだってなれる」

「兄さんたちは……きっと、オレをもう許さない」

「ええ、それは仕方ないわ。そう簡単には許せないわよ。でも、謝り続けるのよ。その態度を兄さんたちに見せ続けるのよ。大変だけど……そうするしかないわ、ギール」

「姉さんは……オレのそばにいてくれる?」

「あたしはいつだってあんたの味方をしてやるわよ、ギール。あんたはあたしの兄弟子なのよ。あたしはあんたの妹弟子なんだから」


 ちゅ、とほっぺたに口づけてやると、ギールの顔がゆがんだ。


「ほら、また泣かないのよ」

「……くやしい……。今、姉さんを抱きたい」

「バカね。さっきも言ったけど、あんたなんかとは寝ないわよ」

「姉さんを抱きたい」


 あたしはため息をついて、また胸にギールの顔を押し付けてやった。

 ギールはしゃくりあげて、あたしの胸に顔を埋めた。

 まだ、本当にこの子は子供なのよ。だから女の身体が恋しくてたまらなかっただけなのに。

 あたしはギールの背中をあやすように優しくたたいた。

 見下ろしていたあたしを、胸の中のギールが上目遣いで鼻をすすり上げながら見た。


「……姉さん。姉さんの身体を触りたい。お願い、触らせて……」


 小さい声で聞くギールに、あたしは軽く笑っておでこをはたいてやった。


「だめよ」

「……ひどい」


 唇をひん曲げるギールにあたしはくすりと笑って、それからギールを一晩中抱きしめてあやしてやった。

 ひどく傷ついた男の子を慰める母親のように、あたしはなってやりたかったのよ。


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