第11話 10人の男

 翌日の夕暮れ、城の広間に集められた十人の顔ぶれを見て、あたしは血の気が引きそうだった。


 ああ、覚えてるわ。

 皆さん、あたしや兄さんが何回も頭を下げて謝罪しに行った家の人ばかりだもの。


 アホギールと奥様との情事を目撃した商家のご主人、とあと同じようなご主人三名。

 バカギールと嫁入り前の妹(または姉)の火遊びが嫁入り先にばれて、破談になった家のお兄さん三人。

 婚約者でモデルでもあった彼女をクソギールに寝取られた、画家のポール。

 破談にはならなかったけど、姉さんとギールの逢引きで迷惑を被ったブラック家の長男、そう、ニコラス。

 最後の一人に、あたしは戦慄が走った。


 え、え、うそうそ。

 赤銅色の肌をした男の人にあたしはめまいがしそうだった。

 細かい何束もの三つ編みを垂らした黒髪、秀でた額と鷲鼻、額につけた羽飾り、特徴的な皮の民族衣装、長い革靴。


 ――ガラナ族の男の人、だった。


「アネッテさん」


 あたしの傍らにいたニコラスに声をかけられてあたしは、は、とした。

 あたしは青ざめて、少し震えていたみたい。


「大丈夫です。……私が、最初を務めさせていただきます。加減を心得ております。娼館で処女の相手をした経験が」


 ニコラスのささやき声にあたしは少し、ほ、としてニコラスを見上げた。


「……ありがとう、ニコラスさん」


 やっぱり、びびるわよ。

 十人の男を目の前にしたら。

 気休めのようなニコラスの言葉だけど、それでも気心のしれたニコラスが最初に相手してくれるんなら、とあたしは救われたような気持になった。


「では、奥の部屋へ」


 大臣があたしを気の毒そうに見て、告げた。


「明日の朝、朝日が昇り次第、迎えに行く」


 大臣の言葉にあたしは頷き、言われた奥の部屋へと向かった。

 しっかり気をもとうとして、背筋を伸ばして歩いたけど。

 部屋に入って、後ろでドアが閉まった瞬間、あたしは崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。

 先に入っていた十人の顔を見回す。


 全員、あたしの方を見つめていた。


 薄暗い部屋だったわ。

 その向こうには燭台の明かりに照らされた寝台が見えた。

 あたしがいつも寝るような硬い寝台じゃなく。

 王侯貴族の方々が寝るような、鳥の羽をふんだんにつめこんだやわらかなベッドよ。

 なに、このベッド。

 キエスタのスルタンが寝そうなベッドよ。

 いつか、こんなベッドに寝てみたいと思っていたけど。それが叶うのが今なんて、なにそれ。


 硬直していたあたしを、男たちは微動だにせず見つめ、立っていた。

 ピーン、と音がしそうなほど、張りつめた空気よ。

 あたしは心臓がバクバクした。

 脇の下に冷や汗をかくのを感じたわ。


 だ、大丈夫よ。

 赤ん坊みたいにあんなでっかいのをあそこから出すんだから。たぶん、たいしたことないわよ。

 そうよ。だいたいみんな、五、六人子供産むんだから。

 出産にくらべれば、こんなの全然たいしたことないわよ。

 明日の朝までの我慢よ。


 明日の朝……?

 ……すっごく長いんだけど!


 あたしはまた、めまいを覚えた。


 いえ、順番に一人ずつ終わればそれで終わりなはずよ。朝まで、てことはないわ。

 ……ほんとに?

 バカギールなんて一晩中、やってたわよね。何回も。

 うそ。

 一人何回も、て可能性もあるってこと?


 必死に考えを巡らせていたあたしだったけど、そのときふいに男たちの一人(ガラナ族の男)が動いたのに、びくりと身体を震わせた。


 え、え、なんなの?


「$#*‘&%#&!!」


 ガラナ族の男の人は、あたしの方をみて何か叫んだ。


「#$&%#&$&%#&!!」


 自分の手を指してあたしに見せて、それから他の男の人たちに向かってガラナ族の言葉でまくしたてた。

 わからないわ。あたしはガラナ族の言葉は知らない。メイヤ兄さんなら、分かるけど。


「なんて、言ってやがんだよ」


 妹をバカギールのお相手にさせられた商家のボンボンが、舌打ちした。


「……私はガラナ族と取引するので多少なりとも、言葉は分かるんだが」


 奥さんとアホギールのにゃんにゃんを目撃してしまった悲劇のご主人が、ためらいがちにあたしに視線を向けた。


「……私の理解では彼はこう言っている。『もう、この話は済んだはずだ。愚かな弟の罪を引き受けた賢い兄の尊い犠牲によって』と……」


 あたしは目を見開いて、ガラナ族の男の人を見た。


 メイヤ兄さんのことね……!


 彼はあたしを見つめて頷き、またなにか言った。


「『愚かな弟の犯した罪を、またこの美しい姉の犠牲によって払うのか。ふざけるな。私は従わない』と」


 見つめるあたしの前で、ガラナ族の男の人は乱暴に音を立てて床へと座った。


 ……ガラナ族の人は本当に誇り高い一族なんだわ。

 そして。

 メイヤ兄さんがいつか言っていた言葉をあたしは思い出した。


『彼らほど、恥を知っている民族はいない』


 床へと座ったガラナ族の男の人は、あたしの方を見てもう一度頷いた。


 わかる。

 メイヤ兄さんと、この人は友人だったのよ。兄さんの指を切ったのもこの人なんだわ。

 この人も兄さんの指を切ったことがつらかったに違いないわ。


「私も、賛成だ」


 ガラナ族の言葉を訳してくれたご主人が、皆を見渡して言った。


「この罪のない聖女をどうして、あのバカガキのために汚さなきゃならない。どうかしてるんじゃないかね。私は降りる」


 そう言って彼はガラナ族の男の人と同様に、床へと座った。


「私も降りよう」

「私も賛成だ」

「同じく」


 ギールと関係した奥様を持つご主人三人組が続けて座った。


「ぼ、僕も。アネッテさんたちには十分謝罪をうけたし」

「俺もです。聖女に手を出したら、神の罰があたる」


 妹をアホギールに手を出された兄二人がそういって座った。


「私の……今の大切な人はテドーでね」


 目が合った私に、画家のポールは切ない目をして言った。


「テドーを裏切ることはできない。だから、私は降りる」


 ……え?

 ごめんなさい。

 今の意味が分からなかったわ。


 ま、まって。それどころじゃないわよ。


 こ、これは。

 どういう事態なのかしら。


 あたしは混乱する頭を整理しようとつとめた。


 も、もしかして。もしかして……。


 殿方の良心を信じちゃってもいい、てことかしら……!?


 これは……あたしと兄さんたち、かなり同情されていたってことかしら。

 バカギールのために、相手の家を駆けずりまわって頭をひたすら下げる日々……。

 それが報われた、てことなのかしら。


 じいん、と私は胸が打ち震えた。


 やったわよ! メイヤ兄さん! 兄さんたち!

 あたしたちの苦労が報われたのよ! 頭を下げて涙をのんだ日々は無駄じゃなかったのよ!――




「なに言ってんだよ! おまえら!」


 次に部屋に響き渡った声にあたしは、ああ、と思った。


「こんな美女を抱けんだぜ!? しかも王令だ。王に刃向うのかよ!」


 そう叫んだのは、先ほど舌打ちした商家のボンボン。

 うん。彼はあたしに、気があった感じがしてた。

 謝罪に行ったとき、あたしの顔をくいいるように見つめていたからね。

 ……そうよね。

 それが通常の反応だと思うわよ。

 あたしが男でそっち側の立場なら、あなたと同じようなこと言ってたと思うもの。たぶん。


「君には良心というものがないのか」

「じじいは分かるけどよ、もう役に立たねえんだろ。その代りに俺が相手してやるって話だよ」


 ご主人の言葉にそう返したボンボンはあたしを見た。


「こんな機会、二度とねえ。聖職者のキエスタ女だ。娼館にもこんないい女いねえ」


 うわあ。

 なんかギラギラした目つき。欲、丸出し、て感じ。


「*#+*#*&%#!!」


 ガラナ族の人が怒ったように叫んで、いきおいよく立ち上がった。


「な、なんだよ。やんのかよ」

「#&$%#&$&!!」


 な、なんだか険悪になりそうな気配?

 ま、まずいわ。


「ちょ、ちょっと、待って!」


 あたしは声を上げた。

 その場の全員があたしを見た。


 ……えーと、どうしよう。


 も、もうこの際、白状しちゃう? 

 そうよね、もう、今更ね。


「み、皆さんなにか、勘違いされてるみたいだから、言っとくわ。あたし」


 あたしは一息ついてから言った。


「処女じゃないわよ」


 ガラナ族の人以外の皆が息をのんだ。


「はあ?」


 ボンボンがへんな声を上げた。


「本当ですか、アネッテさん?」


 びっくりした顔であたしに詰め寄るのはニコラス。


「ええ。……初めて済ませたのは、十五歳のとき。幕屋の中で。近所に住んでたラミレス、ていう子と」



 そうなのよ、実は。

 言ったでしょ。あたし、思いたったら我慢出来ない、て。


 興味があってね。どんなもんかと思って、仲よくしてあげてた二歳年下のラミレス、ていう気弱な男の子と試したのよ。

 結果は……うん。


 すぐ、終わった。


 なんで処女のふりしてたかって?

 だって聞かれなかったし、みんなそう思い込んでるんだもの。

 なら、そういうことにしておいたほうがいいかなと思ったのよ。


 え?

 それでよく今までこの国の女の子は慎しみがどうとかいえたもんだな、て?


 全くよね。……ゴメンなさい。



「……だから、あたしは処女ではありません」

「なんだよ」


 ちっ、と、ボンボンが残念そうに舌打ちして床に座った。


「なんだ、それ。萎えるじゃねえかよ」


 その言葉にあたしは見抜いた。

 こいつ、まだなのよ。

 だから、処女でないと嫌なんだわ。処女に憧れを抱いていたのよ。


「まあ、それには驚いたが。それでも、我々の気持ちは変わらないよ、アネッテさん」


 商人のご主人が、まだ驚いた顔をしながらもあたしに言ってくれた。


「朝までまだ、かなり時間はあるが。それまで、なんとか時間つぶししてやり過ごそう」


 十人の男がその言葉に頷いた。


「このことは皆の胸に墓場までしまって、未来永劫秘密に」



 ――あたしは床に座る十人の男たちを見て、感動していた。



 奇跡の十人。

 そう呼ばせていただくわよ。

 思ってもみなかったわ。

 この世に性欲を凌駕する理性を持った殿方が存在するなんてね。

 バカギールばっかり見てきたから、人間の良心に期待するのを忘れちゃっていたわよ。――




「ありがとう、みなさん」


 まあ、残りの一人、ニコラスの視線が残念そうだったのには気づいていたけど。


「じゃあせっかくですからあたしの神の話でもお聞きになる? キエスタの神々について、少しでもご存じな方はおられるかしら……?」


 あたしはそれから十人の男たちが退屈しないように、キエスタの神々の話、いろいろな民族の話を語リ聞かせた。

 あたしの次には、隣の男から順番に自分の持っているとっておきの話を語らせて(ガラナ族の人は、舞を舞ってくれたわ)それで、夜を明かしたわ。



 ……最後までニコラスのあきらめきれないような、なにか話したそうな視線には気づいていたけど、あたしはずっと気づかないふりを決め込んだ。


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