8月13日、幼馴染と再会。

@aizawa_toru

第1話

 017年8月13日。久しぶりにこの駅のホームに足をつけた。ざっと2年ぶり。駅舎は変わらない。電車も変わらない。おそらく職員さんの見た目も変わっていない。変わらない光景に安堵しながら涼し気な風鈴の合唱に耳をすまして、ケーブルカー乗り場に向かう一本の橋を進んでいく。一歩一歩、少し早歩きで。

高野山極楽橋駅。俺のような金欠学生は特急列車こうやの乗車料金を払うことにさえ断腸の思いがしたので、ここまで南海電車の急行と各駅を乗り継いでやってきた。なんば駅から2時間弱。世界遺産高野山の玄関口である。

ケーブルカーのホームである少し長めの階段を、急ぎながらも二段飛びはせずに上る。トントントントン。一生懸命上って、先頭車両の乗降口の手ごろなところから車両に乗り込む。そして平行四辺形型ケーブルカーの先頭車両の一番前、窓の真ん前の空間に自分の体を配置する。この車両の運転席は左側に、運転手が一人入れるくらいのスペースを取ってあるだけなので、乗客は一番前から、進行方向の景色を180度眺めることができる。他の電車なら大抵そこは運転席となっていたりするから乗客が立ちいることは出来ない。小さいころ電車が好きだった俺は、そこにいると電車の運転手になったような気分がするから、このケーブルカーに父と乗った時にはいつもそこに陣取ってはしゃいでいた。その名残か、今でも気が付くとこの場所に足が向かってしまう。前方にみえる、列車を支える綱も、列車がこれから登っていく斜面も、そしてその横にある木々や、水の流れも変わらない。また、一つ安心感。

ここからは前だけでなく後ろも見渡すことができる。この場所がこの列車の最も高い場所にあること、そしてこの列車の特徴的な形。これらがそれを可能にする。そしてこれも幼いころからの癖。なんとなく、後ろを見渡してしまう。ここではっと気が付く。前に来た時よりも明らかに車両内の人口密度が高い。それに外国からきた人もかなり多い。日本じゃないみたい、というと流石に大げさだが、観光シーズンの京都ぐらいには外国人観光客がいるような気がする。受験英語の力を駆使して会話内容の盗み聞きを試みたが、それは不可能だと悟る。そもそもおそらく会話言語が英語じゃない。これは最初に見つけたここでの大きな変化。やはり2年という月日は経っているのだな、とまるでお年寄りのように一人思う。しばらく盗み聞きに精をだしていたのだが、もう、いいやと諦めたところでケーブルカーは、がたんと音をたてて動きだす。そして小さいころから何回も聞いた観光案内アナウンスをBGMにしながら、列車が斜面を登っていくごとに変わっていく景色を見て、この先の駅への到着を待つ。

5分ほどで高野山駅に到着し、アナウンスが乗客の俺たちを送り出す。そして次は改札まで一段飛ばしで跳ねるように階段を上っていく。タッタッタッ。マイナスイオンの力(そんなものはない)ともうすぐ2年ぶりに幼馴染に会えるという事実に対する高揚感で、体が元気になっている気がする。ここから、お土産クーポン付の1日フリー乗車券を買ってバスに乗り込み、うねうねした山道をぬければ、幼馴染との待ち合わせ場所、高野山奥の院前に着くのだ。

電子マネーを使って改札を流れるように抜け、修学旅行前の高校生みたいになって少し早歩きでバスチケット売り場にむかっていく。トットットット。ばたばたばたばた。俺の靴の音と同時に別の律動が刻まれる。一歩一歩大きくなっていく音。後ろから人が走ってくる。この先に待っている人がいるのだろうか、それとも高野山の参拝が楽しみで仕方のない人だろうか。俺も周りにいる人達からそう思われていることだろうな、そう思うが、気にしない。

「そ・う・くん!」

「ぐへぇ!!」

おもいっきり後ろからタックルされた。全く受け身の体勢を取っていなかったので吹き飛ぶように前にこけ、俺を急襲した相手の顔は未確認。それでも、十分なヒントがあった。声とその呼び名。相島宗也(あいじまそうや)を「そう君(くん)」と呼び、鈴のようなソプラノ声をもつ人物は俺の脳内辞典には1人しかいない。

「りん!おっまえなあ、いきなりタックルするなよ!お前軽いから人に突撃してもいい、とかおもってるだろっ!心の準備なかったら普通にふっとぶんだからな!」

「ご、ごめん。そんなにそう君(くん)がおもいっきり吹っ飛ぶとは思わなかったんだ。」

俺の前で「りん」はしゅんとする。自分の家の犬が怒られたときみたいだ、と思う。耳がついていたら絶対それは伏せているに違いない。それを想像したら笑えてきた。

「あー!ひどい!わたしまじめにあやまってるのにぃ!」

今度はおもいっきり頬を膨らませてくる。こどもみたいだ。まあ、なんというか本人は怒っていて必死なんだろうけどこっちからするとなにこの可愛い生き物は、そんな感じだ。こんなやりとりを道の真ん中でしていたら、気づくとそこを通る観光客がみな暖かい目をして通り過ぎていた。若いっていいわねぇという声が今聞こえた気がしなくもない。前の女の子、つまり俺の幼馴染、池田凜(いけだりん)もそれに気が付いたのか顔が茹蛸のように真っ赤になっている。やかんを乗っけたらお茶が沸きそうだ。とはいえ、人のことは言えず、おそらく俺も負けず劣らず真っ赤な顔をしているだろう。

「は、はやく行くよっ!」

「そ、そうだな!」

そういって俺たちはその場を逃げるようにして後にし、券を買って奥の院行きのバスに乗り込んだ。

元の予定ではいつもと同じように、奥の院のバス停前の待ち合わせだったはずだったのだがなぜあの場にいたのか、と俺は疑問に思ってバスに揺られながら凜に聞いた。俺は携帯を持っているが凜は携帯を持っていないし、これからも持たないだろう。待ち合わせ場所を急に変えてしまっては万が一入れ違いが起こった時めんどうなことになる。その疑問に対して、凜は、いつもよりずいぶん早く待ち合わせ場所についてしまい、彼女も俺と同様に高校生の修学旅行前状態だったらしく、勢いで高野山駅まで来てしまったという返答をした。あとついでにタックルした理由としては、駅のベンチで座って待っていたのに俺が気づかずにさっさと行ってしまったから焦ってやってしまったのだそうだ。それにしては、余裕があった気がするのだが。

「ふああ、ついたぁ。」

「伸びるほどのってないだろ。」

高野山の奥の院前に到着する。今日は年に1度お盆の時期に行われるろうそく祭りの日で、人がおそらくいつもよりだいぶ多い。ちなみにろうそく祭りとは、参拝客たちがろうそくを参道の端のろうそく挿しに挿していき、日が沈んだ後そのろうそく達の火がともされ、幻想的な雰囲気が作り出される高野山の有名なお祭りだ。今日は、俺の横でとことこと歩いている幼馴染の親族のお墓を掃除し、その後、ろうそく祭りを見物するというスケジュールだ。

「水いれるバケツ、これでいいかなぁ?」

「スポンジとからぶき用のタオルもってきたぁ?」

「虫よけスプレーは……ってどこにあるのー?」

「あれ!?もしかして蚊取り線香わすれてない!?」

と、まあ元気よく幼馴染がさわぎつつ、俺は一つ一つそれに反応しつつ、和気あいあいとした雰囲気でお墓掃除の準備をすすめていく。ちなみに蚊取り線香は持ってくるのを忘れた。まあ、虫よけスプレーがあるし大丈夫だろう。

そしてお墓掃除を始める。そうするとあれだけ口を動かしていた幼馴染もまったく口を開かなくなる。付き合いが長いだけあって、流石、わかっている。俺はこの間だけは人の声を聞きたくないのだ。これだけ騒々しさがなく落ち着いた場所はここにしかない。貴重なものは積極的に保存していくべき。お墓のまわりに生えた草を抜き、お墓をスポンジで洗い、最後にからぶきで水気をふき取っていく。そしてなにか心の中で想いながら作業を進める、まるでお墓の中の魂と語りあうかのように。小さいころからずっとそう。



「そ・う・くん!」

「うわぁ!りんちゃんいつもぶつかってくるのやめてよぉ」

小さい頃俺は同年代の男子の中でもだいぶ背が低く背の順では常に一番前。その身長が影響してか、幼少期の俺はひっこみ思案で泣き虫。外で友達とおにごっこするより室内で本を読むのが好きな男の子だった。だから大抵いつも教室の一番隅の席で本を読んでいた。反対に凜は同年代の女子の中では背の高いほうで、背の順で並ぶと大抵かなり後ろに行く。俺と同様にその身長が性格にも影響して、活発で正義感が強く、そしてちょっと強引だった。俺とは反対に、昼休みにはいつも外にでて男子に交じっておにごっこやヒーローごっこをやっていた。そしてこれもまたいつも、俺をその遊びに誘う、というか連行しようとするのだ。あの時には相当俺はそれが嫌だったと思うが、今考えればあれは俺が友達をつくるのを助けてくれていたのだと思う。あの子はそういう子だ。当時彼女が憧れていたものは白雪姫やシンデレラではなくて変身して敵をやっつけて平和を守っていく戦隊ヒーロー。どちらかというといじめられっ子だった俺がいじめられているのを見つけると、変身ベルトをつけた凜がいつも飛び蹴りで蹴散らしてくれていたものだ。俺にとって凜はヒーローそのものだった。無敵でいつも敵をやっつけてくれるかっこいい正義の味方。まあちょっと強引だったし、会うたびに飛び蹴りのときと同じ力で突進してくるというのは、彼女より体が小さかった俺からするとたまったものではなかったのだが。

「そうくんはほんとに泣き虫なんだからぁ。」

突進してきた後はいつも赤いランドセルから花柄のハンカチを出して涙を拭いてくれた。


ランドセルが、俺はリュックに凜はバッグに変わり、登校時の服装は私服から制服にかわって、俺たちは晴れて中学生になった。中学生男子の上方向の成長とはすごいもので年に10cm以上は伸びる。そしてこれもまた不思議なもので、女子の身長は男子と比べるとそれほど伸びない。小学校卒業の段階で、凜との身長差に越えられない壁ができていたはずの俺の身長は中学3年生になった時には170cmを超えていて、知らぬうちに凜のそれを抜かしていた。破竹の勢いで伸びていく俺の身長を見て凜がやばいよやばいよとどこかの芸人みたいに言っていたのはまた別の話。公立小学校、公立中学校という茨の道を経験しすっかり雑草魂が身についていた俺は、中学3年の時点で昔のような泣き虫で引っ込み思案な子供ではもうなくなっていた。この年頃の男子らしく筋肉もついて、男子同士の喧嘩において、昔のように例のヒーローに助けてもらう必要はなくなっていた。一方、上方向の成長が165cm付近でぱったりと止まってしまった凜は、成長ホルモンは脳とからだつきにいっていたらしい。この頃にはもともと高かった身長も相まって、スタイル抜群で性格ははきはきとして正義感がつよく、さらに成績は中学校で常に1番というスーパー完璧少女になっていた。

だから昼休みにはこんな質問が、少しちゃらめの(うざい、おっと口がすべった)男子からしょっちゅう俺のもとに寄せられていた。誰も募集していないはずだが。

「相島さあ、池田と幼馴染なんだろ?池田って彼氏いんの?なあ。」

返答によっては凜に告白する予定なのだろうな、冗談は顔だけにしてくれ、と内心そう思いつつ俺はこの手の質問にはこんなふうに答えていた。

「しらねえよ、池田に直接きけよ。」

まあ、その結果凜に玉砕されて何人もの屍がその前に累々と積まれていたのは言うまでもない。

この時の俺にとって凜は憧れの存在になっていた。学力に関して言えば俺は常に2位だったし、力に関していってもおそらく今では俺のほうが強いし、背も俺の方が高い。それでも凜は俺にとって完全無欠のスーパーヒーローだったのだ。部活で試合に勝てず落ち込んでいるとき、親と大喧嘩したとき、男友達と喧嘩したとき、なんだかんだと俺を慰め諫めてくれていたのは凜だった。だから俺はこれに気づいたときにはもう手遅れだった。

「凜はスーパー完璧少女じゃない」






凜と俺は自分たちの中学校の卒業式には出なかった、いや出れなかった。






事は、あの一度も風邪を引いたことがない、健康体の象徴であるところの凜が入院したと聞いた時から始まった。学校の出席確認の時、凜が近くの総合病院に入院するため欠席したことを知ってひどく驚いた。そして先生から病院を聞き出し、学校帰り制服のままでその場所に全力疾走して向かった。そしてまた俺はここで驚いた。凜の体から管がのびていることに。入口で茫然としている俺を見つけると凜は笑いかけてこう言った。

「あ、そうくん!いやあ、今年受験だし勉強夜中までやってて朝貧血でぶったおれちゃったんよ~。この点滴は栄養注射でたいしたことないやつだから!心配しないで。」

「そうだったのかぁ、まあ、だよな。健康の権化だもんな、凜は。心配して損したぁ。」

「損したって、ひっどー!」

そして彼女はいつものように頬をふくらましておこった。いつものやり取りができたことに俺はほっと胸をなでおろしていた。そして馬鹿で無知な俺は、凜の言うことをそのまま真に受けてしまった。観察すればわかったはずだ。おそらく手術跡が残っていたはずだったから。

その1週間後、面会謝絶になった。

そして、さらにその1週間後、凜は15年の人生に幕を閉じた。死因はスキルス胃がん。難治性で進行性の癌だ。いくら進行性とは言え2週間で死ぬなんてことはないだろうから、おそらく元気そうに学校に通っていた時も彼女は病魔と闘っていたんだろう。後で彼女の親御さんに聞いたところによると、夏休みには既に入院をし始めていて、夏休みが終わるころに退院したらしい。もう転移が始まっていて彼女にはもう治療法がなかったらしい。大量の痛み止めをもらって本人の希望で退院した。凜はぎりぎりまでどうしても学校にいきたかったらしい。理由は俺のことがほっとけないから。あいつは馬鹿だと思った。そしてそれ以上に俺は馬鹿だとおもった。痛かったはずなのに怖かったはずなのに俺にはあの太陽のような笑顔しか見せなかった。しょうもないことを俺は相談して彼女の悩みを聞こうとすらしていなかった。俺は1か月間自分を責めた。不登校になった。そうこうしているうちに私立の受験が始まった。受験だけは学校の知り合いに会う可能性が極めて低かったせいか、凜のことを一度隅においてしっかりと受けることができたものの、俺はとても凜のいない卒業式にでる気力はなく式を欠席した。



スポンジをからぶき用のタオルに持ち替える。

「そんなことないよ、そう君(くん)は馬鹿じゃない。」

お墓の中の魂に語り掛けるということは横にいる幼馴染にもそれが伝わるということだ。

「わたし、そう君(くん)に言いたくなかったんだ、あの時。だってもしわたしがそのこといっちゃったら、そう君(くん)優しいからわたしのこといつも気にしちゃうでしょ。普通の日常を最後の最後まですごしていたかったんだ。ごめんね。」

「それに、そう君(くん)、その後頑張ったじゃん。あの大学受かるの大変ってわたし知ってるよ。」



凜を失ってから、俺は自分の魂の半分をなくした感覚を抱きながら、高校生活を過ごした。部活も入らず、友達もほとんど作らず、文化祭も参加せず、ただただ時間を費やすがためだけに生きた。文章にして1行で済むくらいの高校2年間をすごし、また受験期を迎えた。俺はここで一つ重大な岐路に立った。中学校でそこそこに成績優秀だった俺はこの地域で一番の進学校に通っていて、周りには医学部や東京の最難関国立大学を受ける者が多数いた。進路決定のこの時、俺は、自分が医者になって癌を治せれば、何も聞いてやれなかった凜に対する贖罪になるのではないかと考えた。冷静に考えればなんとも自分勝手で、ご都合主義なのかとは思うが、そう思うことで自分の荒みすぎた心を癒す方法が欲しかったのかもしれない。そう決めたらもう迷いはなかった。俺は高校3年生の夏、遅すぎる受験生生活の幕を開けた。

実は俺は、この時一度ここ、つまり凜の墓にきた。凜が死んでから後、そこを避けるように一度も訪れていなかった俺は、凜に決意表明をすることで後に引けないようにしようと考えたのだ。あの時も8月13日。今と同じようにお墓掃除をした。からぶきをし終わってふうと息を吐いたとき、事件がおこったのだ。

「そ・う・君!」

後ろから聞こえるはずのない声が聞こえ、そしてありえないことに吹き飛ばされた。

「り・・・ん?な、なんでここに・・・。」

「そう君、3年間ぜんっぜんここにきてくれなかったでしょ!さみしかったんだからね!」

死んだはずの幼馴染凜が嬉しそうにはしゃぐ一方、俺はただただ絶句していた。ただ、今でもなぜなのかはわからないが、そんなに時間をかけることなくこの状況を受け入れられた。最初は神様が俺に凜の幻覚を見せることで俺の罪を断じてきたのかもしれないと思ったけど、すぐにそれはなんか違うなと直感した。小さいころから毎日うしろからタックルしてきた少しいたずら好きな感もあった凜だから、これは俺に対するいたずらなんだろう、とそう理解した。ある程度俺が落ち着いた後に彼女は、便利なことに自分の姿は俺だけでなく他の人にも見え、触ることもできるということと、彼女が俗世にあらわれることができるのは8月13日の高野山付近限定なのだということを説明してくれた。この日、この後はしゃべりながらろうそく祭りに参加し、そして別れ際に来年の8月13日に高野山奥の院前のバス停に集合することを約束した。まあ、来年、つまり今から考えると去年、には行けなかったわけだが。なぜかと言うとやはり受験のスタートにしては遅すぎたようで、その頃には絶賛浪人生活中だったからだ。ほんとにすまん。



からぶきも終わり、こうやまきを花立てに入れ、線香と数珠を袋から出して祈る準備をする。

「いやあ、ほんとだよ!去年ずっとバス停の前で待ってたんだからね!あっつかったしさあ。そう君(くん)頑張ってたんだからわたし許すけどね!まあ、今年もきてなかったらほんとに枕元に化けて出てやろうかとおもったよ。うらめしやあってこんな感じに。」

「まあ全然怖くないけどな、りんが出てきても。」

前回、俺はもってきていた自分ひとり分の数珠をだしてお祈りしようとした途端、りんも俺と一緒に数珠をもってお祈りしたいと駄々をこねたので、今回は二人分持ってきている。自分の墓に祈りをささげるというのはどういう気分なのだろう、俺は凜用の数珠を彼女に手渡す。

「ありがとう。」

凜は俺に向かってはにかんでそう言い、そして目を瞑って祈り始めた。それに続き俺もそうする。



御廟へのお参りを終えたときには、あたりはもうすっかり暗くなっていた。もう下ではろうそくをもった人達が増えてきているはずだ。二人で横に並んでほぼ同じ歩幅で、順路に従って歩みを進めていく。階段を降り、石畳を二人で歩く。

「そう君(くん)がね、いいお医者さんになれますようにーって祈っといたよ!」

後ろに手を組み、前かがみになって白い歯を見せつつ俺の前に跳び出てくる。

「ん、ありがとな。」

このまま凜を普通に見ていたら、彼女の体勢的に見てはいけない部分が見えてしまう可能性があったので、目をあさっての方向にむけていう。

「そういうのは、ちゃんと目をみていってよぉー!だけど、素直にお礼言われると照れるなあ。」

ただ照れるのはやめてほしい、俺も恥ずかしくなってくる。恥ずかしさを払拭しようと凜から意識を外す。そうするとあさっての方向に、ある光景が見えた。今日という日の大詰め。

「あれ、見てみろよ。」

腕をまっすぐ進行方向へと突き出し、ひとさし指でその方向をさらに示す。

「あっ・・・」




参道の先の橋の向こう、石畳の道の両端にずらっと整列された、数えきれないほどのろうそく。それらに火がともされ作り出された光の道は、長い階段の上にいるのに終着点がみえない程に長く続いている。小学生くらいの子供、20歳くらいの若者、40歳ぐらいの夫婦、70歳ぐらいのおじいちゃん、おばあちゃん。そうした人々がもったろうそくの火がそれぞれの魂のように煌々と光輝く。


しばらくお互い言葉が出なかった。前もここに来ていて、そして前もここから見ているから、もう既にこの景色をみているわけだけど、それでもやはり声は出なかった。それでいい。本当に綺麗な景色に言葉はいらない。


「すごいね。」

「うん、すごい。」


俺たちはまるで頭の中にある語彙が「すごい」以外すべて抜き取られたみたいになって、「すごい」だけを言い合いながらその光の道を歩く。そして、そこを歩きながらふと凜を見ると、数々のろうそくの光が彼女を照らし、自分が彼女と一緒に参道を進んでいたのもわすれ立ち止まって見惚れてしまうほどに、彼女の姿は「すごかった」。俺たちはゆっくりゆっくりと、一歩一歩をとても大事にするように歩く。まるでそうでもしないとどこかにお互いが消えてしまうみたいに。本当に1年に一度しか会えないのだから、この間にもなにかいろいろなことを話すのがいいのかもしれない。おととし、はじめて高野山で凜に会ったその帰りのなんば行きの急行列車の中でそれを思っていた。でも、このときだからこそ言葉をつかうべきじゃない。魂同士で対話をするべきなのだ。だって、本当に綺麗なものに対しては言葉はいらないのだから。



行きに費やした時間の何倍もかけて俺たちは参道を進んだ。ただ、止まっていたわけではないのでいつかまた奥の院前に着く。そしてその時が来た。ろうそくの列はもうまわりにはなくなって、街灯と信号の光が俺たちを照らす。この世のものとは思えない幻想的な風景はもうない。ここは俗世。俺たちは信号を渡って、バス停のすぐそばに向かう。ただ、少しそれを遠巻きにして見るくらいの位置で止まる。おそらく俺たちと同じように祭りに参加し、そして俺のようにこれから高野山駅前に帰る人達の行列がそこから見える。

「今日はありがとね。楽しかった。」

凜が少し下を向いて言う。下りてきた前髪が目元をかくす。口元も見えない。でもどんな顔をしているかはわかった。地面にむかってきらきら光る水滴が落ちていく。

「こちらこそありがとう、楽しかった。」

もっとたくさん言いたいことがあるはずなのに、もっとたくさん伝えなきゃいけないことがあるはずなのに、何故か声にならない。本当に最後なのに、どうしてかお互い無言になる。そしてバスがやってくる。もう、お別れだ。

「俺、このバスにもう乗らないと。」

「そうだね、帰れなくなっちゃうもんね。そう君(くん)じゃあね。」

「じゃあ、また。」

本当にいいのか、これで。彼女に言わなきゃいけない台詞があるんじゃないのか・・・!




バスに乗り込もうとしたはずの俺の体は、吐き出されずに溢れだした感情に押し戻されて気づけばその反対方向、凜のもとへ駆け出していた。やはり凜は泣いていた。そして彼女は俺の靴がコンクリートにあたる大きな音に気が付き顔を上げる。凜の直前で急激に速度を落とした時一瞬だけ、驚いた顔の凜が見えた。けれど今はもう見えない。今俺の前に見えているのは凜の耳と、整って輝く黒い髪の毛だけ。俺が凜の後ろに手を回すのに反応して、凜も俺の背中に手を回してくれる。

「痛くなかった?」

「大丈夫、そう君(くん)もう見えなくなってたからもういっちゃったとおもってて、・・・。」

「走ってくる音がしたときには一体なにが来てるのかとおもって、本当に驚いたけど・・・。」

「そっか、ちょっと驚かせちゃったな、ごめん。俺、まだ凜に言わなきゃいけないこと、残ってたわ。」


意を決して俺は凜から徐々に体を離して、嗚咽が収まってきた凜の正面に立つ。小さく息を飲んで口をひらく。


「池田凜さん」


涙のあとを隠すため下を向いていた凜が、はっと顔を上げる。


「俺をいじめっ子から救ってくれてありがとう。いつもハンカチを貸してくれてありがとう。部活で落ち込んでた時、男友達と大喧嘩した時、父親と喧嘩して思いっきり殴られた時、いつもそばで話を聞いてくれてありがとう。」


大学受験を境に心の奥底で封印した感情が、自分の言葉が引き金となって溢れ出す。その感情達で喉が詰まって幾度となく声が出なくなる。それでも言葉を紡ぎだしていく、いや、そうしなくてはならない。


「挫けても何度でも立ち上がれる力を与えてくれてありがとう。いつも俺の憧れでいてくれてありがとう。俺の幼馴染でいてくれてありがとう。俺は君にもらった分のお返しを君にはできなかった。だからこれからは困っている人達、苦しんでいる人達を、君が俺にしたように、しているように、救っていこうと思う。君に俺が返しきれない程もらっている沢山の事を、これからたくさんの人に俺が分け与えていきたい。だから安心していてほしい。勉強がんばって、君が苦しんだあの病気をいつかこの世からなくして見せるから。」


彼女の顔がまた見えなくなる。ただ、ほんの一瞬、凜の小さな口が静かに動いた気がした。そう君、ありがとう、そうつぶやいていた気がした。そしてすぐにはっと顔を上げる。もう凜は泣いていない。大きく息が吸われてその口が開かれる。



この日最後にみた凜の顔は、生前にも一度も見たことないような満面の笑顔だった。

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8月13日、幼馴染と再会。 @aizawa_toru

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