第4話

 さくらがコンビニから帰宅すると、男は先ほどと変わらず、少しも身体を微動だにせずに静かに眠っていた。


 少しホッとしたような、そうではないような、何とも言えない気持ちになりながら、コンビニで購入した栄養ゼリーとミネラルウォーターを冷蔵庫に入れようとするが……。


 冷蔵庫内を隙間無く埋め尽くしている缶ビールが邪魔をして入らなかった。


 ……仕方ない、少し出そうかな。ぬるいビールは嫌だけど、今の季節なら然程さほど問題は無いよね。


 ふと、男を一瞥する。


 バスタオルと毛布くらいなら、汚れても何とかなるし掛けておこう。


 さくらは大人しく眠っている男に、厚手のバスタオルと毛布を、そっと身体に掛ける。すーすーと小さく寝息をたてている姿が、少し可愛らしく思えた。


 改めて、まじまじと男を凝視する。やはり素直に格好いいなと一人で納得しながら、慌ててその思考を脳内で否定する。


 なんか、捨て猫を拾った気分。

 ああ、疲れた。お風呂は明日にして、今日はもう寝よう。


 ◇


 翌日。


 さくらが目を覚まし、ベッドでモゾモゾと布団から出るのを渋っていると、自身の視界に得体の知れない物体が目に入る。


「…………わあああ!?」

 

「……うるさいな。何なんだ、お前は。毎回大声を出すのが癖なのか?」


 そう。さくらの目の前で、自身の顔を至近距離で近づけている男は、眉間に深く皺を寄せながらさくらを見つめている。いや、睨んでいるようにも見える。


「は? え? ……ど、どちら様ですか?」


「昨日、俺を助けただろうが。そんなことも覚えていられないほど馬鹿なのか? お前は」


 さくらは布団を深く被り、目線だけを男に移す。自分が昨日、この男を助けたのはしっかりと覚えている。彼女もそこまで馬鹿ではない。


 問題はそこではない。昨日あれだけの大怪我をしておきながら、どうしてすでにその怪我が快方に向かっているのかということだ。


「……怪我はもう平気なんですか?」


「ああ。問題ない。世話をかけたな」


「そうですか……」


 もしかすると、この男は律儀にもさくらが起床するまでの間、大人しく此処で待っていたというのか。一応、礼儀は持ち合わせているのかもしれない。


 しかし、何時までもこんな姿をこの男に晒す訳にもいかない。さくらは渋々、自身の温もりのある布団に未練を残しながら身を起こした。


 起き抜けの状態で真っ直ぐ冷蔵庫に向かうと、昨日コンビニで買い置きしたミネラルウォーターを取り出して男に差し出す。


「あ。昨日、水を買っておいたんです。よければどうぞ」


「頂く」


 そう言うと男は、さくらから渡されたミネラルウォーターを一口含み、途端に派手に吐き出す。


「……ゲホッ!」

 

「ひゃあ!? な、なんで!?」


「……すまない。水が傷口に滲みたんだ」


 突然のことで心臓が止まるかと思った。確かに昨日の今日で傷が完全回復する訳は無いか。この男があまりにも平然としているから、怪我人だということを失念していた。


「床を汚してしまったな」


「だ、大丈夫ですよ。水だけですし……」


 さくらは慌てて台所から、キッチンタオルを取り出すと水に濡れた床を拭く。その間にも男は大人しくさくらの動作を眺めていたが、やがてぽつりと疑問を口にした。


「……どうして、俺を助けた」


「え?」


 さくらはタオルを握りしめたまま顔を上げると、目の前で『解せぬ』とでも言いたげな表情をしている男と目線が合う。


「……今は二月ですよ。あんな場所で凍死したら、どうするんですか……」


 自分自身、戸惑っていた。咄嗟的にとはいえ、何故この男を助けてしまったのか。別に勝手に野垂れ死のうと私には関係ない。


 なのに、何故。理由なんて解らない。答えられない。強いて言うなら、放っておけなかっただけかもしれない。


「変な女だな。見知らぬ男に節介を焼いて楽しいか?」


 男は一層に眉間の皺を深くし問う。


「は? それが命の恩人に言う言葉ですか?」


 いちいち言い方にとげがあるのではないだろうか。沸点の低いさくらは少し喧嘩腰になる。


 この男が少しは素直かと思っていたが、とんだ間違いだったようだ。


 タオルを右手に握りしめたまま、さくらは残念そうに項垂れた。

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