第2話 ささいなきっかけで人と人は

 ある日、オレと前田君はジュースを飲みに休憩室に行った。

「ねぇ、プレイステーションって持ってましたっけ?」

 あ、この質問って前にもしたことあったっけか?

「いや、持ってませんけど……」

 普段ならここで会話が止まってしまうのだが、このときはもう一歩踏み込んでみた。

「じゃあ、スーパーファミコンって持ってました?」

「いや、それも持ってなかった」

 さらにもう一歩!

「じゃあファミコンはやってました?」

「あ、うん、ファミコンは持っていたよ」

 よし! はじめて共通項をゲットしたぜ!

「昔やっていたゲームで印象に残ってるものはあります?」

「う~ん、印象に残っているというか、つまらないって意味でインパクトのあったゲームがあるけど」

「え? なんですか、それって?」

 前田君は眉をひそめて、二秒ほど間を置いた。

「あんまり有名じゃないですけど、燃えろプロ野球というゲームがあったんですよ」  

 知っている、ファミコン初の八頭身キャラの野球ゲームだ。

「燃えプロですね。どの変がクソゲーだったんでしょか? なんでまた……」

「あれね、広いんですよ」

「え? 広い? どういうこと?」

「ストライクゾーンがすごく広いんです。カーブだろうがフォークだろうが、なんでもストライクになるんですよ。それだけならまだしも、地面にバウンドしたボールまでストライクになるんですよ!」

 前田君が怒っている。初めてオレに心を開いてくれた。そのきっかけがまさか『燃えプロ』になるとは思わなかった。

「思わず、電源を入れたままカセットを鷲掴みにして引き抜きましたからね。怒りのあまり」

 前田君はボソリとつぶやく。もはや彼は怒ってはいなく、顔をよく見ると半笑いだった。だからオレも笑った。

 

 そのときからなにかが変わった。明らかに変わった。ぎこちなかった二人の関係はノリノリになった。 

 計量室に入ってすぐの場所、パイプが伸びている。そこから冷房としての風が緩やかに流れてくるのだ。

 オレはそこを通るとき、必ずそのそよ風に飛ばされながらクルクルと回り、前田君に助けを求めた。

「か、風が強くて飛ばされる! は、早く向きを変えて!」

 そしてパイプの向きを変えようとした前田君も、うっかりと風に巻き込まれ飛ばされていく。

 オレは両手を広げて竹とんぼのようにオーバーに弾き飛ばされたのに対し、彼の場合はクラシックバレェのようにつま先立ちで、両腕を天に伸ばし、上品に回っていた。そして目と口が半笑いだった。

 楽しかったのでオレたちは毎日一回はこれをやった。志村けんのギャグのように何度くり返しても飽きなかった。

 オレがそよ風に飛ばされる。すると彼も飛ばされている。オレがなにを望んでいるのか彼は理解していた。アイコンタクトってやつをオレたちは修得してたのかもしれない。

 ただ二人とも、社員が近くにいないことを確認してからクルクルと回っていた。ノリノリとはいえ、そのへんは大人だ。


 計量をしていて、粉末が宙に舞ったときは必ずクシャミをした。もちろん二人とも普通に『ハクション!』などと発音するわけもなく、オレのほうは

「ファ、ファ……ファッションヘルス!」

 と発音し、前田君のほうは

「フェ、フェ……ヘミングウェイ!」

 と発音したりした。

 そのうちクシャミのヴァリエーションも増えていき、彼は

「ハ、ハ……ハクション大魔王!」

 と余分なものをつけ加えたり、オレも負けじと

「ハ、ハ……釣りバカ日誌4!」

 予想不可の暴挙に出たりした。

 他にもファッキンジャップ! ノンフィクション作家! 白馬の王子! コートダジュールで逢いましょう! など数々の名クシャミが産まれた。


 あるとき、彼は仕事が一段落したときに、段ボール板を前に油性マジックを持っていた。そしてなにやら難しい顔をしていた。

 なにを書くのだろう?

 彼の背中を母のような愛で見守るオレ。すると彼はボール紙の端のほうに、縦に一本直線を引き、そこに、

 のりしろ

 と書いた。少しオレが笑いそうになったのを目ざとく確認した彼は、今度はボール紙の角に線を引き、小さな三角形を作った。そしてその中に、

 スピードくじ

 と書いた。今度は思わず爆笑した。ウケているオレを見て、彼も少しだけ笑う。彼の笑い方は、少しだけ目が細くなり、少しだけおちょぼ口になり、少しだけ肩がふるえる、微細な反応だったが、オレには充分伝わった。

 彼とのコミュニケーションに言葉はあまりいらなかった。強いてたとえるのであれば、日本の家族とアフリカの家族がたがいの家に招待しあい、異文化に触れていくたびに仲良くなり、最後に号泣する二時間番組に近いタイプの関係であった。

 シュールな彼の笑いに対し、オレはモノマネをサービスした。井原主任がファッションヘルスで安全確認をしたら……というネタを彼は気に入ってくれてたみたいだった。

 

 時が経つのは早い。オレはあと一週間でこのヨーグルト工場を卒業する。

 イヤだ、ずっと彼とふざけあっていたい!ずっと彼とミニコントをしていたい。どうしてオレはここを辞めるのだ? いや、順序が違う。オレがあのタイミングで辞めると言ったので、彼と巡り会うことになったんだろ?

 前田君は相変わらず段ボール板に絵を書いていた。

 彼の書く蛇の絵は、なぜかどおくまんプロの漫画のように、舌がバネのようにグルグルと巻いていた。一見なんの変哲もない犬の絵は、なぜか足が6本あって、目が三角形で軽く狂気をはらんでいた。でも面白かった。だって明らかにオレが見てることを意識して書いているんだもん!

 彼は目立たない男だ。第一印象でそう思った。そして実際に目立たない男だと思う。センスの欠片もないくせに調子だけはよく誰とでもすぐにしゃべれるやつ、そんなタイプとは正反対だ。深夜ラジオに投稿するためのネタをちゃんとノートにまとめている、そんなタイプだ。

 彼の面白さを発見できて、じつによかった。

 でも彼の電話番号を聞こうとは思わなかった。

 思い出は美化されてしまう。数カ月後、彼と二人きりで居酒屋になんか行ってみろよ!

 基本的には無口な人なんだぞ! あぁ、前田君ってもっと面白い人だと思っていたのに

と失望してしまうかもしれない。多分オレはそんなふうに思ってしまうのだろう。

彼とオレは友達なのだろうか? 感情表現の乏しい彼は、オレにとってただの娯楽用品なのか? どこかそんな目で彼のことを見てるのかもしれない。


 そして最後の日がやってきた。

 その週の月曜日と、先週の土曜日は舞台があったからバイトを休ませてもらった。だから彼と会うのは三日ぶりだ。 

 あれ? 前田君は遅刻なのか? ラジオ体操が始まっているというのに彼はいない。安全確認をしているときの輪の中にも彼はいない。なんで?

「前田君? 今日は休みだよ」

 副主任が言った。

 そうなのだ。忘れていた。彼は家の用事があったのだ。どうして6月は30日までしかないんだ? 31日まであればよかったのに。

 先週の金曜日が彼と仕事する最後の日だったのだ。そうとも気づかないで、オレは普通に「おつかれさま」なんて言っちゃったよ。前田君はその日が最後だと知っていたのだろうか? 彼は土曜日、どんな気持ちで働いていたのだろう? なにかもっと気のきいた言葉を考えておけばよかった。でもそれもオレ達らしくてよかったのかもしれない。

 

 今日で計る仕事も最後だ。

 終わりを意識すると急に景色が新鮮に見える。吹き出す蒸気、タンクの音、フォークリフトのエンジン音、バカみたいに寒い保存庫……。

 九ヶ月間、オレはここでバイトをしていたんだと感慨にふける。

 最後の日だから前田君がいなくてよかったかもしれない。もともと一人でやる作業だったから、そのほうがいろんなことを明確に思い出せるだろう。最初っから一人だったんだ。そう思わないとやりきれないよ、やっぱり。

 さ、今日も一日がんばるか!

 と、ホワイトボードを見てオレはポカンと口を開けた。

 そこには舌の巻いた蛇、六本足の犬、現実には存在しえないオリジナル動物の数々が描かれているあの段ボール板が置かれていた。腹の袋に子供を入れているライオン、腹筋を鍛えているイルカ、青アザのできたパンダ……動物の数は前に見たときの三倍以上に増えていた。

 じつににぎやかで楽しい絵だった。そしてどうでもいい落書きでもあった。

 段ボール板を裏返すと、女みたいな小さ~い字で、

 おつかれさま

 と書いてあった。

 オレは声を立てずに地味に笑ってみた。そう、彼がよくやる笑い方のように……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

窓のない屋根の下で 大和ヌレガミ @mafmof5656

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ