#4

 不意に意識は風呂場の自分に戻る。半身浴を、さほ子はしていた。

 腰から上は水の外だったが、腰から下のぬるま湯のせいで、上半身は汗が噴き出すようだ。

 浴槽から出て、シャワーヘッドの下に立った。蛇口を回し、勢いのある水量のシャワーを、身体に浴びせた。

 さわやかな水流が、思考をシンプリファイさせてくれる。

 あの人は、彼女を本当に淫乱にさせる。巧みに陵辱りょうじょくし、煽り立て、理性のを外してくれる。

 彼女がこうして静かな日常生活を送るために、あの人とのセックスはなくてはならないものなのかもしれない。

 しかし、博人は、性器の挿入さえできない彼は、何故こんなにも彼女の意識に残ったのか。

 知り合って一年近く。触れることなく、やっと巡ったチャンスという名の彼女の気まぐれにさえ、応えられなかったのに。


 そして不意に、彼女は気づく。


 、ということに。

 あの人は、彼女を手際よく淫乱な女に仕立てあげる。彼女も気づかぬぐらいのスピードで、ランジェリーと一緒に理性も日常も、何もかもを取り去ってしまう。しかし、博人は何物も、さほ子から取り去らない。その代わり、誰にもできないやりかたで、彼女の心を裸にさせる。とても自然に。とても不器用に。

 いや違う。

 彼は何をするのでもない。

 ただ単に、彼女を心の底から求めているのだ。ただ、それだけなのだ。

 身体を流れるシャワーの水流が遠ざかり、浴室の中の水音が消える。

 そう、彼は、こんなデタラメな私を、あんなにもストレートに求めていたのだ。

 それに、いま気づいた。

 ―――いままで、気づけなかった。


 肌を重ねれば嘘などつけない、と思っていた。しかしそれは違った。

 彼女は自分の心にさえ、嘘をついていた。

 セックスで、誰かを愛してしまうのが怖かったから。

 夫以外の誰かを。


 勃起しなかったペニスと、たゆたうような彼の表情が交錯する。

 彼もまた、迷い子なのだと判った。

 あんなにも美しいガールフレンドをもちながら、充たされぬ想いを抱えていたのだ。


 水中を長く泳いだ潜水夫が、水上に戻るためにゆっくりと浮上してゆく。ヘルメット内の圧力を下げ、地上との気圧差を減らしてゆく。

 そんな風にゆっくりと、彼女の意識はシャワーの下へ戻ってきた。

 あたたかい水が、激しく全身を叩いている。


 指先が、止まらない水を流してゆく乳首と、性器に向かう。

 自慰など。

 何年もしたことはなかった。


 彼の名を、小さな声で彼女は呼んだ。






 雪のふる夜はたのしいペチカ


 ペチカ燃えろよお話しましょ


 むかしむかしよ


 燃えろよ、ペチカ

  

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