第4話1章 娼館「ダーク・ミクスチャー」3

エルフの年齢を外見で推し量ることは他種族からは難しい。身長や耳介の長さである程度は当たりをつけられるが、自分の”当たり”が的中したことはいまだない。それでも、この館の主人———ルーセット・マールブルグ氏———は明らかに若すぎる。娼館の主人にしては。

耳介の長さは自分とほぼ変わらないし、先ほど聞いた声色も、もしここが娼館ではなく公園であれば幼女の声かと間違うほど幼かった。身長は自分、いや、ネイザーよりも低く見える。

大体の場合、娼館の責任者と言えばギャングの中堅程度の人材が配置されるものだが、ルーセット氏はこの若さで中堅に位置するのだろうか。あるいは別に真の責任者がいて、ルーセット氏が名ばかりの責任者になっている可能性も考えられる。

どちらにしろ、年の若い責任者というのは面倒な連中が多い。何かにつけて行政やら体制やらに非協力的であることが美徳であると捉えている者が多く、説得に時間を要する。ひどい場合には警護隊にしょっ引いてもらう必要まで出てきて、得てして主に自分が事後処理に追われることになるのだ。


「営業時間前に悪いわね、ルーセットさん。保健所のネイザーです、こっちは部下のテイク」


ルーセット氏に対する口調が中年男に対する口調から変わり、少しフランクに変えたあたり、ネイザーもこの責任者について思うことがあるのかもしれない。

ま、こんな若い(ように見える)責任者が館の衛生管理を怠ったおかげで自分達が調査に駆り出されたのだから、多少口調が変わるのも仕方ない。


「どうも、テイク・ヘンドラです」


「どうも、いつもお世話になってるわ、保健所さん」


保健所の職員に対応するのが心底面倒に感じているような口調だ。しかし、この責任者は社交辞令が言える程度には常識人のようだ。これで事務書類から目を離してこっちに体を向ければ社会人合格なのだが。

このまま事務書類を見られていては話が進まないし、ルーセット氏にはぜひこっちの説明を聞いてほしい。こんなとき、つまり、水商売を生業にしている輩の注意を自分に引き付けるのに最適な言葉がある。


「実は今回、浴槽水の数値が基準値を逸脱したのと、あと一つ、”通報”があってここに来ました」


ルーセット氏はようやく書類から目を離し、自分に怪訝な表情を見せてくれた。その顔は見れば見るほどやはり若い。そして美しい。あながち純血のダークエルフというのも真実かもしれない。

とりあえず自分の説明に注意を引くことには成功した。やはり水商売の関係者には”通報”が一番効く。


「そういえば、ちょっと前にここに来て浴槽の水を取っていったわね。あの時は事前にここにいらっしゃるって、連絡してくれたと思うけれど、どうして今回は抜き打ちの立ち入りなのかしら?」


「それは、今回に限っては基準値を逸脱した検査項目の中に、”逸脱していたら施設に抜き打ちででも立ち入って、責任者に早急な解決を求めるべき項目”というのが含まれていたからです。我々の言い方では”義務項目”と呼びますが」


より正確には”法定遵守義務項目”と呼んでいる。この項目には、逸脱してしまうと「ただちに、あるいは長期的に見て、生命に対する健康上の被害が発生することが確実である」項目が含まれているため、これらの項目の基準値逸脱は”緊急事態である”という様相を孕む訳だ。そのおかげで自分達書見所職員も抜き打ちの立ち入りが認められている。オマケに、この項目の値を改善するため、という条件付きで警護隊が持っている一部の執行権を限定的に行使できる特典もある。


義務項目には病原体全般の濃度や、感染性又は病原性の強い病原体の他に、マナ濃度、不特定多数に対して無差別に作動する呪い———呪詛———等がある。これまで義務項目を逸脱した事例と言えば、数年前にここより北に位置する地方都市の大衆浴場で発生した、大規模な水系呪詛だったと思う。浴場があまりにも水を無駄使いするとかで、土地の守護神だった水の女神が憤怒した結果、都市の大半の住人が枯死したのであった。

ダーク・ミクスチャーの浴槽水が逸脱した項目に呪詛は含まれないが、過去の事例を踏まえて慎重に調査する必要があるのは事実だろう。


「あらそう。”努力”じゃなくて”義務項目”なら仕方ないわ。私達もしっかり改善していかないと、営業ができなくなっちゃう。ウフフ」


自分はネイザーと目を合わせた。


ルーセット氏は”努力項目”のことを知っていて、かつ”義務項目”との差も理解している———今のルーセット氏のセリフで自分もネイザーもそう合点したからであった。

先ほど、若い責任者は法律を理解しないから面倒だと書いておきながら手のひらを返すようであるが、法律を良く知る責任者もまた面倒だ。こっちが言っている事項に従う”義務”があるのか、あるいは従うよう”努力”するだけでよいのか、的確に判別してくるため、これまた説明に骨が折れる。


ちなみに、”努力項目”とは”義務項目”からグレードがひとつ下がったもので、”努力項目”の値が基準値を逸脱したところで、自分たちは緊急の立ち入りは行わない。大体は事前に先方に基準値逸脱を伝え、日程を互いに調整してから立ち入るものである。努力項目で逸脱があった場合、「ただちに健康被害が生じる恐れは低いものの、継続した場合には健康被害の発生を考慮しなければならない」とされている。


「義務項目の理解があるなら話が早いわ。各逸脱項目の改善を目的に館内を調査するから、ご同行願えるかしら」


ネイザーは法律の理解があるルーセット氏に多少警戒しているようだ。少し口調が強くなっている。


「ええ、もちろんご案内するわ。今ならお客様も入っていないおかげで隅々までお見せできるし、是非保健所さんのお知恵を貸してくださいな。ところで、”通報”内容も教えて下さる?」


「あ、まあ、通報の内容は追々。調査中にお話ししますよ」


「今説明をしないということは、通報内容は法律に関わる事項じゃないってことかしら。それなら確かに調査の方が優先よね、ウフフ」


どうもこの責任者、やりにくい。法律をある程度理解しているせいか、こちらのやり方をわかっているふうだ。こちらのやり方をわかっているのならば既に逸脱項目の言い逃れも用意しているのかもしれない。今日の立ち入りは無駄骨かもな、と思いチラリとネイザーをみるとネイザーの方は涼しい顔を崩していない。自分より経験の長い先輩が隣にいることを頼もしく感じた。


「ところで、その逸脱した項目というのは何だったのかしら?」


自分が口を開こうとしたが、それより先にネイザーが答えた。


「今回逸脱があったのは、”クリプトスポリジウム”と”マナ濃度”よ。それじゃあまずは給水管のあるところから案内して頂戴」

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