321-330

321


砂漠をゆくあなたにこれは必要かしらと女が水差しをつまみあげ、しげしげと眺めたあとひょいと放った。わたしの水差しは投げ上げられて弧を描き、もちろん砂上に転がった。女の指はあんなに細くて真鍮細工を軽々放り、水などないからしかたないのだ、わたしを捨ててしかたないのだ。



322


雨の街へゆく息子に傘を差し出す。雨の街では人はきのこが生えて死んでいくという、でも逆で少しずつ動けなくなるからきのこが生えるのだ。息子が笑う、向こうじゃ傘は差さないよ、みんな合羽を着て火を焚いて、家はガラスで覆ってる、ママ、大丈夫だよ、大丈夫。私達は抱擁する。



323


ライターは、寒いときに使うから捨ててはだめで、こんなおもちゃみたいな色してるのに、毒だから割って飲んでもいけない。寒いときのためにとっておくのは他にもあって、吸いさしのたばことか、悪い酒とか、本当に寒いときには本当は何も役に立たないけど、そんなのばかり拾ってる。



324


テーデ、あんたの娘は外国で、貝がら拾いをしてるんだって? 路地をうらうら歩く私をがらつく声が飛び越して、見上げた道の向かいの窓からおかみさんがぬっと出た。そうだよあの娘は知らない浜で、貝がら売ら売ら生きてるよ。それで二人は笑い合った、私もうらうら行くほかなかった。



325


身は食べて、骨を焼いたら灰を埋め、羽根は束ねて腰に下げる。河原の石は白黒だから、灰は馴染んで見えなくなる。異国の人が鳥灰を、川向こうから指していう、これはある種の願掛けだから、手順を違えず行います。異国の人が応えていう、彼らはそうして死んだ鳩たちを数えているのね。



326


みじめな二月に雪が降るから雪だるまを作ってやった。春にはおまえは消えるんだよと、教えて泣くのが見たかった。ところがそいつは私に言う。そうですよ、じきに二月は終わります。顔を上げればこう続ける。ばかですねえ、ぼかあたかだか雪ですよ、あんたをなでてもやれやせん……。



327


サナミアのお堂の石の円屋根は、雨の日はとても滑るのです。サナミアの修道院長室はあの円屋根の下にあり、あるとき男が忍ぼうとして、足を滑らせて落ちました。絹雨の中、わたしは院長室を出て、とむらいを出してやりました。サナミアのお堂の濡れ光る石、男はわたしの兄でした。



328


親の仇がものすごくおいしいカレーを作るらしいというので食べに行く。知人の店の厨房を借りて火曜だけ、一日店主になるのだそうだ。繁盛店だから並んで待って、マッチ箱みたいな店のカウンター席で、匙で掬って一口食べて、それからもう手が止まらなかった。隣で弟が泣いている。



329


ここでない場所で私のために、つくった海でも必要ならば、私はひとりで埋められる。それだけひとつ分っていれば、ここで皆んなと知らない海をずっと掘るのも耐えられる。遠くの人が私たちを並べて朝礼をする。「では繰り返してください、私たちは、」「私たちは、」私たちは繰り返す。



330


今日のあなたはちょうちょに似ていて粉を散らして恐かった。どんなにきれいな翅をしててもやっぱり私はちょうちょが恐い。ちょうちょが悪いわけじゃない。あなたが悪いわけでもない。昔きれいな魔女がいたから、この粉を、顔につけたら化粧になるのと、言ってちょうちょを獲ったから。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ツイノベ ログ @0and0and0and0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ