241-250

241


その夜、父に手を引かれ、破船を見た。村の者は脛を海に浸し、またひとり引き上げられたそれは若い士官で、笑んだように眠っていた。村には少し外れた娘がいて、薪を焼く炎にひとりで歌い、踊っていた。炎は夜空に金粉を撒いて眩しかった。私は父の手を握った。父は黙って握り返した。破船、私の破船。



242


首をやるから家族を許してくれと言われ、首は俺をやるからあれを許してやってくれと言う。そんならばと首をもらうが、もらったそばから別に欲しくもなかった気がしてくる。人の首など……。



243


隣人の育てていた鉢を預かった。鉢は白いシクラメンで、もう花も終わりかけの頃だった。どうせ戻ってこないつもりだろうになぜ預けるなどと言うのだろう。いさぎよく私のものにしてしまえれば、シクラメンにもいつまでも居心地が悪い思いをさせずに済むだろうに。



244


あの部屋に住む私を殺さなくては話が進んでいかないのだ。あの部屋、私の頭の中の、海に浮かんだ団地の船の、千ある同じ間取りの部屋のうちのひとつ、三面の灰色の壁に一面の硝子窓、鯨の絵のかかったあの部屋に住む私、あれを殺さなくては私は進んでいかれないのだ。



245


羊が飼い、獏が数え、人が食う。夢。



246


斧がある。いつもある。この家に越してきたときから、裏の切り株に突き立っている。錆びている。汚れている。窓からすこし遠くに見える。湯を沸かしたり、猫を撫でたりするときに、ふと顔を上げると目に入る。ああ斧があるなと目の端で思う。思いながらそのたび首が落ちる気がする。



247


私たちは鐘の時代から魚群を証明し続けている。鐘代から継がれたある魚群の証明のために、私たちは子を為し投網を編む。魚群は鐘代から決まった潮流に乗り、私たちを養い続け、返礼に私たちは魚群を証明する。私たちが魚群を証明し続ける限り、魚群もまた私たちを証明し続けているのだ。



248


鯨が解体されてゆくようにベッドが解体されてゆき、二十分で骨まで畳まれ跡形も無くなった。最後に業者にサインをしたら本当に全部片付いてしまった。最初から誰もいなかったみたいだった。手順の全体がとても清潔だったので怖くなり、それで今日まで日記をつけている。



249


そうして人類は永遠の眠りについた。人類を寝かしつけたのが割と穏やかな存在だったので、人類全員二度寝のあの最高な感じが永遠に続くことになった。人類の明日は休日だ。明後日も、明々後日もその次も。やったー!



250


蟹と船虫と宿借のための砂の城を築いたのに誰も住まわないからつまらない。蟹は磯に、船虫は船に、宿借は貝に、もう家があるから住まわない。回廊と尖塔と玉座、ここに住まうのが私だったら。私だったら……。でももう日が暮れる。

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