111-120

111


郊外の沼地には洞穴があり、そこには三人の家族が住んでいる。洞穴の家長は耳がよく、人々の足音を聞いては誘惑する。私達はあなたに祖先を見せることができると、洞穴から、まずは家長、それから家員、三人の声で。沼地をゆくあなた、あなたは自分の祖先を知ろうとしてはならない。なにを言われても。



112


スープに味が足りないので塩壺を開けると空だった。鉢を抱えて小屋を出て、裏谷を降りて塩塚群へゆく。塩塚群は谷底に盛られた塩山の群れで、高さは私の背丈ほど、固まって数千が林立し、風雨に溶けず崩れず白い。時折こうして塩を借りる。代々の管理人ではあるが、私はここを管理する理由を知らない。



113


「さあ、これで全部おしまいだよ」そう言うとタデウシュは両手をはたき、埃を払って立ち上がった。タデウシュが立って数秒後、彼の腰掛けていた木箱が終着した。タデウシュは黙って窓辺に寄った。窓から差す陽光の中、手元の窓枠が終着するのが見えた。私たちは終着した。まもなくこの部屋も終着する。



114


母親がおそろしく、祖母がおそろしく、曾祖母がおそろしく、曾祖母の母がおそろしく、またこのさき私の胎から出てくるまだ実体のない娘がおそろしく、その娘たちの胎から出てくる孫娘たちがおそろしい。無数の胎が、女たちがおそろしい。女がおそろしい。



115


種としての後片付けを終えるために私達は地表に残り、すべてが砂に還るのを見届けてから、ああほんとに終わっちゃったんだねと手に手を取って笑いあった。視界の限りの宇宙と砂丘、さえぎるものは何もない。私達の痕跡が消えた地表は広く乾いて清潔で、完成された光景だった、それが少しくやしかった。



116


わたしたちの悲しみはいつか終わり、ばら色の朝がやってくる。永遠は過ぎゆく瞬間のうちにあり、幸せをとどめておくことはできないと知っているから、わたしたちは祝祭のさなか、力のかぎりに夢をみる。わたしたちの悲しみはいつか終わり、ばら色の朝がやってくる。



117


遠足の日、帰った子供は地獄の門を見たという。弁当箱を洗い桶へ、眩暈する心地で訊き返す。地獄の門?じごくの門。列から外れたの、わかんないけど外れちゃった、それでじごくの門を見た。子供はそれきり黙り込む。空の弁当の沈んだ水に黄色く細かく油が浮かぶ、列を外れた地獄の門を、私は思い描く。



118


パンケーキに蜜をかけすぎる。皿の上は茶色い海だ。するとケーキは浮かんだ島で、ナイフを当てれば沼地のように、蜜がじくじく染みてくる。テーブルの向かいの相手は黙っている。いつもこうだ。なんだってそうだ。おいしかったはずなのだ。冷めきっているパンケーキ。口に運べば痺れるように甘い。



119


恋人から関係の解消を提案された。理由を聞く。あなたは間違わない、あなたは他人と一緒に間違いを犯さない、あなたはあらゆる場においてひとり自分だけが正しい、あなたは美しいが、私にあなたを愛することはできない、と恋人は答えた。元恋人のこの人物評は適切なものとは言えない、と私は判断する。



120


女たちが、河のほとりで洗濯をしている。流れついた魂をさばさば洗い、渡した綱にかけて干す。濡れた魂は陽にさらされて、透きとおりやがて解けてゆく。ひなげし揺れる土手の春、草の匂いの橋のたもと、持ち主のいないおもちゃのヨット、前掛けに効いた白い糊。女たちは笑いさざめく。

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