スクラップブッキング的悪趣味

韮崎旭

スクラップブッキング的悪趣味

 道路上に展開された、死んでいるまたは死につつある人間を見ているのが私とこの冬の終わりの冷気だけであるという事実は甚だ私を喜ばせたが、私はその、周囲に車両がないため恐らくはひき逃げにあたるのであろう、ひき逃げされた人間の空気にさらされた内臓の、その表面を繊細に覆う膜の上の体液の光沢に、血管の蜘蛛の巣やレースのような複雑で入り組んだ、そして華やかな構造に、懐中電灯で無遠慮にそれらを照らしながら見入っていた。懐中電灯を持ち歩いて自分が夜間に散歩することを思いついたことを何者かに感謝しないといけない筈だ。辺りにはうっすらと湯気の立つ血液が広がっていた。細かい飛沫もあり、それらが描く可憐で瀟洒な文様をも、懐中電灯の明らかにその死体の各組織の細密さに似つかわしくない、だがそれだからこそその死体、と便宜的に呼ばせてもらうが、実はまだ生態である可能性はあるが、懐中電燈の明かりは無機的に照らしていた。だが私はこれを、この美しい構造物を医療などという無粋な手にまして実利的・社会適合的目的だけのためにこれを解体し、あまつさえ焼き捨ててしまうことまである警察の手に渡す気はまだない。腸間膜の襞の一つ一つ、飛び散った血の光沢や温度の変化を見届けるまでは。とはいうものの。通報しないで遺体を持ち帰ることはやはりかなわない。結局のところ、いかに不本意であろうと、私はこの美しい構造物とは、写真の上でしか、今後会うことはできないのだ。私はまずは、その死体らしい人間を正面から撮影した。次に不自然に捩じ切れ隙間から皮膚が裂けてその隙間から筋肉や著しい場合には骨らしいものまでが垣間見え、そしてその裂けた傷口から懐中電燈の明かりに照り映える血をまだ流し続けている、右腕を何度も、角度を変えて撮影した。それから周囲の様々な血痕を撮影し、同じく不自然に、衣服を巻き込みながら捻じれて絞られた雑巾のような形状になっている右脚……実に素晴らしい構造物であり、人間はこのように損壊されて初めて人間たる意味を成すと私に思わせるには十分だった、……も撮影した。人間は死ぬために生きているとかいう箴言は、このような場合にこそ実現性を見る。

 十分に撮影したところで、実に惜しい話だが、私はその現場を去ることにした。私の部屋は、いたるところ、路上の轢死体(動物の種類を問わず)、生体の損傷部の写真(医学雑誌からのコピーの焼き増し)、同じく学問的な専門誌のコピーの焼き増しであるところの、華やかで盛大な損傷を持つ死体の写真、腐敗した死体の写真の様々な種類のもの、その他自分が発見して撮影した、様々な、例えば、皮膚のあらかたを、死体としてはまだ新しいにもかかわらず、恐らくはタヌキや犬などの野生動物に食い荒らされ、赤く瑞々しい創洞、もしくは創面を、……それはもう、面と言って差し支えない面積であったが、皮膚などの体表の組織が抉れていることに違いはない……晒しているもの、皮膚がビニル加工された布のように乾燥し硬くなり、変色して、骨にへばりついている、数えきれない蛆をその身体の未だ一部は濁った色の体液をその身体の、またはそれの位置するところの自然地形のくぼみに残した状態で、抱えている明らかな死体であるもの、飛び降りたことで首が半分ほど落下した末の衝突の衝撃で、胴体から離れているその傷口から真新しく澄んだ血を吐きながら、腕などにも開放骨折などの様々な眼を惹く損傷を持った少女の、中年女性の、壮年男性の、それぞれに異なる様相を、同じ死亡方法であるのに見せている死体、それから、工作機械に巻き込まれて、ひき肉のようになりながら、人体の断面の精密さ詳細さをその掻き混ぜられた身体から垣間見せてくれる労働災害に遭った人間の傷口……。

 治癒した瘢痕。壊死した組織を切り取る手術の図説に用いられるカラー写真は、万華鏡のようにけばけばしく繊細で精妙だ。または、ふやけて皮膚が抜け落ちた水中死体の前腕から手にかけての部分。または、まだ新しい水死体の、砂糖のように白い皮膚に、魚などの水生生物や船舶のスクリューの稼働によって死後つけられた傷から覗いている淡桃色の組織。それは、ある種の真珠のようであり、真珠を引き合いに出すのが死体に対し失礼にあたるともいえるうるわしさを持つ。強いて言うなら、真珠の色を、「水死体の傷口のような」と例えるべきである。または、肢切断術の紹介に添えられた写真。血管、筋肉、筋膜、皮膚の層になった構造、それらの細部にはいつでも目を奪われる。


 メキシコ湾流によって運ばれてきた魚を魚市場を兼ねた市場で購入したのが、その鍋で魚が煮込まれている経緯だった。東田孝之は自動車の左折時巻き込み事故によって当時は左足切断の大けがだったが、搬送先の病院で感染症のために死亡した。内蔵も駄目になっていた。腹腔内は損傷された組織から流れ出たり滴り落ちたり滲んだりした血で埋められていた。彼の死後の解剖によってそれが判明した。長谷川那珂は最大震度6、マグニチュード7程度の地震の際に、倒壊した家屋の下敷きになって死亡した。倒壊した家屋の下敷きになって死ぬ方法はきっとさまざまであるに違いない。重いものが頭部などの重要な部位を直撃することかもしれないし、重いものが横隔膜の運動を妨げたために窒息したのかもしれない。もしくは、重要な臓器が無事であったとしても下肢などの負傷にその端を発する挫滅症候群が死因であるのかもしれないし、尖ったものが身体のどこかしらを貫いた結果として、出血が原因で、または貫かれた臓器の損傷のために、と言うのはつまり、出血だけではなく、重要な臓器が壊れているという状況から、死亡したのかもしれない。長谷川はその地震のあと、倒壊した家屋の下敷き状態でしばらく生き延びたのかもしれない。だが残念ならがら、救助は彼を生かすためには間に合わなかった。有害鳥獣駆除の際に同行した人間による猟銃での誤射によって廿日市七日は死亡した。そのことに気づいた駆除をしていたメンバーが救急に通報したが、彼は搬送先の病院で死亡した。また、市川柾は夏場に険しい足場の渓谷で滑落を起こし、頭蓋が砕け、その中身が草むらに飛び散って、四肢が下手な粘土細工のようにひしゃげた状態で死亡したのだが、悪天候などにより捜索が遅れた結果として、発見された時には腐敗が始まっていた。眼球は残されていなかった。腐敗の速度からは考えにくい(他の部位と比較して)状態であり、動物に持ち去られたと思われた。また、救助の際には(もっとも、遺体の収容または回収とでも言った方が適切かもしれないが)、散らばった脳などの中身をかき集めて蛆や蠅がたかった頭皮が剥がれ落ちそうな頭蓋へと詰め込むようなことはされなかった。腐敗が進んでいたことなどから葬儀がやや難儀だった。つまり、病院で死んだようなわけには、死体を処置する側としても損壊がひどいために、なかなかことを進められないから。嶋沢誠は、公園で日曜の昼間に転寝しているときに飢えた人間にメッタ刺しにされて死んだ。強盗殺人だった。公園のベンチが血液で盛大に汚れた。ついでにしたの舗装面にも血が派手に飛び散ったのだが、結果的にこの派手な出血が強盗殺人犯が逮捕される助けになった。何故なら、返り血を浴びてどう見ても動物か人間をついさっき捌いてきました、とでも言わんばかりの服装でこの強盗殺人犯は平気で弁当屋に行き弁当を購入したためであり、弁当屋の人間が通報したことで事なきを得た。嶋沢は死んでいるので、どこまでが事なきを得たのかわからないが。

 佐川は私の話を聞くと、「飽きないの?」と尋ねた。

 私は佐川のやわらかな髪を梳くと、「いくら見てもみたりないし充ち足りないのだ。それを説明する言葉を私は持たない」と返した。

 佐川は寝起きの猫のように床に置かれていたチョコレートの箱に手を伸ばし、「物好きだな……」

 一方で画面では海外に関する報道番組で戦地の惨状が流されていた。戦地の惨状はどうだろう、医学雑誌ほど創(きず)にフィーチャーしていないのがやや残念で、戦争の悲惨さを政治的に正しい態度で訴えるための道具立てと言う印象を受けていけ好かない。それよりは新聞記事の、タブロイド紙の、つつましやかな、あるいは大げさな、見出しとともに表される死人の写真の方が好ましかった。それから友部は斧を持ってちょっと芝刈りに行ってくるといって外出し、通行人の首を刎ねて回ったことはのちの報道から周知の事実だ。友部は通りがかりの中流階級の女性に礼儀正しく近づくと、「芝生のある場所を教えてください」と、洗練された態度で彼女に話しかけ、とはいえ、左手では何の被覆もない斧を握りしめたまま。彼女が斧にまで注意が向かずに「芝生ですか?」「ええ、芝生です。のどかで暖かな、心のよりどころになるような芝生を探していて、……」「でしたら町田造園に行くと結構だと思いますよ。あそこは基本的には庭木の管理を主とした業務として謳っていますが、芝生の手入れも丁寧で見事ですから」「なるほど、素敵な回答ですね」そう言いながら左手の斧を横になぐように振ってあっさり彼女の首を切断してしまった。道路に重そうな音をたてて落下する頭部にはまるで無関心を示しつつ、彼は市役所に出かけ、そこで更に4人を叩き切って致命傷を与えて殺し、他にも17人にけがをさせた。

 佐川はチョコレートで、ラム酒の含まれるガナッシュを持ったトリュフチョコレートを手に取ると、さりげない様子で食べた。

「洋酒が好きなのか?」

「いや、チョコレートが……」

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