Western cutie

 久々にネコの話である。


 動物番組を見ていると、たまにネコに芸を仕込んでいる動画が紹介されることがあるが、ああいうのって、ちゃんとやれば全てのネコが出来るようになるものなのだろうか。


 まあ、仮に出来たとして、私はあまりやりたいとは思わない。

 ネコは寝てればいいのだ。

 それで充分可愛い。


 少し真面目な話になって恐縮だが、ネコを飼うという行動は、その他の家畜の飼育と比べて文化的な側面が強い。

 まず、ネコという生き物がそもそも家畜に向いていない。


 人が家畜としている生き物は、本来は野生においても群れで生活する動物が殆どだ。だから飼い主は群れの一員としてそれらの動物を飼う。

 ただ、ネコの場合は違う。

 イヌは人につき、ネコは家につく、とは誠に言い得て妙な表現である。


 飼い猫の文化はエジプトが発祥とされているが、これは穀倉を狙うネズミ避けという意味合いがあったのだという。

 私がここで注目したいのは、エジプトではネコが神聖な動物とされているところだ。


 イヌでもウマでも、人間の生活に役立つ動物は沢山いるが、彼らがそれを以て神聖視されるということはない。

 何故なら、それらの動物は人間にとって支配できる動物だからだ。

 だが、やはりネコの場合は違う。

 きっと古代エジプトの人間たちも、私たちと同じことを考えたに違いない。


「この動物、ネズミ取ってくれるのはいいけど、こっちの言うこと全然聞かないな……まあ、可愛いからいいか」


 その思い通りにならない様を受けて、「いやいや、こいつらは神聖な動物だから。いいの、いいの。これで」と周囲の冷やかな視線を誤魔化したに違いない。


 因みに、この飼い猫の文化がシルクロードを通って中国や日本に流れてきたそうなのだが、それは周代よりも後のことなのだという。

『猫』という漢字もそれより後にできたもので、これは獣偏に『ミャオ』という音を宛てただけの至極簡単なものだ。


 要は、ミャオ、と鳴く動物、みたいな意味だ。

 かわいい。


 十二支にネコが居ないのも極々簡単な理由で、単に十二支が作られた時代に、まだネコが中国ではメジャーな動物ではなかっただけのことなのである。


 さて、長々文化的な話をしておいてなんだが、ここでの要点は一つだけ。

 ネコと人間は昔から対等な共生関係にあったということだ。


 それを踏まえて、私と我が家のネコの素晴らしい共生関係を紹介しよう。


 我が家のキジトラは基本的に外出を禁じられているのだが、禁じられているからこそ彼女は外出欲求が強い。

 家に人が出入りする際には必ずと言っていいほど玄関にて隙を狙おうと待ち構えている。


 そして玄関前の廊下に人が立つと、人より速く玄関に走っていき、にゃんごにゃんごと可愛い声で鳴き、くてん、と寝っ転がって腹を見せてくる。

 かわいい。


 私は、そんな彼女の行動に着目したのだ。


 ある日、親戚の子供が家に遊びに来た時のことだ。

 私はまだ小学校に上がる前の幼児に、静かにして見ててね、と言い含め、廊下の隅に立たせた。


 そしてさも外出するかのように大袈裟な振りで玄関まで歩いた。

 すかさずネコが走り来る。

 私はタイミングを見計らい、手でピストルを形作って、玄関の扉の前に立ったネコに向けた。


「BANG!」


 ネコが転がって腹を見せた。


 幼児、大はしゃぎである。

 すごいすごい、もう一回やって、と騒ぐ幼児を、私はさも芸をしたネコを誉めているかのように撫で擦りながら、「駄目駄目。ネコにも都合があるから。何回もはヤってくれないんだ」としたり顔で受け流す。


 ネコの動きに人間が合わせる。

 これぞ正しきネコの芸というものであろう。


 ……この幼児にいつ真実を告げるか、今現在私が大いに悩んでいる問題である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る