第25話 戦闘

 まさに斬られる瞬間でした。

 土鬼は首に光戦の民の矢を受けて、悲鳴をあげて倒れました。

「スミア! 何をしている! 早く逃げろ!」

 アルヴェが、剣を抜いて走ってくるのが見えました。

 今の矢は、彼が持っていた最後の一矢だったのです。

 穴からは、まだ土鬼が出てこようとしていました。

 スミアは正気に戻ると、再び光戦の民の剣を取りました。

 逃げるなんてまっぴらでした。


 今こそ、復讐だ! 仇をとるのだ!

 一度死んだスミアの心に、再び炎がともりました。スミアは、奮い立ちました。

 過去はすべて切り捨てよう! 

 あたしは土鬼どもが嫌いなんだ。あいつらと共に生きるなんてまっぴらだ! 

 スミアが握りしめる短剣は、心模様を映し出したように、怒りの炎が舞いました。

 それは清めの炎でしょうか? 土鬼の目に浮かぶ邪悪な炎でしょうか? 

 そのどちらでも、スミアには関係ありませんでした。ただ一つの目的のために。


 あたしは土鬼を殺す!

 あたしが、あたしらしく生きるため!


 スミアは自分に言い聞かせました。

 今こそ、人生に苦渋を与え続けた存在をすべて抹殺し、新たに人生をやり直すのです。

 人間は、どうにでもなれる。善にも悪にも……。

 アルヴェの言葉を、スミアは思い出しました。

 それならば、善になろう。

 じいちゃんやばあちゃん、両親とは違う道を、村の人たちとも違う生き方をしよう。


 スミアは穴から出てこようとした土鬼に切りかかりました。とたんに跳ね飛ばされて、ひっくり返りました。

 土鬼はスミアにのしかかると、首を締め上げようとしました。さらに生臭い息が、スミアの呼吸を阻みました。

 スミアは必死になって、体を入れ替え、土鬼に馬乗りになると、何度も短剣を突き刺しました。一刺しごとに血が飛び散り、スミアを黒く染めていきました。

 スミアが格闘しているうちに、別の土鬼が穴から這い出してきて、剣を振りかざし、スミアの後ろに迫っていました。

 やっとたどり着いたアルヴェが、スミアと土鬼の間に割り込みました。

 土鬼の黒鉄の剣と光戦の民の白銀の剣がぶつかりあい、激しい音と火花を散らせました。

 土鬼の順番が逆でしたら、スミアは死んでいたかもしれません。アルヴェが相手をした土鬼は大柄で、しかもかなりの腕前でした。

 さすがの光戦の民も一太刀とはいかず、間合いを取って、かすかに眉をひそめました。

 さらに穴から別の土鬼が出てこようとしていました。

 この土鬼を穴から出したら、アルヴェも苦戦を強いられるでしょう。シルヴァは、反対側で孤軍奮闘中です。

 スミアは、短剣を握りなおして穴の前で構えました。


 穴から土鬼が出てきました。

 スミアは容赦なく切り付けました。土鬼は甲高い悲鳴を上げました。

 女です。そして、赤子を抱いていました。

 スミアは声にたじろぎましたが、穴からこの土鬼を出すわけにはいきません。再び土鬼に切りつけようと剣を振り上げました。

 そして……。

 ぽろりと剣を落としました。

「あ、あたし?」

 そこには、スミアと瓜二つの顔がありました。

 スミアが切りつけた腕からは、真っ赤な血が流れ落ちていましたが、彼女は赤子を落とすことなく抱きしめていました。

 同じハシバミの瞳。同じ顔。まったく同じ……。

 ただ、違っていたのは、スミアは黒い血に染まった光戦の民の服を着て、向こうは泥にまみれた土鬼の服を着ていたことでした。

 水に写ったもう一人の自分が、そこにいました。


 アルヴェの払った剣が、ついに土鬼戦士の首を飛ばしました。

 かれは、身を翻してスミアのもとへと走りより、彼女と向かい合っている土鬼を切り殺そうと剣を振り上げました。

「待って! アルヴェ! 待って! だめだ!」

 スミアは、体を挺してアルヴェと土鬼の間に割り込みました。

「妹だよ! 妹のゴアだ!」

 スミアの言葉に、アルヴェは土鬼の少女を見ました。

 さすがの光戦の民も息を呑みました。

 あまりにもそっくりでした。

 シルヴァが、スミアと勘違いしたのはこの少女だったのでしょう。目の前の少女は、確かに人間でした。

 しかし、わずか二歳でさらわれて、光戦の民に殺された女子供の変わりに育てられ、そして土鬼の子供を産んだのです。

 もうすでに、根っからの土鬼になりきっていました。

「スミア! 違う。あれは土鬼だ! 君の妹などではない!」

 アルヴェが叫んでも、スミアは泣きながら、何度も首を横に振りました。

「違わないよ! 違わない! 妹のゴアだよ!」


 計り知れない悲しみが、スミアの心を蝕んでいました。

 いいえ、それは家族をいとおしむ愛という名の善行だったのかもしれません。

 妹が土鬼になり果てたことが悲しいのか、それでも生きていたことがうれしいのか、スミアにはわからなくなっていました。

 土鬼を殺すこと……その願いは頭から消え去っていました。

 ただ、目の前にいる妹を、光戦の民の剣から救い出すことだけが、スミアの願いに変わっていました。

「いやだ……いやだ……。あたしの妹だ。殺さないで……」

 それでも剣を振りかざしたままのアルヴェに、スミアはすがりつきました。

 土鬼の血と泥で汚れた顔を、さらに涙でぐしょぐしょにして、溺れた人間が藁にしがみつくように、スミアはアルヴェの服を握りしめていました。


 ――殺さないで……。


 その一言が、冷酷な狩人の判断力を狂わせました。

 ……だってな、あの子の両親を殺したのは、あんたら光戦の民なんだから……。

 アルヴェの耳に、暗闇から老婆の声が響きました。

 光戦の民は、スミアの母も父も殺し、そして今、妹さえも殺そうとしていました。

 アルヴェの剣先は、ほんの一瞬、頭上で止まったまま、かすかに震えました。

 しかし、身も心も土鬼に成り果てたゴアには、双子の姉の気持ちは通じませんでした。

 彼女は穴から這い出ると、赤子を抱いたまま、スミアが殺した土鬼の剣を拾いました。

 そして土鬼らしい悲鳴を上げると、身を翻してスミアの背中を切りつけました。

 アルヴェの目の前で、真っ赤な鮮血が飛び散りました。


 スミアは、背中に燃えるような痛みを感じました。

 何が起きたのか、すぐにはわかりませんでした。

 ただ、アルヴェの瞳が悲しみに染まり、次の瞬間に憎しみに染まっていくのだけがわかりました。

 スミアの手が力なくアルヴェから離れ、体が崩れた瞬間に、アルヴェは再び剣を振り上げ、そのまま逃げだしたゴアに切りかかろうとしました。

 しかし、一歩踏み出したところで、彼は先には進めませんでした。驚いたことに、スミアがアルヴェのマントの裾を握っていたのです。

 真っ赤な血に染まりながらも、スミアはそれでも妹を救おうとしていました。

「……なぜ!」

 アルヴェは、湧き上がる土鬼への憎しみを、スミアへの疑問にこめました。

 スミアには、もうすでに答える力はありません。

 マントを握りしめていた手が、力なく地面に落ちました。

 そのようなスミアを払いのけてまで、アルヴェは土鬼を追うことができませんでした。

 剣がカランと虚しく音を立てました。


 アルヴェが剣を落とし、血まみれになったスミアを抱きかかえている間に、土鬼たちは穴から這い出してきて、目の前を逃げていきました。

 白々と明ける朝の光の中を、まるで黒い通り雨のように、土鬼どもの足音が響きました。

 黒い血をもつ汚らわしい生き物たち。彼らは狩人の前を、群れをなして去っていきました。

 ほとんどが、か弱き女子供でした。ゴアは彼らを先導していました。

 ゴアに従って、土鬼どもは足早に、崖の向こう側へと消えていきました。最後に、一瞬だけゴアが振り返りました。

 それはスミアを気にかけた……というよりも、敵の様子を確認するためだったのでしょう。

 仲間たちの一番後ろについて、彼女も走って去りました。

 反対側の土鬼を殲滅し、走りよってきたシルヴァが、逃げるゴアの背中に向けて、弓を構えました。

 しかし、何度か構えなおしたあと、彼は弓を下ろしてしまいました。

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