第14話

 たいしたことのないよくある話をしよう。

 他人にはない、特殊な力を生まれ持っていた大馬鹿者の話だ。


 何故、大馬鹿者なのかって?

 そんなの簡単だ。

 自分の身にあまる馬鹿な大望を抱いたからだ。


 自分には他に誰にもない力がある。だから多くの人を救えることができるはずだ。違う。多くではない。すべてを救うのもできるのではないか? いや、できる。どうしてやりもしない前からできないと決めつけてしまうのか。できて当然なのだ。そもそも、こんな力があるのはそれをやれということだろう。ならできる。多くではなく、すべてを救うことだって可能なはずじゃないか――


 そんな、ある程度の年齢に達した少年が在りし日に必ず一度は考え、そしてそれは無理だと理解して挫折して大人になっていく、ある種の通過儀礼のようなもの。


 でも、彼は違った。

 彼はそれができると信じるに足る力を持っていた。


 神の祝福か、悪魔の呪いか――それはわからないけれども。

 彼が絶大な力を持っていることは紛れもない事実であった。


 だから――

 彼はすぐに動き出した。

 いずれはすべて救うために。

 まずは近くにいる人たちを救ってみようと――考えた。


 彼は奮闘し、義憤しながら、己の正しさを貫いていく。

 愚直に――そして純粋に。

 自分が間違っているのかもしれないと疑いもしないで。


 ただ、ひたすらに己の道を激走していった。止まらず、振り返らず、顧みず、疑わず、前だけを見据え、『誰かを救うための機械』となって。


 彼は己の正しさに殉じ、ひたすらに突き進んだ。

 間違いなく、彼は他の誰よりもなによりも、『誰か』を助けることができた。それだけのことができる力があったからだ。

 それは疑いようのない事実。


 だが、それは――

 ある日、それが間違いであったのだと彼は気づく。


 正確に言うなら、気づいてしまったというのが正しいだろう。

 それに気づかないふりをすることもできた。気づかないふりをして、誤った道を進み続けることもできたはずだった。


 でも、彼にはできなかった。

 間違った道を正しいと思い込めるずうずうしさも、狂信もできなかったのだ。

 すべてを救えると思っていた彼は、間違いに気づいたその日、歩みを止めた。


 忘れることはできないあの日。

 理不尽な暴力と搾取を受けていた同級生がいた。年頃の少年少女が大人数集まる学校という閉鎖された場所では珍しくもないイジメだ。


 それを見つけた彼は、イジメていた者たちを自身の力を持って徹底的に痛めつけて、イジメられていた子をいつも通り救った――はずだった。


 痙攣しながら倒れているイジメていた男子生徒たち。

 彼らをぶちのめして、両拳から返り血を滴らせている自分。


 それを見て、救ったはずの彼は――明らかすぎるほどに彼に対して恐怖の色を浮かべていた。

 バケモノかなにかに襲われたかというような。

 そんな顔を、していた。


 いや、イジメを受けていた子にとって、圧倒的な暴力でぶちのめした彼は正真正銘バケモノだったのだろう。

 そうでなければ、あんな顔はしない。そのように思う。


 それを見て、彼は自身の間違いを理解してしまった。理解せずにはいられなかったという方が正しいかもしれない。


 どちらにしても、いずれ誰の身に起こる挫折が、違った形で表出しただけだ。

 純粋な少年が一つ大人の階段を進んだ、そう表現してもいい。

 どのように表現したところで、彼が突き進んでいた歩みを止めたのは事実。

 そして、歩みを止めた彼はとても臆病になった。

 自分の力を使うことに対して。

 とても、とても。


 誰かはそれを彼が『弱かったからだ』というかもしれない。

 その通り。自分を信じ切ることができなかったのだ。否定はしない。

 それが間違いであったとは思えなかった。


 あの日、間違いに気づくことができなかったのなら、きっととりかえしがつかないことになっていただろう。


 それは正しいことのように思う。

 これが、在りし日の指針刃の話であった。



「大丈夫ですか?」


 そんな言葉が聞こえてきて、刃は現実の世界へと舞い戻った。


「やっぱりまだ具合が悪いんじゃ……」


 心配そうにそんな言葉を投げかけてくるのは隣を歩いているわかばだ。『邪神の本』とのあれこれが済んだあと、道のど真ん中に突っ立ったまま『邪神の本』から幻覚を見させられていた刃と出会ったのだった。


 送っていくと言ったのに自分はなにをしているのか、と思う。


 なにをしている。ただ、昔の嫌な思い出を強制的に思い出さされただけだろう。馬鹿者め。そんなのだからいつまでたっても前に進めていないんだお前は。過ぎたことを気にしてどうする? 後悔しようがなにしようが過去は変えられないんだぞ……。


「大丈夫だよ。……ちょっと嫌なことを思い出しただけだから」

「……そうですか」


 それからまた二人は無言で夜の街を歩いていく。

 いま隣にいる彼女はどう思っているだろうか、と刃は考える。

 恐らく、彼女は刃と『邪神の本』がなにをしていたのかを見たわけではない。

 だが、彼女は刃の身体が明らかに普通の人間と違うことを知っている。


 いや、知ってしまったという方が正確だろうか。


 刃の体重は、他の同じくらいの体格と男と比べると十倍以上ある。そのあり得ないほどの重さが、刃の持つ人間離れした身体能力に関係しているのは間違いない。


 それを、隣に越してきたばかりの年下の女の子に知られてしまった。

 なんという偶然なのだろう。


 ……知られたくなかった。


 それは、彼女がかわいい女の子だからでも、隣人だからというわけではない。

 できることなら、誰にも知られたくないことだ。

 多くの人は、そんな刃のことをバケモノと思うに違いないから。

 あの日、助けた誰かのように。

 刃のような外れた人間と嬉々として付き合うのは、竜太のような変人だけだろう。


 これからも、ずっと。

 そう、思う。


 ……どうしよう。


 これから彼女とどう接していけばいいのか全然わからない。それを思うとさらに気が重くなってしまう。


 いままでと同じように接すればいいとは理解している。


 理解しているからといって、それができるわけじゃない。そんなことができれば、何年もこのようなことで悩んだりしないはずだ。


 それに、向こうは刃のようなのと隣人づきあいなどしたくないだろう。


「指針さん」


 隣からそんな声が聞こえてくる。

 いつの間にか、アパートはすぐ近くまで辿り着いていた。


「もし、私が悪いことをしていたら、どう思いますか?」


 唐突な質問の意味がわからず、刃は首を傾げる。

 どういうこと、なのだろう。


「……えっと、そのいまのは忘れてください。無理しちゃだめですよ。それでは」


 妙な早口でそう言って、彼女は自分の部屋に駆けていった。勢いよくドアが閉められる音が夜の街に響いて、それからまた無音になる。


 一人になった刃は、やはり質問の意味がよくわからず首を傾げるばかりだった。


 ……帰ろう。

 嫌なことを思い出したせいか、たいして身体を動かしたわけじゃないのにとても疲れた。


 今日のことを加奈子に報告するのは明日でも構わないだろう。

 刃は自分の部屋の扉を開けて中に入った。

 居間には誰もいない。加奈子は恐らく奥の部屋だろう。

 奥の部屋に行って顔を出そうとすると、その前に加奈子の方から居間に出てきた。


「ずいぶんとお楽しみだったようですね」


 奥から出てくるなりそんなことを言ってくる加奈子。


「どういうこと? それ」

「奥の部屋から年下と思われる女の子と二人で歩いているところがちらりと見えたもので。しっぽり決めていたのではないのですか?」

「違うよ。なんでそうなるのさ。隣の部屋に住んでる子だからここまで一緒だっただけだよ。なにもしてない」


 というか、なにかアクションを起こす『邪神の本』とあれこれやっていたのに、しっぽり決められるわけがない。


「わかってますよ。見るからに浮かない顔をしていたものですから、ジョークでも言ったほうがいいかと思いまして」

「はあ」


 激励のつもり、だったのか。無表情でそんなこと言われても正直わからないし、反応にも困るけれど。


「それで、なにかわかりましたか?」

「うん。それなりに収穫はあった。でも、それは明日でもいいかな?」


 刃に数秒視線を向けて、


「そうですね。そのほうがよさそうです。そんな顔色をされているのに説明しろなんていいませんよ。これでも私は優良ホワイト企業の社員ですから」


 いつも通り平板な口調でそう言った。


「ありがとう」

「なにかあれば遠慮なく申し付けてください。私は日が変わるくらいまでは起きていますから。それでは失礼します」


 加奈子は襖を引いて奥の部屋へと戻っていった。

 刃は靴を脱いで、部屋に上がり、ベッドに腰を下ろす。


 するとさっき閉じられた襖がまた開いて、加奈子が顔を出した。完全に気を抜いたところだったので、刃は思わずびくっと身体を震わせてしまった。そんな刃を見ても、加奈子はまったく表情を変えていない。


「あ、そうでした。疲れているだろうと思いましたので、お風呂を沸かしておきました。先にどうぞ。洗濯も私がやっておきますので服も脱いだままで構いませんよ」

「…………」

「どうしましたか? するなというならばそれに従いますが。仕事なので」

「色々してもらっちゃって悪いなあって思って」


 出かける前に夕飯も作ってもらったのだ。


「そんなこと、あなたが気にすることではありません。これくらいはさせてください。それに……」

「それに?」

「いえ。なんでもありません。忘れてください。とにかく、指針さんが気にする必要はまったくないということです。失礼します。しっかりとお休みになってください」


 加奈子はやや乱暴な口調でそう言って、襖を閉じて奥の部屋に戻ってしまった。

 また刃は居間で一人になる。


 まあいいか。好意は素直に受け取っておくのが礼儀だとかいうのをどこかで聞いたような気がする。そういうものなんだろう。たぶん。よく知らないけど。


 今日はもう休もう。

 刃はそう心に決め、ベッドから立ち上がって、タンスから着替えを取り出し、風呂場へと向かった。

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