勿忘草 Forget-Me-Not  

八月冷奈(やつきれいな)

勿忘草

 クローゼットを開いて、僕は服を探した。今日は特別な日だからとびっきりのオシャレをしなくちゃいけない。服を着替えたら、メイクをし、イヤリングとネックレスをつけた。


 僕の母さんは息子じゃなくて娘が欲しかった。僕は男じゃなくて女で生まれたかった。僕の髪は胸あたりまである。


 僕の女装は醜い。


「それでも、この姿が好きなんだけどね。」


 紅い唇が勝手に動いていた。


 大きめのバッグに様々な物を入れていく。スマホ、お財布、お気に入りの本、イチゴミルクの飴、母宛ての手紙、そして花束。


 ・・・よし。


 僕は今日、海へ向かう。キラキラした海がある海辺の町へ。大きく深呼吸して、気持ちを整理した。


 サンダルを履いて、玄関のドアを開けた。


 通勤ラッシュが終わったこの時間帯の電車内は、あまり多くの人がいない。僕は女子高生の向かいの席に腰を下ろした。女子高生は今話題になっている文庫本を読んでいる。


 眼鏡をかけた文学少女。その制服は名門と呼ばれる女子高のものだ。いいなぁ。僕も女の子だったら、女子高に行きたかった。


 僕はバッグから本を取り出して読み始めた。


「あっ、あの。私、その本好きなんです。あの、読んでいて感想とかありませんか?」


 女子高生の震えた声。ちぐはぐな言葉。僕は女子高生が求めている感想がわかった気がした。僕が今読んでいる本、つまり彼女が好きな本は世間的評価は低い。無駄な描写が多く、理解するのに時間がかかる。あまり良くない作品。


「文章が多くて読むのが大変だけど、海の表現が素敵よね。私はこの本に思い入れがあるから、ちょっと甘口な感想だけど。」


「か、感想ありがとうございます。」


 女子高生の海みたいにキラキラした瞳。あぁ羨ましい。車内に次の駅のアナウンスが流れてく。


「私、物凄く周りの目を気にする性格で。周りから見て自分がどう映ってるか考えると怖くなるんです。今だって、趣味じゃないのに流行りの本なんか読んで・・・。」


 女子高生はぼーっと窓の向こうを眺めている。青い青い海が見えてきた。彼女はこちらを向いて無理に笑顔を作った。


「平凡でいたいのに周りの子と上手くいかなくて、高二になったのにまだ友達できないんですよ。」


 この子は全然青春してないって、今更気づいた。彼女のことを羨ましいと思った自分が恥ずかしかった。


 土曜日のこの時間、海へ向かう電車。あの女子高は土曜日も授業がある。そしてこの方向にあの女子高はない。彼女は学校に行く気がないんだ。


「まだ間に合うよ。今ならまだやり直せる。高二からだって友達はできるよ。私は世間からはみ出して、もう手遅れかもしれない。けど、貴女はまだ枠内よ。」


 僕はすがるように彼女の腕を握った。


「・・・ありがとうございます。見ず知らずの他人にここまでしてくださって。おかげで元気がでました。私、次の駅へ降りてちゃんと学校に行きます。」


 今度は自然に笑えている彼女を見てほっとした。


「そ、その良かったら連絡先とかっ!」


 ・・・。


 息をのんだ。


「ごめんなさい。携帯とか持ち歩く人じゃないの。また今度会えたら、その時にお茶をしながら本のこととかについて話し合いましょう。」


 女子高生は明らかにしゅん・・・と落ち込んだけれど、また今度という言葉で満開の笑顔になった。電車のスピードが落ちていく。


「また今度ですよ。」


 小さく手を振りながら、電車から降りていった。彼女の向こう側に海が見える。それはとても美しかった。


 嘘をついてしまった。僕はあの子に悪いことをした。ぎゅっと唇を噛みしめる。


 しばらく僕は一人で本を読んでいた。目で文字を追うが、全く頭に入ってこない。そうしていると二人の子どもを連れた妊婦さんがやって来た。僕は自分の隣に置いていたバッグを膝の上に置いた。


 男の子が僕の隣に座った。


「おかーさん、こっち!」


「はいはい。今行くからね。すいません、うるさくて。」


 子どものお母さんはとても若い。まだ僕と同じくらいなのではないだろうか。


「いえいえ。賑やかな方が楽しいですよ。」


「この人、男の人?」


 向かいの女の子が不思議そうな顔をしている。


「こーら。本当すいません。うちの子が。」


「大丈夫ですよ。私男ですから気にせずに。」


 僕は自然に笑顔を作った。バッグからイチゴミルクの飴を二つ手に取りだした。


「はい。一つあげるよ。」


「わーい。ありがとー!」


 子どもたちは受け取ると嬉しそうに、すぐに口の中に飴を放り込んだ。


「あまーい。」


 気に入ってもらえて何よりだ。


 子どもたちが切符で遊び始めた。切符に書いてある四桁の数字を足し算、引き算、掛け算、割り算を使ってとおにするゲームだ。


「どこへ向かうんですか?」


「出産の為に実家へ帰るんですよ。今は夫が海外出張でいませんし。海が近くて良い実家なんですよ。」


 妊婦さん幸せそうに笑う。いいな。僕も好きな人と結婚して子供が欲しかった。


「男の子と女の子。どちらの方が嬉しいですか?」


 ふいにそんな質問を口にした。妊婦さんはきょとんとした後、僕へ微笑みかけた。


「健康に産まれてきてくれたら、どちらでも嬉しいですよ。」


「・・・すいません。馬鹿な質問でした。無事に産まれるといいですね。」


 彼女の笑顔も、太陽の下で輝く海も、僕には少し眩しすぎた。


 家族四人は電車を降りていった。僕は窓越しに手をふった。電車が動いてホームが見えなくなった辺りで、僕は脱力した。


 僕の母さんもあの人みたいだったらな・・・。叶いもしない希望が頭の中を巡る。気分はまるで深海のように重く、冷たい。


 吐き気がして気持ち悪い。目の前が真黒になった。気付いたら目の前に、学ランを着た男子中学生が座っていた。土曜なのになんで学ラン・・・。


「ねぇお兄さん。貴方は後悔してますか。貴方の人生を。」


 少年の瞳の奥に自分の姿が見えて、息が詰まりそうになる。やっぱり僕の女装は醜い。


「僕は『ああはなりたくない。』とか『こうありたい。』とかが、あんまりよくわからないんんだよね。でも確信を持って言えるのは、僕は自分の人生に後悔するだろうってこと。」


 それ以上少年の言葉を聞いていたくなかった。それでも少年の口は壊れたロボットのように止まらない。


「それと、分岐点は絶対に中学になるということ。」


 僕はバッグを持って立ち上がった。電車のスピードが落ちていく。少年は僕の後ろをついてくる。深海みたいな暗い眼差しで。


「僕は貴方が持っている花束のことを知っているんだ。名前は勿忘草。」


 僕は電車を降りた。ドアが閉まろうとする。


「勿忘草の花言葉は『真実の愛』それと・・・。」


 少年が言い終わらない内にドアが閉まってしまった。僕は走ってもいないのに息が苦しかった。自販機で水を買ってベンチで一休みした。次第に気分が落ち着いてきた。


 乗り越し精算機で不足賃分のお金を支払った。改札を抜けると、そこは僕が見たことのない海辺の町だった。


 がらんとした商店街、車の通りがほとんどない道。僕は全国どこにでもあるコンビニでおにぎりを買った。誰もいない公園のブランコでおにぎりを口に入れた。


 桜も散って梅雨へ向かうこの時期の公園はこんなにも暑かっただろうか。


 子どもの服にしては高すぎるワンピースを着ていた僕は、外へ出かけても公園で遊ぶことは許されなかった。今思うとシングルマザーで経済的に厳しかったと思うのに何故あんな高い服を着せたのか。僕はわからずじまいだ


 ゴミ箱にゴミを捨て、僕は海が見える所を探して歩き始めた。


 僕の母さんは父さんにとって二番目だった。だから母さんは父さんに振られてしまった。子どもが産まれた母さんは父さんの邪魔だった。母さんは僕をおろそうとした。でも、そうするには全てが遅すぎた。


 母さんはせめて女の子が良かった。僕は男の子だった。母さんは僕を望まなかった。それでも僕は産まれてきた。


 母さんは育児放棄と自暴自棄を繰り返していた。そんな母さんが変わってしまったのは僕が中学生の頃。


 僕の母さんは僕を息子としてようやく受け入れたのだ。



 僕は・・・、全く嬉しくなかった。



 世間からはみ出した存在でもいい。友達ができなくてもいい。僕の女装は醜くてもいい。人生に後悔してもいい。


 僕は貴女の娘でいたかった。たった一人、貴女のことを理解できる人になりたかった。僕が性格が歪んだ貴女の子どもであることを忘れてほしくなかった。


 崖から見える海の風景を写真収めた。僕はその写真を母さんに送った。


 バッグの中にはスマホ、お財布、お気に入りの本、イチゴミルクの飴、母宛ての手紙、そして勿忘草の花束。


 ここにバッグを置いていても、分厚い本が入っているから風で飛ばされることもないだろう。


 勿忘草の花言葉は『真実の愛』そして『私を忘れないで』


「ねぇ、母さん。私の歪んだ愛を貴女はわかるでしょうか。貴女の娘で息子の私のことを、忘れないでしょうか。」


 僕は海に飛び込んだ。



 瞳から溢れだした小さな涙は、やがて海の一部となって貴女の元に届くだろうか。

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