高貴なるそら殿

 いろいろな猫と関わってきた私と我が家だが、現在我が家に君臨しているのが、そら殿である。そら殿はアメリカンショートヘアの血が入っていると思われる雑種のオス猫で、非常に高貴なお姿をしている。オレンジ色の毛並みは艶やかで、天気のいい日に外を優雅に歩いていると、その姿は金色に輝いて見える程だ。


 そら殿との出会いは、例によって我が家へとそら殿が迷い込んできたのがきっかけだ。今よりも一回り小さかったそら殿は、どこかの縄張り争いに負けた直後らしく、前足の一部の毛がはげた状態で現れた。


 我が家の面々がそら殿を見つけた時、最初から割と人慣れしていたので、どこかで飼われていた猫かな? と、頭をひとなでした位で、特に世話もせずに放っておいた。見た目が良い猫でもあったので、おそらくはどこかの飼い猫で、そのうち元の家へと帰るだろうと思っていたのだ。


 だが、そら殿は一向に帰る気配はなく、うちの納屋に居ついた。優雅な立ち居振る舞いではあるものの、首輪はしていない。毛が禿げた前足をぺろぺろと舐めては、父のトラクターの上にどっかりと腰を据えてのんびりと傷を癒している様子だった。


 母や私は、ご近所へ聞き込みし、そら殿の元の家を探してみたのだが、見つからなかった。どうやら、離れた地域から流れてきたらしい。そうこうしているうちに、そら殿の傷も癒えたようで、我が家の面々とも仲良くなった。私も久しぶりにキャットフードを購入し、そら殿に進呈したりしていた。


 そんな状態が2週間ほど続き、正式に我が家にそら殿を迎える事となった。一番乗り気だったのは母だ。そら殿の高貴さにやられたのが大きいが、他の理由もあった。それは、3つ上の兄の家の子、つまりは、孫を実家に呼ぶとしてそら殿に一肌脱いでもらおうという魂胆だ。


 母に相談された時には、私はを挙げて賛成した。やはり、猫が傍にいるのは良い。だが、今回はいつもと違う事があった。それは、そら殿に首輪をつけ、うちの猫として一緒に暮らす事にした点だ。


 今まで我が家と猫の関係は、「付かず離れず、来る者は拒まず、去る者は追わず」が基本路線だった。しかし、そら殿は初めて家族の一員として迎えることになった。例によって獣医さんへとそら殿を連れて行き、ひと通りの検査をして貰った。ひょっとしたら、「前の家」で既に予防接種等や去勢手術を受けているかもしれないと思ったのだが、特にその様子はなかった。ひと通りの処置を受けたそら殿には、オレンジ色の毛並みのアクセントとなる赤い首輪をプレゼントし、基本的には屋内で一緒に暮らすことになったのだ。


 最初の内、そら殿は、母によって「ミーちゃん」と呼ばれていた。我が家の伝統的な猫の名前である。しかし、その名前に思わぬ所からクレームが入った。甥っ子の湊人みなとである。母が喜々として湊人に猫を飼い始めた事を告げると、甥っ子はすぐに反応した。「ミーは断固反対だ」と。


「ミー」は「湊人」の愛称のひとつであり、猫を自分と同じ名前で呼ぶとは何事だ、と憤慨したのである。それもそうだという事になり、新しい名前は湊人に一任された。数日後、湊人が連絡してきた名前が「そら」なのだ。


 そら殿は、屋内8割、屋外2割くらいの割合で生活をしている。基本的には屋内なのだが、トイレや鳥の観察・追跡、日向ぼっこ、縄張りチェック、母の洗濯物干しや父の畑仕事の見張り等は屋外で行っている。出入りに関しては、屋外に出たい時にはドアや窓の前に座り、近くの者にアオと告げる。申しつけられた面々がドアを開けると、優雅に外に出て行くのだ。屋内に入る時も同様である。


 普段は下々の者にドアの開閉を任せているそら殿だが、実は、自分でドアを開ける事もできる。母屋の玄関や、私の部屋である離れの入り口は、横開きの引き戸なのであるが、少しでも隙間があれば、器用にそこに手をかけ、ガラガラと開けるのだ。冬場などは、私が買い物に出かけて帰宅する間にひとりで部屋に入り込み、悠々とコタツを占拠している事も珍しくない。


 さらに驚くべきことに、そら殿は引き出しも開ける。母屋の縁側の一角は、そら殿用のスペースになっており、ご飯や水のお皿や爪研ぎタワーと一緒に、おもちゃが入っている木製のサイドボードが置いてある。そら殿は、その引き出しに手をかけると、そのまま体重をかけ、開けてしまうのだ。そして猫じゃらしを咥えてくると、私たちの目の前にポトリと落とし、一声鳴くのである。アオ、と。ここまでされてしまっては、もはや遊んでいただくしか道はない。


 我が家の面々は、すっかりそら殿の為に、「引き戸を締める時に少しだけ隙間を開けておく」習慣が身についてしまった。そら殿がいつまで我が家におられるかはわからないが、今しばらくは、引き戸チョイ開けな生活が続くのだろう。


 突如我が家に降臨した気品あふれる猫様、それが、高貴なるそら殿なのです。


***


 私達人間は、猫に比べて、とてもとてものろまな生き物だ。どんどん置いて行かれ、お別れしなくてはいけない時がやってきてしまうのは如何ともしがたい。今までもそうだったし、これからもそうだろう。


 それでも私には、この先もいろいろな猫と一緒に暮らしていくのだろうなあ、という、ぼんやりとした確信がある。一緒の家族として暮らしたり、お話や映画の世界で見かけたり。時にはそう、彼らの事を自ら綴ったり。


 猫に関わった方であれば、誰しも一度はそういう気持ちになるのだと思う。だから皆様、気が向いたら聞かせて欲しいのです。皆様の猫物語を、そう、皆で一緒に――


 猫の話をしよう。




-了-

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気付いた時には既に猫 吉岡梅 @uomasa

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