可能性
胸を触られた、否、揉まれたセラの吐息がだんだんと熱を帯始めていき、今の今まではセラの母親に勘違いされていた行為が、あと一歩で同意のものに変わってしまう―――そんないつもとはどこか違った、甘くてもどかしい雰囲気のなかで、茹でダコのように顔を赤くしたセラと目があった。
黒い真珠のような綺麗な瞳は、困惑や恐怖そして僅かばかりの期待に揺れ動いていて、俺はセラに手を伸ば―――――――――さずにベッドから降りた。
「あ、えーと。何かごめんな?一応言うと、わざとじゃないんだ」
バツの悪そうにそっぽを向いて言い訳をする俺に対し、セラは一瞬だけ残念そうな表情を浮かべると、ふと思い出したように「あっ」と言った。
「ねぇフェイル、今更だけど昨日はどこに行っていたの?あんなにボロボロになって、それくらい教えなさいよ」
あからさまに話題を逸らしたものだが、俺も気不味いからそれに乗っかることにする。
「ダンジョンだよ。昨日は夕方から夜までずっとダンジョンにいたよ」
それを聞いたセラは怒ったような顔になって、爪の痕が出来るほど強く手を握り締めた。
「なんで?何でそんな遅くまでダンジョンにいたのよ?何考えてるの?」
「でも、何の考えも無いって訳じゃ―――――」
「もしそれで死んだら、もともこもないでしょ?何がしたいのかは分からないけど、少し冷静になりなさいよ」
セラの必死さに気圧された俺は、いつの間にか本音を漏らしてしまっていた。
「大丈夫だよ。それに、冒険者は死亡率高い。俺一人死んだくらいで―――」
その言葉を聞いて俺の前までにじり寄ってきたセラは、俺の胸ぐらを乱暴に掴むとブンブンと前後に激しく揺らした。
「お前は喧嘩売ってるのかーー!私がどれだけ気を配ってるか分かってるの?!それに、朝送っていった冒険者か帰って来ないって、結構辛いのよ!それがフェイルとなれば、いったいどれだけ―――」
急に黙りこんだセラは、顔を真っ赤に染めた後、今度は真っ青に染め上げてから訳のわからないことを言い出した。
「あ、あわわわわわわ。ま、シチューがママの材料買ってこいって言ってるから、私出掛けてくる!!!!」
俺が止めようとするのを乱暴に振り切ったセラは、去り際に「今私が言ったことは、全て忘れてーーーー!!」と言って部屋を出ていった。
「は?あいつ、いきなりどうしたんだよ?」
『あるじー。何か二人の話が噛み合ってないよ?あるじって朴念仁だったの?それともヘタレ?』
「お前は出てきて開口一番に俺の悪口を言うのな。ヘタレでも朴念仁でもなくて、只のスライムマスターだろ?」
右の手の平からニュリニュリと滲み出てきたラーシェにそんなことを言いながら、俺はギルドに向かうための準備を始めた。
「あのー、マリアさん?少しいいですか?」
「そんなに改まってどうしたんですか?私にできる範囲でなら協力しますよ」
「いや、俺のために尽力しようとしなくても大丈夫ですよ?今から百パーセントで頑張ったら、絶対にメーターが振りきれます。可笑しな方向に。」
「そんなに面倒な事を私に手伝わせようとしてるんですか?はっ!まさか私を労働漬けにして疲労を蓄積させた結果出来た心のヒビに優しくつけ込んでそのまま体を一気に頂こうと―――あだあっ!」
「ここはギルドの受付ですよ?!時と場合くらい考えて喋ってくださいよ!!」
俺は思考をあらぬ方向へと一人歩きさせているマリアさんの頭を強く叩いて撃沈させると、ゴホン!と咳をして話題を打ち切ってから、本題に入った。
「マリアさんが知っている中で一番感動する、それこそ賢龍ですら思わず泣いてしまいそうな程に感動する作品を教えてくれませんか?」
「そのジャンルは、略奪婚ですか?寝取られですか?浮気者ですか?人妻ですか?それとも調きょ」
「俺は涙が出るくらい感動する話って言いましたよね!?てかマリアさんが最近読んでるのって、そんなのばっかりなんですか?可笑しな方向にメーターが振りきれますとは言いましたけど、まさか明後日の方向に飛んでいくとは思いませんでしたよ!?」
しかし、マリアさんはそれには答えずに話を進めた。
「感動できる話なら、これとかどうですか?」
休憩時間にでも読もうとしていたのだろうか、マリアさんは受付の引き出しから一冊の本を取り出して、俺に手渡した。
「『メイザー冒険記』ですか、聞いたこと無いですけどありがとうございます。暇を見つけて読んでみますよ。ああ、マリアさんが構わないのなら、今度お礼にご飯でも奢らせてください。勿論、俺の金で行けるところでですけど」
「だったら、そんなに期待しないで待ってますよ。それと、ダンジョンで最近スライムが異常発生しているそうですから、気をつけてくださいね?」
その言葉を聞いた俺の体は、脳を介さずに脊髄の意志で動いた。体ごと振り返ってマリアさんの両手を握り「その話もっと詳しく!!」と言っていた。
マリアさんから借りた『メイザー冒険記』を読みながら、ダンジョンの中立エリアで休憩しているのだが、思考回路がスライム異常発生の件に傾いているため、内容が全くと言っていい程頭に入ってこない。
平民に生まれた主人公が王女様に一目惚れし、勇者になるために必死に剣を振るうところまでは読んだが、今まで一度として小説を読んだことの無い俺からしたら、数十ページを読破するだけでも地獄の所業だ。もう両目は疲れ果てて、脳味噌はパンクしている。
ところで話題を変えると、この次のエリアが件のスライム異常発生に関わっているところだ。今までは、数日間に一度ギルド職員が間引けば増殖を抑えられていたのだが、何故かそのスライムの増殖スピードが数倍に上がってしまったらしい。原因が分からず深入りするのは危険と判断したギルドは、入り口付近のスライムだけを殺しているが、既にその総数は五百を越えているとか。――――――全部のスライムをテイムしてやりたい。
「なぁラーシェ、俺ってスライムのテイムの仕方が分からないんだけど、どうすればいい?」
『んーとね、あるじはボクをテイムしてるから、スライムの言語は理解出来るでしょ?そうしたら、後は話して納得させるしかないよ。それと、スライムってデターイートのことが嫌いだから、それの話だけはしない方がいいかなあ』
デターイートとは、見た目はスライムと瓜二つだが、人に害を与えるとこはなく、また床のごみを食べて掃除してくれるため、ペットとして人気の高い魔物だ。その性質はおとなしくて人懐っこい。生まれたときに最初に見た生き物を親と認識する刷り込みもあるから、卵から育てると一生後ろをついてきてくれる最高に可愛い魔物だ。
「何で嫌いなんだ?可愛いのに。」
『ボクには分からないんだけど、スライム達は人間に媚を売ってへらへらしてるだけのデターイートが、どうしても許せないんだって。戦うなら、最後の一匹になっても突撃しろ!!が大部分のスライムの共通認識だからね』
なにそれ怖いわ!!
じゃあ俺が今までに見てきた、スライムが死に際に体から酸を出す挙動は、「もう駄目だ、死にたくないよう(ガクリッ」じゃなくて、「ぎゃはははははははは!!!テメエなんかに俺様の体は、指一本触れさせねえよ!!バァーーーーカ!!ふははは!!(ガクリッ」だったと言うことか。なんだろう、スライムが悪魔に見えてきた。
一抹の不安を抱えながら、俺は次のエリアへと足を踏み入れた。
まず最初に視界を埋めたのは、数多のスライムだ。全部で千匹はいるだろう。そして、そのあともスライムしか俺には見えない。可笑しいなあ、変だなあ?
「なぁラーシェには、この幻覚が見えてるか?」
『うん。しっかり見えてるよ。どうするの?』
「任せろ、案はある」
俺は一歩前に出てスライム達の気を引くと、「デターイートとか、マジ無いわあ。」と呟いた。ぞろぞろと集まってくるスライム達、その数千匹以上だ。
『何がいやなの?』『おにいたんも、あいつらが嫌いなんだ』
『じゃあ、仲間?』『仲間だーーーーー!』魔物は基本的におつむが弱い。だから、敵の敵はなんとやら作戦で一気に仲間にすることにしたのだ。案の定、魔物のなかで最下級のスライムは、見事に引っ掛かった。
俺とスライム達にパスが通った直後、スライム達の周囲に光が現れた。その光が一本線になり、やがてラーシェに吸い込まれていく。光の吸収を終えたラーシェの体は一回り大きくなっていて、動きも速くなっていた。エンペラースライムに近付いたのだろう。
「あ、これどうやって報告しよう?俺が倒したとは言えないしな。やばくね?ばれるかもしれなじゃん?!」
焦りにかられるように近くの大岩を殴り付けると、岩に大きなヒビが入った。
「痛たたたた······くない?へ?何で―――って、ヒビ?!まじで、こんなに強くなれるの!?」
俺は、生まれてはじめて感じる進歩の感覚を、何時までも噛み締めていた。
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