第9話魔女の騎士

 「そう」


 私は平静を保った声音で頷く。

 緊張に声が裏返りそうになった。

 時間稼ぎめいて、ゆっくりとした仕草でパイを口に運び、紅茶のカップを持ち上げる。

 あんなにも美味しかったはずのパイの味すらもうわからない。

 男を利用する悪しき魔女の設定を貫くつもりでいるのなら、私は彼に褒美を与えなければいけない。

 それか、上手く、誤魔化さなければ。

 暖かな紅茶で唇を湿らせ、覚悟を決めて私は視線を持ち上げた。


「貴方は、褒美に何を求めるのかしら」

「知識を」

「―――はい?」


 間髪入れずに答えられて、思わずこちらも速攻で聞き返してしまった。

 知識?

 なんの???

 騎士は、大真面目な顔で続ける。


「あなたの扱う魔術について、教えていただきたいのです。それがあなたの纏う魔女の神秘を暴きたてる無粋であることは承知の上です。ですが、昨夜のようなことがあった際に、私は判断を間違えたくはない」

「・・・・・・・・・・」


 真面目か。

 王都で出会った気障な騎士のように、一晩付き合えだとかそういうことを言い出すかと思って身構えていたこちらが申し訳なくなる。

 というか、騎士が求める褒美が自分の身体であるかもしれないなんて勝手に思い込んで警戒するなんて、とんだ勘違い女ではなかろうか。

 自意識過剰っぷりを思い知らされたような気がして、じんわりと頬が熱くなる。


「―――……ごめんなさい」

「は?」

「いいの。とりあえず、貴方に謝りたかっただけだから。気にしないで」

「???」


 騎士は釈然としない、といった顔をしているもののそれがなんのための謝罪だったのかの追及は控えてくれた。心底ありがたい。

 こほん、と一つ咳払いを挟んで、私は改めて彼へと問いかけた。


「それで……貴方は、私の使う魔術の何が知りたいの?」

「教えてくださるのですか?」

「ええ、まあ。その。………貴方は、森の騎士だもの」


 森の騎士と、森の魔女は人と森との距離を正しく保つという目的を共にする仲間だ。

 有事に備えて、互いに何が出来て何が出来ないのか、を正しく知るのは有意義だ。


 それならば別段『褒美』にかこつけずとも、と思うかもしれないが――…魔術師にとって、扱う術の特徴というのは本来秘匿するもの、なのだ。


 理由はいたって簡単。

 

 魔術というのは、『技術』であり、目的を達成するための『儀式』でもある。

 世の儀式の数々がやたら長々しいのと同様に、魔術も発動させるまでには様々な段階を踏む必要があるのだ。例えば呪の詠唱だったり、杖で紋を描くことであったり、呪符を媒介にするものだったり。

 だから魔術師たちはその『儀式』をいかに省略するかの研究に血道を上げる。

 何せ、敵を倒すだけならば術を唱えたり紋を描いたりするよりも全力疾走で懐に飛び込んで切りつけるなり殴るなりする方がよっぽど早い。


 つまり、彼のようなガチガチの近接戦闘のプロとやり合う羽目になった場合、接近を許したらかなりの高確率でそこで詰む。

 

 それ故に、魔術師たちは己の扱う魔術を人に知られることを好まないのだ。

 が、それはあくまで一般的な魔術師の場合、だ。

 森の魔女である私は、少しばかり状況が異なる。

 森の魔女の扱う魔術は、基本的には森の中で生きていくのに必要な技術の一種だ。

 魔獣を含めた獣たちを宥め、植物の力を借り、人と森との間の軋轢を減らすための潤滑剤としての術式だ。

 よって、彼に知られたところでそれほど困るものでもないのである。


「私の魔術、というのは基本的には『共感』および『同化』の術なの」

「共感と同化、ですか?」

「ええ。基本的には術を使う者である『魔女』と、術を使われる側である『対象』の境界を危うくさせて操ることを目的にしている術だと思ってもらえれば」

「操る――ですか」

「自分の目的と相手の目的をすり替える、というか……ある種の詐術にも似ているかもしれないわね。そうね、例えばなのだけれども――…私は今目の前にあるパイを食べたいと思っているけれど、腕が使えないとするわ。そうなると誰かにパイを食べさせてもらう必要がある。そこで私は目の前にいる貴方を相手に術を使うの」

「一言命じていただければ喜んで」


 スッ……と騎士が切り分けたパイをフォークで刺して私の口元へと差し出そうとする。違う。そうじゃない。


「例えばの話よ、例えばのっ。今やれって話じゃないの!」

「……っ」


 ふ、と騎士の口元から柔らかな呼気がこぼれる。

 もしかしなくとも、今笑わなかったか。

 揶揄われたのだと気付いて、唇がへの字を描く。


「……貴方、誠実そうな顔して実はなかなか意地が悪いでしょう」

「そんなことはありませんとも。失礼致しました」

「声が笑ってるわよ」


 こほん、と騎士が咳払いを挟む。

 それからどうぞ、と再び話の続きを促された。


「まあ、でもそうやって口に出すのも、ある意味術ではあるわね。貴方に『私にパイを食べさせたい』と思わせることに成功しているわけだから。私の目的に相手を共感させて、私のしてほしいように動いてもらうというのが『共感』の術よ。でも、例えば貴方自身もそのパイをものすごく気に入っていて、誰にも分けたくないと思っていたらいくら私が頼んでも駄目でしょう?」

「――パイ程度であればいくらでもお譲りしますが、そういう話ではない、ということもわかっています」

「そういうことよ」


 あくまでパイは例え話であって。

 例えば私が彼の命を欲しがったならば?

 何か目的のために彼に死ねと術をかけた際に、彼はおとなしく死んでしまうのか、という話だ。


「基本的に、『対象』が厭がるようなことをさせるのは難しいわ。というか、そもそも人間のような知性のある、自我の発達した生き物を操るのは無理だと思った方が良いわね」

「なるほど」

「そういった対象に出来るのは、感情の誘導ぐらいかしら。例えば滅茶苦茶怒り狂っている人がいるとして――、そういった人に、私の中にある凪いだ気持ちを繋げることで、落ち着かせることが出来るし。悲しんでいる人の気持ちを和らげることもできるわ。そう考えると、なかなか役に立つでしょう?」

「ですが――」


 それは、と騎士は表情を曇らせる。


「ひとびとの中にある負の感情をあなたが引き受けている、ということなのでは?」

「―――…」


 ぱちり、と瞬く。

 目の前の騎士は、心底慮るような色をその双眸に浮かべている。

 澄んだ空と同じ色の双眸がまっすぐに私を見つめている。

 もしもその双眸に、哀れみのような色が潜んでいたならば、私はきっとすごく、怒っただろうと思う。

 

 この道は私が選んだものだ。

 私が納得して選び、手に入れるために努力した技術だ。

 それを憐れまれたとしたならば、とんでもない屈辱だっただろう。

 

 だが、彼の双眸に浮かんでいたのは純粋に私を労わる色だった。

 少し、心のどこかが柔らかくほどけるような心地がした。

 唇に、柔らかな笑みが乗る。


「ありがとう。あなたは優しいひとなのね。でも、大丈夫。私はそのために訓練を受けてきたの。人の感情と、自分の気持ちを区別する術をね、学び続けてきたのよ」


 それは、養母から継いだ技術だ。

 『魔女』を継ぐと決めた時から、私は人々のいろいろな感情を少しずつ、少しずつ、齧って育った。

 術を使うことでぽんと心の中に投げ込まれる感情の塊を、それが誰のものであるのかを区別する技術を少しずつ、学んでいった。

 私の気持ちと、取り込んだ他人の気持ち。

 きちんと区別することで、消化することが出来るのだ。

 そうでなければ、私は他人の感情に憑かれて狂ってしまっていたことだろう。


「それで、昨夜の術のことなのだけれども」

「ええ」

「あれも、『同化』や『共感』の術の応用なの。植物は他の生き物ほど自我、といった感覚が薄いから操りやすくて。『同化』することで私と木々の境界をなくして、私の意思でもって私の生命力をエネルギーに木々の成長を促進した、という感じなんだけど……、わかる?」

「大体、理解したように思います。つまりあなたは、森の木々に自らの生命力を分け与えた、ということでよろしいですね?」


 何故だろう。

 よろしいですね、と念を押す声に妙に圧がかかっているような気がするのは。

 彼の認識は間違っていないはずなのに、なんだか正直に頷くのが悪手であるような気がしている。

 

「ええ、まあ。そういうこと、に、なるんじゃない、かしら?」

「………………」


 騎士が半眼だ。

 わかる。

 そのちょっと呆れを含んだような、言葉に迷うような感じは狩人のよくやる顔だ。

 大体その後にはお小言がついてくる。

 私は知っているんだ。

 

「……お小言なら、聞かないわよ」

「ああ、よかった」

「?」

「小言を言われるようなことをした自覚はおありなのですね」

「…………」


 はは、と小さく笑いながら結構な嫌味の剛速球をぶちこまれた気がする。

 そ、と目をそらした私に、騎士は小さく息を吐きだした。

 清廉な蒼にどことなく恨めしい色合いが滲んでいる。


「あなたは、私の気持ちなど知らないのでしょう」


 なんだ、その意味深な言い回しは。

 なんて胡乱に思ったのはほんの少しの間のことだけだった。


「腕の中でぐったりと意識を失ったあなたの身体が次第に熱すら失っていくのをただ感じることしかできなかった私の気持ちなど」

「ごめんなさい私が悪かったわ」


 速攻で謝った。

 これは私が悪い。

 そこまで自分の状態が悪かった、という自覚がなかったのだ。

 ちょっと意識がトんだ、ぐらいにしか思っていなかった。

 彼は森の魔女である私を守るという役割を与えられて王都から派遣されてきた騎士だ。

 だというのに、いきなり目の前でその護衛対象に死にかけられては平静ではいられないだろう。


「でも、一応言っておくのだけれども」

「何でしょう」

「別に、それ、死にかけていたわけ、ではないの」

「……………」


 ほんとかな??? とあからさまに疑惑の眼差しを向けられている。


「私の魔術は、境界をなくすものだといったでしょう? だから逆にあちらに引っ張られることも、あって」


 本来ならば境界をなくし、相手を自分の身体の延長のように操る術、なのだけれども。

 少し、立ち位置を間違えてしまえば、相手の方に引っ張られてしまうこともあるのだ。

 つまり、昨夜の私は死にかけていたというよりも植物になりかけていた、という方が近い。まあ、それでも『私』の方に戻ってくることが出来なければあまりその両者の間に差はないような気もしないでもないが。

 そして、それに気づかない彼でもなかった。

 ますます半眼になった。

 顔の良い男のジト目というのはなかなか圧を伴うものだという学びを得てしまった。


「――魔女殿」

「はい」

「私はあなたが昨夜最善を尽くそうと必死だったことを知っています」


 そこで、一度騎士は息を逃す。

 深く、胸内でざわめく様々な感情をすべて吐き出すかのような。


「だから、私はあなたを責められない。……まあ、小言めいたことを口にはしてしまいましたが」


 柔い苦笑がその口元を彩る。


「私は未だ新参者で、あなたの信頼を得るには時間がかかるのもわかっています。けれど、少しで構わないから―――あなたの騎士である私の使い方を、学んでほしい」


 ぽかん、と呆気にとられる。

 この人は、何を言っているのだろう。

 

「あなたの実力が不足しているなどと言うつもりはありません。私がいなくとも、あなたは魔女としての役割を立派に果たすことが出来るでしょう。あなたは立派な魔女だ。ですが、それでも。私を使うことで少しでもあなたの負担が減るならば、あなたは私の使い方を覚えるべきだ」

「ひゃい」


 上擦った変な声が出た。

 頬が、火照る。

 彼が、あまりにも真っ直ぐに私のことを認めてくれるから。

 私を侮って守ってあげましょうと申し出るわけでなく。

 魔女としての私の実力を認めた上で、『森の騎士』である自分を使えと言ってくれている。

 

 ―――参った。

 

 これはもう白旗だ。

 全面降伏するしかない。

 それでも、そう簡単には素直になるのも難しい。

 私は、ごにょりと小さく口を開いた。


「……あの」

「何でしょう」

「その。ええと。……貴方に、手伝ってほしいことがあるの、だけど」

「―――」


 私の言葉に、彼が驚いたように瞠目する。

 それからすぐに、ふ、と口元に柔らかな笑みが浮かぶ。

 慈愛の表情、なんていうと大袈裟かもしれないが。

 年嵩の大人が、いとけない子供を見守るときの眼差しに似た柔らかなその表情に、ますます頬が熱くなった。

 つい、視線がうろうろと彷徨う。

 こういう時に、しれっと平静を装うことが出来ないからこそそんな目で見られてしまうのだとわかっているのに、上手く取り繕うことができないことが悔しくて、ますます目元が熱くなる。


 ……ううう。


「どのようなお手伝いをすれば?」

「……、レニグレラ茸の解毒薬の予備を作っておきたいの。それで、薬草の採取を手伝ってほしくて。ああでも忙しかったりだとかするなら」

「喜んでお手伝いさせていただきますとも。明日、でよろしいですか?」

「ええ、明日の……、夜でも良いかしら。日が暮れた後の方が都合が良いのだけれども」

「承知致しました」


 レニグレラ茸の解毒薬の元となる薬草は、夜に活性化する植物だ。

 昼に摘んだものよりも、夜に摘んだものの方が薬効も高くなる。


「さて、私がいては魔女殿もお休みになれないでしょう。そろそろ私は詰所に戻ろうかと思います」


 騎士がすっと立ち上がる。

 淑女らしく玄関先まで見送りに行きたいところだが、残念ながらそういうわけにもいかない。私はソファに座ったまま、彼を見送ることにする。


「今日は、ありがとう」


 パイを、届けてくれただけでなく。

 彼は私に、とても素敵な言葉をくれた。


「いえ、あなたのご無事な姿を見て私が安心したかっただけですので」


 …………くそう。

 なんでいちいち発言が男前なのだろう、この人。

 というか、それほど心配させてしまったのだと思うとこちらとしても反省せざるを得ない。

 

「ああ、そうだ」


 ふと、何かを思い出したように玄関に向かいかけていた騎士が足を止める。

 振り返って、彼は柔らかに微笑んだ。


「お部屋までお連れした方が?」

「大丈夫です間に合ってます」


 即答した。

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