漆黒の異邦人/Episode 0

結城あや

第1話

***** Preface


 何か刺激のある匂いを感じてアヤは目覚めた。

 重い瞼をゆっくりと開けると、そこは見慣れない場所だった。夜の森の中のようにも思えたが、視界がハッキリしてくるにつれて、周囲にあるものが樹木ではなく岩だとわかった。おそらく洞窟の中なのだろうが、天井は思いのほか高い。

 そしてアヤは、自分が寝ているのがベッドではなく、岩の上だということに気がついた。長い時間その姿勢で寝ていたためか、すっかり身体が冷えきっているためか、身動きしようとすると身体が痛んだ。

 ふと、頭の上の方、左手に1、2メートルほど離れて人が立っていることに気がついた。視線だけ向けて見てみると、頭から焦げ茶色のフードを被り、両手を前につきだして低い声で呪文のようなものを唱えている。その前には薄い煙を細く立ち上らせている香炉のようなものがあった。アヤの目を覚まさせたのはその香の匂いのようだった。呪文はその人物ひとりが唱えているのではなく、その人物の背後に、最初の人物とアヤを囲んで円陣を組むように並んだ、焦げ茶色のフード姿の人物たちも唱えている。

 周囲の人物たちはそれぞれ手にたいまつを持っていた。

 アヤは右手の方に視線を向けてみた。

 そこには自分と同じように岩のベッドに横たわる少女がいた。アヤと同じくらいの歳のようだ。よく見るとその向こうにもひとり。さらに頭を向かい合わせるように3人が寝かされている。みんな服は着ていない。まさか自分も…とアヤは無理に首を少し上げて自分の身体を見てみると、やはり裸だった。

 アヤを含めた6人の少女を取り囲むように、フード姿の人物たちが呪文を唱え続けている。どうにも状況がわからなかったが、異様な光景であることには間違いはなかった。

--これは、夢?

 アヤは心の中で呟いていた。

 夢の中では「これは夢だ」とは思わないものだということをそのとき思い出した。だとしたら、このような奇妙なことが現実だというのだろうか。

 隣の少女が小さな声を出して目覚めた。同じように他の少女たちも次々と目覚めた気配を感じた。

 中心となって呪文を唱えていた人物が両手を頭上にかざすと呪文が止まった。

「選ばれし娘らよ」フードの中は陰になって顔は見えなかったが、その声は地の底から聞こえてくるように不気味だった。「これからおまえたちの肉体は、わが召還術によって魔族の魂が宿ることとなる」

 息をのむ者、小さな呻きとも叫びともつかない声を出す者、6人の少女たちのそれぞれの反応を確かめてからフードの人物は続けて言った。

「魔族の魂を宿し、それぞれの国に帰りわれわれの侵入を手引きせよ」

 いい終えると再び両手を前に突き出し呪文を唱え始める。周囲の人物たちもそれを唱和する。

 身動きできないのは呪文によるものかもしれないとアヤは思った。

 それまでさざ波のように聞こえていた呪文が、ひときわ大きな声で唱えられると、アヤたち少女の上に黒い点のようなものが現れ、それは煙とも雲とも思える動きでしだいに大きくなっていった。

 そしてパリッという乾いた小さな音と共に火花のような電気のスパークのようなものがその中心で断続的に光りだすと、それもだんだんと大きくなって稲妻のようになっていき、アヤたちの身体に触れるくらいにまで伸びてくるのだった。

 いつのまにか呪文の声が止んで、フードの人物たちは少女たちを見つめている。

「あうっ」

 アヤの隣の少女がうめくような叫び声を上げると、その声は少女らしい声から急激に野生の獣がうめくようなものに変っていった。

 アヤが思わず隣の少女に視線を向けると、透き通るように白かった肌が青ざめ、そして頭上の闇のように黒く変っていくのが見えた。

「ぐうううっ」

 もはやその表情までもが少女というよりは動物のように歯をむき出し、苦しみに耐えているようだった。

--一体なにが…。

 とアヤが思っていると他の少女たちも次々と獣のようなうめき声を上げて苦しみ始める。

そしてそれはアヤにもおとずれた。

 稲妻のような光がアヤの身体に触れたかと思うと、何かがアヤの中に入ってくるような感覚があり、激しい頭痛に襲われた。

 再びフードの人物たちが呪文を唱え始める。

--魔族の魂がわたしの中に入ろうとしている?

 そのとき、少女たちのうめき声とは別の叫び声がアヤの耳に響いた。

 と同時にヤーともワーとも聞こえる、いやそれらが入り交じった勇ましい声と、驚きと恐怖が入り交じった声が洞窟の中を満たした。

 呪文の声が途切れ、稲妻が消え、煙のような闇が小さくなっていく。激しい頭痛も止んでアヤの身体も少し自由になったようだった。

 首だけを勇ましい声のする方に向けてみると、そこには甲冑に身を包んだ兵士たちが焦げ茶色のフードの人物たちに襲いかかっているのが見えた。

 鋭い剣になぎ倒されていくフードの人物たちはどす黒い血飛沫を上げる。

「ムンドゥスの騎士か!」

 中心になって呪文を唱えていた人物が激しい怒りを込めながら言った。

「そうだ! 魔族に仕える邪教の者共、儀式を中止しろ!」

 明らかに女性と思われる声が答えた。

 アヤの瞳はその声の主をとらえていた。

 磨き上げられた甲冑に身を包みながら、兜は着けずに素顔を晒している。ダークブラウンの髪が印象的だった。甲冑の胸には鷲の頭に獣の身体、そして羽をもった幻獣グリフォンが刻印されていた。

「ムンドゥスのフォルティだ! 命が惜しければその場に伏せろ」

 両刃の剣の切っ先をリーダー格の人物に向けて言い放つ凛々しさはアヤの心をつかんだ。

「『ムンドゥスのフォルティ』だと? 貴様がそうなのか」意外とでも言うような響きがその言葉にはあった。そして次の瞬間にはフォルティを嘲るような笑いを交えながら言うのだった。「勇猛果敢なムンドゥスの戦士と聞いていたが、小娘ではないか」

「試してみるか。死にたいのであればな」

 いい終わるのが早いか、フォルティが剣を振った。すると焦げ茶色のフードにスッと裂け目ができ、隠されていた顔があらわになった。

「うっ」

 2、3歩後ずさりしつつ左手で顔を隠す人物のその顔は、紫色に見えた。もしかしたら儀式のために何かを塗っていたのかもしれない。

「貴様、許さんぞ!」

 そう言うとアヤの隣で身動きすることもなく横たわっていた少女の身体に触れ、短い呪文を口の中で唱えた。

 すると少女はグオオという叫びと共に身体を反らせて苦しみだし、岩のベッドから転げ落ちてしまった。そして次の瞬間にはベッドの影からそれが少女だったとは思えない姿で起き上がってきたのだった。身体の大きさも2倍、いや3倍になっているようだった。

「しまった、すでに魔族に取り込まれていたのか」

 フォルティが言う。

「ムンドゥスの騎士どもを皆殺しにしろ!」魔術師は紫の顔をもはや隠すこともなく命令を下し、次いで仲間の魔術師たちに言う「撤退するぞ」

「待てっ!」

 フォルティはそう言って魔術師たちを追おうと足を踏み出したが、魔族に取り込まれた少女が、いや、もはや怪物といった方がふさわしい魔物が立ちはだかる。

 グオオッ。

 もはや人であったときの記憶も感情もなくなっているのかもしれない。

 フードの人物たちは洞窟の奥に集まると呪文を唱え始め、まもなく淡い閃光と共に姿が見えなくなってしまった。

「おいっ、他の少女たちを保護しろ」

 フォルティは魔族と対峙しながら他の兵士たちに命じ、自分はアヤに駆け寄りその身体を抱きかかえた。

「こいつはわたしが引き受けましょう」

 フォルティの傍らに駆け寄ってきた大柄な騎士が怪物に顔を向けたまま言った。

「ボテスか。頼む」

 ボテスと呼ばれた大柄な騎士は、アヤたちをかばうように戦斧を振りかざした。

 フォルティは同じように少女を抱えた兵士たちに合図をして洞窟の外へと向かう。他の兵士たちはボテスに加勢して魔族の周囲を取り囲み始めていた。

「娘たちは無事か」

 洞窟の外に出るとフォルティは兵士たちに言った。

「他に魔族に取り込まれているものはいないか」

「大丈夫のようです」

「そうか、よかった」

 フォルティは安堵の表情でそう言ってから改めてアヤの顔を覗き込み聞いた。

「どこか痛むところはないか」

 フォルティの温かみのある瞳の色に見とれながらアヤは黙って頷いた。

「おお、ボテスさま」

 そこに洞窟の中からボテスを先頭に兵士たちが戻って来るのを見て、兵士のひとりが声を上げた。

「少し手間取ったが、片づいた」

「ごくろう」フォルティはボテスにそう言うと、他の兵士たちに号令するように言った。「よし、城に戻る。みな、ご苦労だった」

 フォルティの言葉を合図に近くの木々に止められていた馬が連れられてきて、アヤもフォルティの馬に乗せられ城に向かうことになった。

 美しく力強い白馬の上で夜が明けていくのを、アヤはぼんやりと見つめていた。


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