第22話 其は蛍石の瞳なり

 ――ベイリーウス王国。

 この国は大きな変革を迎えようとしていた。

 長年、国を統治してい当代の国王が王権の返上を申し出たのだ。それはすぐに各国へ伝わり大きな話題となったが、ベイリーウス王国内では何故か比較的早く受け入れられたという。

 王権の返上――それは元々、数代前の国王の時代から出ていたものだ。国王とは国民の拠り所であり、国民とは国王の守るべき存在である。しかし国王は神ではない。ならば、国王の拠り所は何処にあるのか。


「私は王であるが、神ではない。妖精や魔物とも違い、私は人である。王とは人であり、人とは神に非ず。そして神も王ではない。ならば私も王という冠を捨て去り、国民と共にただの人として国をつくりあげることはできるのではないだろうか」


 しかし大規模な災害と凶作によって世界大戦が始まり、王権の返上だのなんだのと言ってはいられなくなった。王権の返上を望んだ国王は心半ばで流行病に倒れることとなり、その後を継いだ者たちも国民を守るために生き、そして死んだ。

 世界大戦が終結し三年。各地の小競り合いが消え去った今、彼の国王の意志を継いだ当代の国王は、ついに国の改革に向けて動き出したというわけだ。

 国内に広がる交通網の拡大や、建造物の再建や修繕、河川工事などの整備や改善は王制ではなくなった国で生きていく国民たちの生活を考え国費を投じて行われている。

 各地での改修事業は日払いの給料や一日三回の炊き出し、集合住宅の建設に魅力を感じた人々の手で速やかに進められているという。

 これに参加する人々の多くは世界大戦によって家族や家、様々なものをなくした者たちで、生きていくために集い、自身のため、国のために働くことを選択していた。


「そうか。では、明日帰るのだな」

「はい。先輩にはお世話になりました」

「そう改まるな。俺も奈々菜には世話になった」

「それは先輩がよく寝食を忘れて研究に没頭するからですよ」

「ははっ、違いない」


 一月前のことだ。

 ベイリーウス王国の発展を願った国王の提案により、一時的に留学生の受け入れを停止。また、現在国内にいるベイリーウス王国民以外の者を帰国させるというお触れが出た。

 国民たちは国の発展と自身の生活のためならばと受け入れた者が多かったが、各国からベイリーウス王国にやってきていた人々は、それはもう反発したという。

 しかしすでに国王が直々に各国の代表者へ国の再建のための一時的な措置だと書簡を送っていたことから、反発していた人々は仕方なく自国へ帰ることになった。

 ――奈々菜もその一人である。

 フェルトリタ大公国からベイリーウス王国のとある大学に留学生としてやってきた奈々菜は、明日帰国することになっていた。


「奈々菜がいなくなると、研究室も寂しくなるな」

「ふふっ、そんなことを言う暇もなくなるんじゃないですか? 先輩たちも改修事業に参加すると聞いていますよ」

「ああ、まあな。幼い子どもから老人まで、同じ国の民が日々、汗水垂らして国のために働いているのだ。ならば俺たちが参加しないわけにはいかないだろう」

「確かに。私も同じようなことが起きれば、そのように行動するでしょう」


 二人は緑色の目を合わせ、お互いに笑みを浮かべた。

 奈々菜の所属している研究室の先輩、ナコルはベイリーウス王国で生まれ育った。世界大戦に巻き込まれ家族のほとんどを亡くし、一時期は梅廉国の知り合いの家で世話になっていたようだが、大戦後は知り合いのツテを頼って帰国したのだという。

 そんなナコルと奈々菜が知り合ったのは、ナコルの所属する研究室に奈々菜が入ったことがきっかけだ。梅廉国の歴史的建造物の保存修理を専門とする教授のもとに集う学生たちの中で、二人の仲が深まるのは不思議と早かったという。

 ――もちろん、友人として。


「これをやろう」

「えっ?」

「なんだ。いらないのか?」

「いやいやいや、そうじゃないでしょう先輩。送別会でももらったのに」

「あれは全員で金を出したものだからな。これは俺個人から送る激励な品だ。気にせず受け取るといい」

「ええええええ。でも、はい。ありがとう、ございます」

「ああ」

「では、私から先輩にこれを!」

「……は?」

「いや、は? じゃないですよ先輩!」


 ナコルは奈々菜に、奈々菜はナコルに対して、お互いに別れと激励の品を用意していたようだ。

 奈々菜が帰国すれば、彼女は留学生としてベイリーウス王国に戻ってくることはないだろう。

 国内の改修事業が全て終わるまでにはあと十年はかかると言われており、その間にナコルも奈々菜も大学を卒業しているだろう。もちろん十年と立たずに改修事業が終わる場合もあるが、それでも数年の内に大学を卒業する二人が学生として再会することはないのだ。

 学生ではない二人が再び出会うことはあるのだろうか。しかし誰もそのことを口にはしなかった。


「蛍石のネックレスか」

「こっちは蛍石のピアスですね」

「考えることは同じだったようだな」

「ふふっ、そうですね」


 小さな箱の中に入っていたのは、それぞれ蛍石のネックレスとピアス。それはお互いの目の色にそっくりな綺麗な緑色をしていた。

 二人が仲良くなるきっかけは、お互いの目の色だったのだ。

 周囲とは違う、自分自身以外の誰の目にもなかった色――それが、研究室に入った留学生の目に、留学先の先輩の目に存在していた。

 家族にも存在していなかった色が、違う国にある。自身は家族と血のつながりがないのでは。もしや、拾い子なのでは。そんな考えを少なからず心の内に秘めていた二人が仲良くなるのは、そう時間がかからなかったのだ。


「ありがとう、奈々菜」

「こちらこそ。……ありがとうございます、先輩」

「ああ、フェルトリタでも良い日々を」

「ええ。お互いに頑張りましょうね」

「そうだな」


 そして二人の道はここで分かたれた。

 これから先、ナコルは世界大戦のおりに破壊された建造物の修繕を行う道へ。

 これから先、奈々菜は自国または梅廉国にある歴史的建造物の修復を行う道へ。

 同じ色の瞳を持つ二人が、これ以降再会することはなかったという。


「あああああ、私が! ずっと! 先輩のこと好きだなんて! 先輩は気づかなかったでしょうねええええ!」

「五月蝿いよ、奈々菜ぁ」

「ごめんなさい! でも! 先輩が鈍すぎて鈍すぎてええええ」

「はいはい、そんな鈍感な彼のことが好きだったんだろぉ」

「そうですよ! だから悔しいんです! こんなに好きなのに!」

「もうちょっと声を押さえてくれないかなぁ? 耳が痛いんだけどぉ」

「ごめんなさい! それでですね!」

「あっ、この子ヒトの話聞いてないっていうか聞く気がないわぁ」


 ある日の梅廉国、ルメイ堂にて若い女性の泣き叫ぶ声が響いていた。

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