第21話 其は赤い目のドールなり

 トゥーサンの耳に誰かの泣く声が聞こえてきた。

 それは不思議とトゥーサンの心を揺さぶるもので、その声に導かれるかのようにトゥーサンの足は声のもとへと歩き出す。

 甲高い声はどうやら幼い少女のようで、近くに保護者がいないのかどんどんと大きな音になっている。

 もしも近くに保護者がいるのならば、その声は小さく、すぐにでも消え去ってしまうに違いない。けれどもやはり、少女の泣く声は辺りに響いていた。


「おや、女の子だ」


 導かれるままに歩いていたトゥーサンは、とある公園の砂場でボロボロと涙をこぼしながら泣き声をあげている少女を見つけた。

 少女の周りには大人も子どもも誰一人としておらず、思わず視線を向けた公園の外にも人影はない。不思議に思いながらもトゥーサンは少女を泣き止ませなければいけないと思いゆっくり近づいていった。


「やあ、お嬢さん。どうして泣いているんだい?」

「ふぇっ、うえっ、え……?」


 トゥーサンが話しかけると、少女は驚いたように泣き止みトゥーサンを見上げてきた。

 まだ初等学校にも通っていないような年齢の少女に話しかける、壮年の男性。見る人によっては、それは少女を誘拐しようと近づいたのではないかと思われることもあるだろう。

 周囲に人がいないおかげで通報されることはないようだ、この場に保護者が現れないというのはなかなかおかしい。


「おじさん、だあれ?」

「僕の名前はトゥーサンだよ」

「とーさん?」

「んん~、ちょっと違うけれどそれでもいいよ」

「とーさん、おじさん。おなまえ」

「うん、そうだよ。とーさんって呼んで」


 少女にはトゥーサンの名前の発音が難しかったのか、間違った呼び方をする。しかし、トゥーサンはそう呼ばれることに対して何も気にはならなかった。幼い少女ならば、自身の名前を正しく発音することができないことは当たり前だとでもいうように。


「あのね、トリクシーはトリクシーっていうの」

「そうか。君の名前はトリクシーというんだね」

「うん」

「それじゃあ、トリクシー。君はどうして泣いていたんだい?」


 見知らぬ男性に話しかけられても、トリクシーは慌てることなくその問いに答えようとする。

 それはきっと保護者からの教育の賜なのだろうが、もう少し危機感を持つべきだとトゥーサンは思っていた。


「あのね、トリクシーね」

「うん、なんだい?」

「トーマスにお人形さんをとられちゃったの。さっきまでいっしょにあそんでいたらね、トーマスがお人形さんをもってはしっていっちゃったの。それでね、トリクシーかなしくてね」

「うん」

「かえしてほしかったんだけど、トーマスがどこにいったかわからなくて……。ないちゃったの」

「そうかあ。トリクシーはトーマスがお人形さんを持ってどこかに行ってしまったから泣いちゃったんだね」

「うん」


 トリクシーは大きな目を潤ませながら、トゥーサンに何故自分がだし泣いていたのか説明した。

 幼い少女でありながら、しっかり説明できるとはなかなか頭の良い子なのだろう。――トゥーサンはそう思いながら、自身の持つカバンの中に入れていたあるモノの存在を思い出した。


「ちょっと待ってね」


 そう言ってトゥーサンはカバンの口を開けるとガサゴソと中身をあさりだし、さらりとした糸のようなものに自身の手が触れると笑みをこぼしながらそれを取り出した。


「あったあった」

「うわぁ……、お人形さんだ」


 それは赤い目を持つ少女の姿をした人形であった。金色の長い髪に、フリルをたくさん使用した白い服を着た、どことなくトリクシーに似た雰囲気を持つ人形は、柔らかな笑みを浮かべてトリクシーを見つめている。

 トゥーサンがトリクシーに人形を差し出すと、トリクシーは目を丸くしながらそれを受け取った。


「かわいい……」


 日の光を受けて輝く赤、きらめく金色。似ているようで似ていない二つがトゥーサンの目の前に広がっている。


「とーさんおじさん。このお人形さんのおなまえは、なんていうの?」

「ああ、このお人形さんはまだ名前を持っていないんだ。もし良かったら、トリクシーが名前をつけてくれないかい?」

「いいの?」

「うん。きっとお人形さんも喜ぶよ」


 トゥーサンがにこりと笑いながらそう言うと、トリクシーは嬉しそうに笑う。


「じゃ、じゃあ! トルーデ! このお人形さんのおなまえはトルーデがいい!」

「トルーデ、か。どうしてその名前にしたんだい?」

「えっとね、あのね。おかーさんが、トリクシーが生まれる前におせわになったヒトのおなまえなんだよ!」

「へえ、そうなんだ」

「うん。とってもやさしい人なんだって!」


 トゥーサンはキラキラと、人形のトルーデと同じ赤い目を輝かせるトリクシーの姿を見つめながら眩しそうにその目を細めた。

 トリクシーはそんなトゥーサンの姿には気づかず、トルーデと顔を合わせて何かを話している。どうやら自己紹介をしているようだ。

 少女の名前はトリクシー。年齢は五歳で父親はおらず母子家庭に育ったようだ。兄弟はいないが、トーマスにとられた人形や近所に住むお兄さんやお姉さんがいるから寂しいと思ったことはないとかなんとか。

 先程、出会ったばかりのトゥーサンの前でするべきではないようなことをトルーデに伝えていた。

 だからといって、トゥーサンがトリクシーをどうこうするということはない。トゥーサンは一生懸命トルーデに話しかけるトリクシーの姿を見つめながら、笑みを深めていた。


「あ、あの。とーさんおじさん!」

「ふふっ。うん、なんだいトリクシー?」

「あのね、どうしてとーさんおじさんはトルーデをカバンの中にいれていたの?」

「あー、気になる?」

「うん」

「そうかあ。あのね……」


 トルーデという名をつけられた人形は、トゥーサンが知り合いからもらったアンティーク・ドールだ。

 それはトゥーサンの生まれ育ったベイリーウス共和国の前身、ベイリーウス王国にいたとある侯爵令嬢の命で作られていたという人形で今なお高い人気を誇っている。状態の良いものは高値で取り引きされることが多く、蒐集家も多いため気軽に手に入るものではない。

 しかし、トゥーサンは知り合いに「これを持って行きなよぉ」と、トルーデを無理矢理押しつけられた。

 一度は返そうとしたのだが、今後必要になると言われてしまえば受け取る他なかったという。だからといってトゥーサンはアンティーク・ドールの扱い方を知らないため、つい先程まで雑然としたカバンの中へ自身の荷物と共に押し込めていた。

 そのせいか、真っ直ぐだったはずのトルーデの髪は少しうねりを見せている。


「とーさんおじさんは、トルーデのこといらないの?」

「んー? うん、そうだねえ。僕には必要ないかなあ」

「じゃ、じゃあ。トリクシーがトルーデのこともらってもいい? 大切にするから!」


 トリクシーは頬を赤く染めながら、トゥーサンを見上げてくる。その姿を見たトゥーサンは少しばかり思案し、頷く。

 ――店主の言葉は正しかったのだ。そう思いながら、トゥーサンはトリクシーの頭を優しく撫でた。


「とーさんおじさん?」

「……トリクシー。その子のこと大切にしてくれるかい?」

「うん、もちろん!」

「そうか。それじゃあ、トルーデは今から君のお友達だ。トーマスが持って行ったお人形さんが帰ってきても、トルーデと仲良くしてね」

「うん!」


 それからトゥーサンは行くべき場所があると告げて、トリクシーの頭をもう一度撫でたあと公園から立ち去っていった。

 ――ふわり。風が吹くと辺りに喧騒が広がる。先程までトゥーサンとトリクシーの二人しかいなかったはずの場所に、たくさんの子どもたちやその保護者の姿があふれていた。

 しかしトリクシーは気にする様子もなく、トゥーサンからもらったトルーデを抱きしめながらご機嫌そうに笑っている。


「トリクシー」

「おかーさん!」

「ニコニコしてるけれど、どうかした……って、あら? トリクシー、そのお人形さんはどうしたの?」


 木陰から子どもたちの様子を見守る保護者たちの中にいたトリクシーの母は、砂場で一人ニコニコと機嫌良く笑っているトリクシーに気づき、近づいてきた。

 先程までトーマスと共に砂の城を作って遊んでいたはずの娘が崩れた砂の城の前で見知らぬアンティーク・ドールを抱きしめている。

 トリクシーの母は娘にそのような人形を買い与えた覚えはないし、高価なアンティーク・ドールを幼い子どもの遊び道具として渡すような人がいるとは思えなかった。

 どこからともなく現れたアンティーク・ドールのトルーデを気味が悪いと思いながらも、トリクシーの母は娘に質問を投げかける。


「トルーデのこと?」

「ええ、そう。その子はトルーデというの?」

「うん! あのね、トーマスにお人形さんをとられちゃってかなしくて泣いていたら、とーさんおじさんがくれたんだよ!」

「とーさん、おじさん?」

「うん、とーさんおじさん。トリクシーとトルーデとおんなじ目の色をしたおじさんだよ。行かなきゃいけないところがあるっていって、もうどこかに行っちゃったんだぁ」


 トリクシーは、母が少し怖い顔をしていることに気づきながらも笑顔で質問に答えた。

 相変わらずトゥーサンの名前を正しく言えてはいないが、”とーさん”という名前の、トリクシーとトルーデと同じ赤い目をした男性からトルーデをもらったということを母に伝えると、母は驚いたような表情で辺りを見回す。

 ――まるで、誰かを探しているかのように。


「どうしたのー、おかーさん」

「トリクシー。その人はもしかして……、トゥーサンって名前じゃなかった?」

「うん、そうだよ。とーさんおじさん、そういってた!」

「そう……。そうなの」


 トリクシーの母は崩れ落ちるように、砂場に膝をついた。そしてトリクシーを抱きしめ……。


「おかーさんどうしたの? 目にゴミがはいっちゃったの?」

「いいえ、違うわ。違うのよ。そう、あの人が……」


 公園から随分と離れた場所でトゥーサンはふと立ち止まり振り返る。そこには

誰の人影も見えないが、確かに名前を呼ばれたような気がしたのだ。

 トゥーサンは小さく笑みをこぼし、また前を向いて歩き出す。そんな彼の右手は――先程トリクシーの頭を撫でたその手は、小刻みに震えていた。


「最期に娘に会えるだなんて、遠出をしてみるものだね」

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