第十三話 不安定な心

 職業適性が勇者だと突きつけられてから、なんの会話をして、どうやって戻ってきたかをあまり覚えていなかった。

 家に帰るなり出迎えてくれたイグニスに、重い口を開いてそのことを告げる。するとしばらく静止した後、なんとイグニスは口を大きく開けて笑い始めた。


「笑うところ、ありました?」

「あるさ、お前が勇者ってだけで笑い話だ」


 感謝をしたくはないが、それでも笑い飛ばしてくれたおかげで朧はいくらか平常心を取り戻した。

 差し出されたお茶を受け取って、用意されたパンを一口むしって口に運ぶと、それをスープで流し込む。暖かいものが食道を伝っていくのを感じながら、未だニヤニヤしているイグニスを見つめた。


「笑い話でもあるにはあるが……よかったじゃねぇか」

「まったくよくないですよ。僕が勇者なんて……」

「朧」


 グビリとエールを煽ったイグニスは、口ひげに泡をつけたまま口を開く。

 つい数秒までと一転、真剣な声、そして瞳。呼ばれた名前になんとなく姿勢を正し、口ひげに泡をつけたままのイグニスと視線を合わせる。


「お前、帰りたいんだろ?」

「…………」


 ストレートな言葉。

 その言葉に、朧は無言のまま、それでもしっかりと顔を上下に動かした。


「勇者の仕事、話したよな」

「はい」


 勇者の仕事。

 以前イグニスがニヤニヤと笑いながら話してくれた。

 勇者の仕事とは、世界中の街に結界を張るために旅をする聖女に同行し、彼女を守ること。


「ちょうどいいじゃねぇか。帰る方法探してこい」

「でもっ」

「うるせぇ!」


 ダンッと音を立てて、イグニスはエールが入ったジョッキを机に叩きつけた。減っていたはずの中身がその衝撃でわずかに飛び散り、机にシミを作っている。


「言ったろ、動かなきゃ何も変わんねぇんだ」

「っ!」

「逃げられねぇ理由なんてちょうどいいじゃねぇか。へっぴり腰のお前にゃぴったりだ」


 なんだかんだイグニスは背中を押すのがうまい。そう、朧は思わざるおえなかった。

 もう四杯目にもなるエールをジョッキに注いでいるイグニスを視界に入れたあと、冷めてしまったお茶を口に入れ流し込む。ゴクリと飲み干して、まっすぐとイグニスを見つめた。


「……ありがとう、イグニスさん」

「けっ!」


 明日には王城に向かわなければいけない。王から直々に勇者の任命と、仕事の説明がされるからだ。

 短い期間。それでも朧は、イグニスと一ヶ月半一緒に暮らしていたのだ。厳しいことも言われたし、鍛治師見習いも勉強もスパルタだった。後悔したこともあるにはある。だがそれ以上に、たくさんのことを教えてくれたイグニスには、感謝してもしたりない。


「本当に――」

「持ってけ」

「え?」


 もう一度告げようとしたお礼の言葉を遮って、イグニスの短く太い腕が伸ばされた。その手には、朧が作ったものではない、西洋風の剣が握られていた。

 訳が分からずイグニスを見上げると、無言で突き出したまま何も言おうとはしない。

 このままでいても拉致があかないと受け取れば、ようやくその手を引っ込めた。


「お前が作ったやつは、お前にゃ扱えねぇんだろ」

「はは……バレてたんですね」


 思わず苦笑した朧は、その通りだと返事を返す。


「そっちなら初心者向きだ。お前の身長に合わせて短めにもしてある」


 ぶっきらぼうだが、手に乗った剣を見ればそれが丁寧に作られていることがよくわかる。

 初心者には少し高級な鋼。朧が初めて打った刀と同じ素材で作られた剣は、全長が八十センチほどある。刀は一メートルくらいなので、若干短く、さらに軽い。


「刀は明日の朝来る。必要ならそれも持ってけ」

「じゃあ、そうさせてもらいます」


 礼なんか欲しくない。とばかりのぶっきらぼうなイグニスの物言いに呆れながら、素直に言葉には頷きを返す。初めて作った刀は朧にはまだ使えそうにないが、身につけておきたかったのでありがたかった。

 刀の使い方に関してはゆっくり学んでいこうと思いつつ、朧は今回の旅に思いを馳せる。


「そういや、聖女ってのはどんなやつなんだ?」


 いつも赤らんでいる鼻だけでなく、ほっぺまで赤くしたイグニスがエールのジョッキを朧の方に傾ける。中身がこぼれてしまいそうだと押し返して、朧はあまり聞いてなかった説明を思い起こす。


「同じ黒髪で同い年。くらいしか思い出せない、ですね」

「一番気になるところじゃねぇのか?」


 イグニスの発言に苦笑を返す。あの時は、それどころではなかったのだ。

 誰かを守る大役を任されてしまった重圧。能力も普通より高い程度で、特別誰かを守りたいとか強くなりたいなんて意思もない自分。

 逃げ出したい想いが先行して、それ以外のことを聞いたり考える余裕は朧にはなかった。


「性格が良ければ、それでいい……かな」

「性格が悪い聖女とかワシは嫌だ」


 真顔で返してきたイグニス。女性の性格を気にするなんて思いもしなかった朧は、思わず口元が緩む。


「イグニスさんも、女性の性格とか気にするんだ……」

「ワシだって男だ!」

「おじいちゃん、ですよね?」

「ドワーフは百歳超えてからが大人なんだよ!」


 くだらない言葉の応酬を繰り返していれば、突然イグニスがふっと真顔になった。


「なあ、朧」


 首を傾げれば、イグニスがもう何杯目かわからないエールを飲み干し、空になったジョッキを机においた。


「お前に一つ、教えとくべきことがある」

「なんです?」


 先ほどのやりとりで、だいぶほぐれて来ていた緊張。首を傾げると、朧のサラサラな髪が顔から滑り落ち、その整った美しい顔が露わになる。


「魔物のことだ」


 慌てて前髪を元の場所に戻し顔を隠していた朧は、その言葉に背筋を正した。


――お前にはまだ、覚悟が足りない


 以前そう言われて、詳しく教わっていないことが一つだけある。それが、魔物についてだ。

 魔物がいることは聞いていたが、それがどういったものなのか、見た目的特徴も含めて何も聞けてはいなかったのだ。

 しかし、これから旅をする身。流石に知らなければならないと思ったイグニスは、朧に魔物の説明をすることを決めた。きっとまた、朧が尻込みすることも全て分かった上で。


「特徴は、紫の瞳に白い瞳孔。体の周りに黒くなった魔素がぼんやりと見える」


 ぽつぽつと口を開き、言葉を落とすイグニス。だが、覚悟が必要な内容には思えないと、朧は疑問を浮かべる。


「魔物はな、俺ら妖精族を除く……その他全ての人種、そして動植物の成れの果てだ」

「……え」


 だが、次にイグニスから落とされた言葉の意味を理解した瞬間。目が泳ぎ、口を閉じることができなくなった。意味のない声が朧の口からこぼれ落ちて、イグニスの耳まで届く。


「魔力適性が低いもの、知力の低いもの、許容量以上の魔素を一気に取り込んだものが、魔物になんだよ」


 イグニスのそばで、なんとか生きていける気がしたこの一ヶ月間。職業適性が勇者と知って崩れ落ちた足場も、背中を押してもらえてようやく直すことができたばかりだというのに。

 朧の立っている不安定な足場がまた、あっさりと崩れ去ろうとしていた。

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