第3話

彼は素知そしらぬふりをしていたが、人々がひっそりと口にするなつかしい名前に反応して立ち止まり、目蓋まぶたを閉じてそらを仰いだ。


藤丸ふじまる


それが、生まれ変わる前の名前だった。

遥か昔の、またたきのに散ったいのち未練みれんがないかと問われれば、彼は[ある]と答えるだろう。自分がこの世界ページのこの時間軸に送られたのは、明らかに意図いとされたものだ、約千年前に、この話をさけせきでストラーナの主人しゅじんに聞かせたことがあった。


無念むねんのままで終わらせてはくれないか…有難ありがたいのか、残酷なのか…)


急ごしらえの対策たいさくがいつまでつか紘之助には分からない事であるが、ここで〝藤丸ふじまる〟が死んだ原因が、まだ人にまつられるような位置に鎮座ちんざし持てはやされているとすると、そこらで少し悪戯いたずらをするだけのあやかしよりもタチが悪い。里の人間たちにそれを認識にんしきさせなければ、この里に未来はないと分かりきっていた。


(まずは確認だな、充分に人目ひとめにはついただろう、あとは勝手に広まる)


彼は、り組んだ小路こみちを幾つも曲がり、一旦いったん人の視線がない場所までやって来ると、その場からかき消えるように姿を消した。次の瞬間に彼が居たのは、とある大きな平屋敷ひらやしきを見下ろせるほど高い木の上だ。


(…こうして見ると、便利な種族に産まれたものだ。ここの人間であった頃より、何もかもが容易たやすい…)


この世界ページの人間がどんなに鍛錬たんれんしても出来ないことが、今の彼には、その遥か上を悠然ゆうぜんと超えていけるほどの、感覚の鋭敏えいびんさ、身体の頑強がんきょうさを持つ、その事に感謝かんしゃした。


平屋敷の中央部に、紘之助は見つけた、〝藤丸〟がなぶり殺される原因を作った人物-花形はながた 薫子かおるこ-彼女は、何をどう間違えたのか時空じくうゆがみにとらわれて、異界いかいから光に包まれてこの里に降り立った。


最初は戸惑っていた彼女だったが、元の世界せかいで多少歴史に関心があったらしく、少しずつたみの信頼を得てゆき、いつの間にか巫女みことしてあがめられるようになっていた。容姿のよい小間使こまづかいや従者じゅうしゃはべらせ、里は、彼女の思うままに動くことすらあった。明らかに、おかしい事になっていると気づく者も少数いたが、それを進言しんげんすることは死にも等しいだろう状態にまで悪化していた。


悪女殿あくじょどのはご健在けんざいのようだな、実に喜ばしい)


彼女が調子に乗り始めて最初に声をかけたのが〝藤丸〟だった、聡明そうめいさを宿やどした眼、整った美しいその姿を、薫子は欲しがったのだ。そして、それを断ったことが悲劇の引き金となった。


ある夜、駆け出しの下忍げにんであった彼が任務を終えて平屋敷内にある自室へと向かっていると、おさない頃から共に修練しゅうれんはげみ、共に任務をこなしてきた仲間たちが、藤丸を縄でしばり上げ猿轡さるぐつわまでませ、今回、紘之助の墜落ついらくによって吹っ飛んだ例の山に連れて行かれた。


自分の身体を投げ捨てるように扱う同胞どうほうの瞳に狂気を感じて、藤丸は必死で後に下がろうとするが、木にぶつかって止まってしまった。同胞たちは、藤丸の言い分を聞く気などなかった。


『巫女様を襲ったんだって?』


『特別目をかけて頂いていたクセに』


『裏切り者』


浴びせられる言葉に、全く覚えなどなかった。猿轡さるぐつわ邪魔じゃまされながら[信じてくれ]と訴え続けた、だが薫子の謀略ぼうりゃくを、彼等は信じきっていた。爪を剥がれ、指を切り落とされ、脚を失くし、腕を切り落とされたところで、猿轡さるぐつわが外された。こんな姿になろうとも死ねていないことを嘆き、朦朧もうろうとしながらも、[言い残す事はあるか]そう同胞たちの言葉が降ってきたとき、藤丸は最期の言葉を途中までつむいで事切れた、そして首が切り落とされた。


〝人はい…さ ここ…も知…ず ふ…さ、は-〟



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