和平に必要な衝突

 先手必勝とはよく言うけれども、国が法治国家として成熟してくると、攻撃を受けたら如何するかという技術需要が出てくる。当たり前だがその理由は場合によっては先に手を出すと不利になるからなのだ。

 したがって安直に『●●される前に✖️✖️すれば良いんだよw』なんて言わないほうがいい。解決方法としては主に

1 如何に被害者として対処したか?

2 どちらも被害を受けずに終わらせられるか?

3 被害を受けるような状況下にならないようにするか?

であり、難易度は数字が低くなるにつれて難しくなるが、何よりも大事なことは衝突が起きた時にただしく反応して「抗議」を表明することである。『先に手を出しても損をするどころか得をする』ことが続くようならば、一応決められている縄張りに侵攻して来る国も出てくる。これは明らかに真の平和活動を怠ってきた結果である。


 日本でいう兵法とは和平への道なわけだが(中国のとは違う)、日本式兵法の手順としても正しく、先ずは、❶縄を張ってお互いが境界を越えないように工夫をする。❷境界線の指定されていない範囲で他国の者と衝突した場合はその事実を証拠とともに提示した上で、当事者だけではなく第三者も立ち会わせて話し合いを行う。❸境界線を越えて侵攻してきた場合は防衛戦を行う...となる。

 ところで今の日本はどうだろう? ❶と❷が全く出来ていない。

 これはゆくゆく戦争になるだろう。


 強大な兵器の開発により抑止力を高めることの先にあるものは何か。それは人が充分に扱うことができなくなるものでしか、戦争抑止をすることができなくなる、というパラドックスだ。いつか「それ」は暴走し、ついには全人類の仇となる。結果、人類と制御不能な兵器との不毛な戦いが始まり、人類は負ける。


 戦争の防止に必要なものは、個々のリビドーを満たすものでなければならない。

 戦争というのは、発端は個々のリビドーやエゴが他者のそれらとぶつかりあう“テリトリーの衝突”である。

 和平に必要なものとは、利他主義的精神をはぐくむことであり、そのメソッドは「喜楽を感じ、生の実感を得ることができるスリル」を併せ持つものでなければならない。

 無限に応用できる知性が支えてはじめて武の用をなすものである。


 武の本質とは、他者と争い打ち負かすことではなくて、他者と向き合い、距離をとることによって互いの違いを知り、精神性を高めることが目的である。

 人生とは、死ぬまで終わりのないリセットの効かないゲームである。ここでいうゲームとは、勝負事ではなく、あそびである。生をまっとうするまで自己の成長をたのしむものである。というのが実は平和的な考えなのだ。

 しかし、ゲーム設計の落とし穴として人の成長に悪影響を与えかねない危険性がある。なぜなら勝敗にこだわるあまり、自己満足に帰結し他をおとしめる邪な快感をはらんでいるからである。このようなものというのは、争いの火種を消す役割を果たさない。つまり、争いを起こす「衝動」を戦争で人を殺すかわりに満たすものだと捉えることができ、精神の成長においてはあまり役に立たないものである。役割があるとすれば「選抜」「選別」「管理」だ。


 真の平和な世界をつくりあげるには、日本人の意識のめざめのために禅的な要素をはらんだゲームを世に広める必要がある。私の目的としては、武道とエンターテインメントをつなぐことで武道が本来もつ役割である「君主を育成する機関」として復活させることだ。中世とちがい、国民すべてが君主たらねば日本の主権は確立不能である。

  

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