演武の真理

 組み演武を組み演武足らしめる為には、仕える側(受ける側)が打って出る側に餌を提示する事が求められる。それが無ければ演武とは言えない。


 一々打って出る側が打ち合わせ通りの攻撃しか出せないように定められるというのは其れは単なる見世物の類いである。


 相手があっての修練というのは、つまり相手を使って術にはめる事が目的であり、誰かに華麗(笑)なものを見せようと我欲にまみれる事では決して無いし、これは武の用を満たす事と程遠い。


 そもそも、その型は何を求めるかという部分から離れた行いは、厳しく言うと無駄と言える。


 二人稽古ならば攻撃を打って出る側に対する仕掛けを静的動的にかかわらず逆に仕掛ける必要がある。

 内観的ないしは外観的、又は精神的な仕掛けをもって初めて仕える事が出来る。


 いくらすごい技術を持っていようとも、第三者がその技術を求める乃至は持っている事を知らなければ、持っている人には何の興味も示さないのです。


 例えば右のストレートを相手の左顎下に当てろとか、順の左手で相手の右袖下を捕れとか.....攻撃する側からしたら「知らんわw」ですよ。そうせざるを得ない状況を作る努力をしないと本当の練習にはなりません。


 本当の本当に初心なら仕方ないですけど.....上記の様な訓練もせずに術を習得したつもりで居るのは勿体ない。


 別々のことの様に述べられていることでも、実の所一つの事に関して述べられていたりする。此れを真理という。


 ある一つの原理が理解出来れば様々なものに展開出来る。これも真理である。


 様々なものよりも確かな一つが大切である。別々の関連性のない事を延々と無数に伝える事は迷いの道であると言える。


 娯楽として当たる分には問題は無いと云えるが、其れが生き死に関するものであった場合は離れるべきである。

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