渡を越すという事

 勝田兼充超訳(平成版)宮本武蔵 五輪書「渡を越すという事」

 渡を越すというのは、過酷な自然を平易な状況にすることである。

 先ずここでは剣を交える場合は、枕を抑えるにも先を取るにも、いずれにせよその機会を作るまでは辛抱せねばならぬという事。

 敵との撃ち合いの流れの中で、いかに自然にしたたかに上流となるか、いかに風を作るかという心を忘れぬ事。

 機会をより多く作るには、常日頃より、自然の流れを知り、逆らわないように修練を積むことが肝要である。

 機会を待つのではなく作るという事を忘れてはならない。

 より大きな相手、多くの相手に立ち向かう時も同様に、時代の大局をよく観てそれに逆らわぬように尚且つしたたかに己の施策が上流となるように、辛抱強く機会を作るのである。


 五輪書原文

 とをこすと云事。

 渡をこすと云ハ、縱ば海をわたるに、

 せとゝいふ所も有、又は、四十里五十里とも

 長き海をこす所を、渡と云。

 人間の世をわたるにも、一代のうちにハ、

 渡をこすと云所多かるべし。

 舩路にして、其との所を知り、

 舟の位をしり、日なミを能知りて、

 たとひ友舩は出さずとも、

 その時のくらゐをうけ、

 或はひらきの風にたより、或は追風をもうけ、

 若、風かはりても、二里三里は、

 ろかひもつて湊に着と心得て、

 舩をのりとり、渡を越す所也。

 其心を得て、人の世を渡るにも、

 一大事にかけて、渡をこすと思ふ心有べし。

 兵法、戦のうちに、渡をこす事肝要也。

 敵の位をうけ、我身の達者をおぼへ、

 其理をもつてとをこす事、

 よき船頭の海路を越すと同じ。

 渡を越てハ、又心安き所也。

 渡を越といふ事、敵によはミをつけ、

 我身先になりて、大かたはや勝所也。

 大小の兵法のうへにも、とをこすと云心、肝要也。

 能々吟味有べし。


 五輪書原文の現代語訳

 渡を越すという事

 渡〔と〕を越すというのは、たとえば、海を渡るに「せと」〔狭渡〕という(狭い)所もあり、または、四十里五十里という長い海を越す所を渡〔と〕という。人が世間を渡るにも、一生のうちには、渡を越すという場面が多いであろう。

 船路にあっては、その渡の場所を知り、あるいは船の位〔性能〕を知り、日並〔天候〕をよく知って、たとえ連れの舟は出さなくとも、その時々の状況に応じて、あるいは開きの風〔横風〕に頼り、あるいは追風をも受け、もし風が変っても、二里三里(の距離)は、櫓や櫂を使ってでも港に着けると心得て、船を操り、渡を越すのである。

 そのように心得て、人の世を渡るにも、(ここぞという)大事な場面では、渡を越すと思う心があるであろう。

 兵法(においても)、戦いの最中に、渡を越すということが肝要である。敵の位に応じ、我身の達者〔技能〕を自覚し、その理〔理性〕によって渡を越すこと、これは優れた船頭が海路を越すのと同じこと。渡を越せば、再び安心できるのである。

 渡を越すということは、敵には弱みを着けさせ、我が身は先になって、すでにほぼ勝ちおさめるというところである。

 大小の兵法の上でも、渡を越すという心持が肝要である。よくよく吟味あるべし。


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