新たなる旅立ち

「はい、着いたよ」

「にゃあ」


 賀衿が開けてくれたドアから車を降りる。伊勢神宮内宮、宇治橋に近い駐車場。閉門1時間前の時刻となれば、さすがに駐車している車は少ない。人通りもまばらになっている。


「なんとか日没までに着いたねえ」


 いつも元気な賀衿も少々疲れ気味だ。慣れない車を一日中運転していたのだから無理もない。猫の姿となってから賀衿には本当に世話になった。だが、それも今日で終わりだ。


 昨日、屋上で意識を失った私の体に付き添い、兄の運転する車で賀衿は名古屋へ来た。もちろん猫となった私も一緒だ。突然の来客に驚く両親。更に驚いたのは、明日、猫を連れて伊勢へ行きたいと賀衿が言い出した時だ。


「荒木田支店長が気を失う直前、私に頼んだんです。この猫ちゃんを連れて、東海道から伊勢街道の宿場を一つずつ回り伊勢神宮へ行けって」


 あまりにも突拍子もない賀衿の言葉に両親も兄も首を傾げる。横で聞いていた私は舌打ちした。


(兄に知らせなかったのは失敗だったな。賀衿に頼む前に言っておくべきだった)


 だが、兄は前日私が病室で「伊勢へ……」と言いかけたのを覚えていたのだろう。望み通り車を貸し、今朝、賀衿と私の出発を見送ってくれた。


「これが荒ちゃんとの最後の旅行。楽しまなくっちゃ」


 変わらぬ陽気さで車を運転する賀衿。

 かつての東海道は宮宿から桑名宿まで七里の渡しが出ていた。さすがにそこまでは踏襲できない。国道1号線で桑名宿へ向かう。


(ツアーと違って見学はなく神社に立ち寄るだけだ。そう時間はかからないだろう)


 などという私の予想は見事に覆された。桑名宿ではお約束の焼はまぐりと安永餅。次の四日市宿では笹井屋のなが餅。日永追分から東海道に別れを告げて伊勢街道に入る。神戸宿ではゴツゴツした立石餅を賞味。国道23号線に入って白子宿、上野宿。ここでは何も食べなかった。次の津宿では天むす。名古屋名物のひとつであるが発祥は津である。雲津宿は手早く済ませ、次の松阪宿では松阪牛たこ焼き。さすがに腹が膨れたのか、櫛田宿、小俣宿では何も食べず、外宮げぐうの山田宿で小さなへんば餅をひとつ食べ、ようやく内宮に到着したのだ。


「ふ~、さすがに食べ過ぎたよ~」

(当たり前だ。太るぞ)


 腹を撫でながら歩く賀衿の後に付いて、内宮への入り口となる宇治橋へ向かう。残念ながら内宮はペット同伴禁止である。宇治橋前の衛士見張所にはペット用のケージが置かれているので、そこに預けて入るのだ。


「どうする荒ちゃん、こっそり入っちゃう?」


 私だけなら野良猫のふりをして知らん顔で宇治橋を渡るところだろう。野生の鳩や雀は自由に内宮へ出入りしているのだ。野生の猫とて例外ではないはず。しかし賀衿に連れられている以上、私はペットと同格。規則は破れない。


(拝殿まで行かなくても鳥居に触れるだけで大丈夫だろう。元の体に戻してもらうわけでもないのだからな)


 宇治橋手前の鳥居に近付く。御神木のようにそびえ立つ鳥居。それを見上げながら感慨にふける。

 遂にここまで来た。日本橋を発って20日。期限には間に合わなかったが、とにかくたどり着けたのだ。これまでの日々を思い出しながら私は鳥居に触れた。


「にゃっ!」


 全身に感じる衝撃。体が軽い。浮いている。見下ろせば鳥居の足元に猫が倒れていた。しかしその景色もすぐ見えなくなった。一面の白。濃い霧のような白さの中、足も手も体もない私の前に倭姫がゆるやかに姿を現わした。


「ようやく来たか。荒木田。しかし間に合わなんだのう。わらわが申し付けた期限は昨日。1日遅れじゃ。もしや鼠にでも騙されたか」


 別れ際に言われた、あの冗談めかした十二支の皮肉が現実になってしまったわけだ。あるいはあの時点で今日のこの結末は見通していたのかもしれない。


「遅れたとはいえ参らぬより参った方が良かれと思い、恥ずかしながら参上いたしました。倭姫様の期待に応えられず、面目次第もありません」

「そのような口上は無用じゃ。ずっと見ておったのだからな。あの娘のために諦めたのであろう。どこまでもお人好しな奴じゃ。そのような甘き考えでは人に戻ったところで出世もできぬ。猫のままで良かったではないか」


 相変わらず辛辣な物言いだ。これ以上余計なことを話すと更に毒舌を聞かされそうな気がする。


「荒木田、後悔はしておらぬのか。そなた、これで本当に良かったのか」

「どのような選択をしても必ず後悔は残ります。ならば一番小さな後悔が残る選択をすべき。そう考えての結論です」

「ふっ、人より猫の方が後悔が少ないか。もしやそなた、今日参ったのはわらわが情にほだされて特別に人に戻してくれるとか、そのような下心あってのことではなかろうな」

「いえ、それは……」


 全くない、とは言えなかった。昨日は半日だが人に戻っている。1日遅れた程度なら何とかなるかも、そんな考えも僅かながら抱いてはいた。倭姫も私の胸中を察しているのだろう、明確な返答は求めてこなかった。


「まあよい。期待するなと言う方が無理な話じゃ。されどそれについては先に述べた通りじゃ。元の体に戻せるのは新月の日のみ。そして命の抜けた体を保てるのはひと月ほど。それがわらわの成し得る精一杯なのじゃ。口惜しいが如何ともし難い。許せよ、荒木田」


 倭姫の言葉とは思えぬ優しい言葉だった。御神木の言葉通り、本当に私を助けようとしてくれていたのかもしれない。


「私の体はあとどれほど生きていられますか」

「そうじゃな。これから月が太るにつれ、わらわの力も弱くなる。次の満月までには息絶えておろうな。ああ、そう気を落とすな。己の葬式に参列するという稀有けうな体験ができるのじゃ。その後は彼岸に墓参りでもして己の体を供養してやれ。おお、そうじゃ。命日にするならこの日が良いという望みがあれば叶えて遣わすぞ。息を断つのは思いのままじゃからのう」

「いえ、そんな希望はありません。できるだけ長く生かし続けてください」


 倭姫もどこまで本気なのかよく分からない。そろそろおいとました方が良さそうだ。


「ところで荒木田、猫の体となってこれからどうするつもりじゃ。あの娘に飼われるのか」

「いえ。飼い猫は性に合いません。野良猫として各地を旅して回りたいと思っております」

「そうか、達者で暮らせよ。三毛猫の雄は寿命が短いからのう。太く短く生きるのじゃ。わらわはいつでもそなたを……何じゃ、まだ話の途中、なんと大御神様が! 荒木田、しばし待て」


 倭姫の姿が消えた。待つ。長い。今度もなかなか姿を現わさない。いい加減に帰りたいが帰り方も分からない。仕方なく待っているとようやく姿を現わした。


「おほん、荒木田。重要な知らせがある。此度のそなたの振る舞いに大御神様は痛く感動されておる。このような者こそ世にあって人の役に立たせるべきとお考えのようじゃ。そこで大御神様自らがそなたに試練を課される。伊勢を発ち出雲国の大社へ参れ。これまでと同じように猫の姿で神社を回りながらな。それを成し遂げれば元の体に戻してもよい、そう仰っておる」

「そ、それは本当ですか!」


 待っていた甲斐があった。そして1日遅れでもここに来て良かった。最後までやり遂げることの重要さをしみじみ感じる。


「まことじゃ。大御神様はわらわと違い、そなたの体をいつまでも生かし続けられる。よって期限はない。何日、何月かかろうと構わぬ。が……ふうむ、試練にしては少し甘すぎる気がするのう」


 倭姫が考え出した。嫌な予感がする。


「これだけでは詰まらぬので、出雲からまた伊勢へ帰って来い。神社を巡りながらな。道筋は行きと同じでもよいし異なってもよいぞ。大御神様の試練ではあるが元の体に戻すのはわらわ、新月の日のこの地でなければできぬのじゃ。これで試練の難易度は倍になったわけじゃが、……ふむ、それでもまだ手ぬるいかのう」

「いえ、そんなことはありません。もう十分です。あの、そろそろ帰りたいのですが方法を教えていただけませんか」


 これ以上好きにさせたらどんな条件を付加されるかしれたものではない。早々に立ち去った方が良さそうだ。


「おお、そうじゃな。いつまでもここにいると猫の体が大変なことになる」

「大変なこと? どういう意味ですか」

「ここへはそなたの命が来ておるのじゃ。命が抜けた猫は仮死状態になる。あの娘、気を失った猫を起こそうと、先ほどから半べそをかきながら尻を叩き続けておる。早く帰らねば尻が腫れ上がるぞ」

「早急に帰還させてください!」

「うむ。ならば帰るがよい。荒木田、今度こそ試練を成し遂げるのじゃぞ。さらばじゃ!」


 倭姫の姿が消える。白かった霧は明るさを弱め闇へと変わる。失われる平衡感覚。聞こえてくる叫び声。尻の痛み。


(痛ててっ! なんだ、この焼けつくような痛みは!)

「荒ちゃん、しっかりして、死んじゃやだやだ、あっ、荒ちゃん、気が付いたんだね。よかったあ。心配したんだよ~。死んじゃったのかと思った」


 賀衿の腕から逃れて尻を見る。触る。かなり痛い。どれだけ叩いていたのだ。下手すりゃ死んでいたぞ、まったく。


「それで荒ちゃん、これからどうするの。もう用事は済んだの」


 そうだ、賀衿には教えておいた方がいいな。これからも力になってもらうとしよう。スマホを借りて入力する。「出雲大社へ行く。助力請う」賀衿の顔が明るく輝く。


「荒木田支店長回復祈願の旅、次は出雲大社なんだね。嬉しいよ~、また荒ちゃんと旅ができる!」


 尻の痛みをこらえて私は立った。西の空を見る。出雲大社はあの空の下にある。遠い。だが期限はないのだ。今度こそ必ず試練を成し遂げてやる。


「にゃおー!」


 雄叫びを上げる。私は行く。行って必ず伊勢に戻って来る。大丈夫だ。たとえ猫一匹でも道に迷うことはない。



すべての道は伊勢に通じているのだから!

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憑依猫東海道中伊勢もうで 沢田和早 @123456789

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