醜い花

naka-motoo

醜い花

「相席をお願いします」


店員さんからそう言われて彼が指し示す手のひらの先を見ると、1人の女の子が座っていた。


「すみません」


僕がそう言って椅子に腰を下ろすと彼女は


「いいえ」


と、音声になるかならないかのようなボリュームで僕の目を見ずに呟いた。


僕はこのカフェに週二ぐらいのペースで訪れる。

特にコーヒーの味が気に入っているわけではない。


テーブルに花が飾られているのだ。


池袋の少し大きな通りに面したカフェの、ウッドデッキ部分がオープンカフェになっている、そのテーブルに一輪挿しの花が。


対面で2人がけの小さな丸テーブルの中心に、今日は紫色の花がすっ、と立っていた。


花の名前は僕は知らない。


「アメリカン」


とオーダーし、店員さんが去った後、まずその花を僕は意識した。


金曜の午後。


寒くなり始める季節の入り口の陽光の中、紫色の幾重の花びらに乗っかった水滴がきらめいている。


きれいだな、と僕は素直に感じた。


焦点を花からやや左にずらす。


はっ、とした。


そして、僕はこう考えた。


・・・声を掛けるべきなんだろうな・・・


無言でこのまま別れてしまうのが失礼ではないかと思える相席者。

僕は得体の知れない責任感・・・いや、義務感でもって声を発した。


「きれいですね」


花の向こうで彼女はスマホから視線を上げて初めて僕の顔の辺りを見た。

目は見てない。


そして、こう言った。


「何がですか?」


5秒ほど間を置いてしまった。答えずらくなるほどの長さだったと後悔した。

けれども仕方がない。僕は事実を伝えた。


「花が・・・」


彼女は口を少しだけ開いて笑った。その隙間から並びが不揃いの白い歯が覗いた。


「ええ、きれいですよね・・・花が」


僕は職業柄、事実を事実としてありのままに捉える作業を日常でも繰り返している。職業病と言えるだろう。

学会の帰りに立ち寄った、本来ならばプライベートなはずのこの時間も、たまたま混雑で同席した彼女の容姿とおそらくその結果形成されたであろう人格とを観察してしまっていた。


でも、普段はその分析は自分の心の中にだけしまっておく。

今僕の目の前にいる、多分20歳に届いていないだろうその女の子の顔は・・・


とても不快感を抱かせるものだった。


もう一度彼女が笑う。


「気を遣ってくださったんですね」


「え」


「だって、さっきのあなたの表情。花とわたしを見比べた時の表情を見たら、ああまたか、って落ち込みましたもん」


「すみません」


「いいえ。だからフォローしようとしてくださったんでしょう?」


容姿のせいだろう。この女の子は他者の自分に対する評価とか感情とかを瞬時に読み取る術を修練してきているようだ。こちらの嘘は通用しないだろう。


だから、そのまま答えた。


「すみません。おっしゃる通りです」


「少しお話ししませんか?」


彼女はことっ、とスマホをテーブルに置いてそう僕に促した。不思議なことに主導権は既にこの子に奪われていた。彼女が間髪入れずに僕に質問する。


「差し支えなければあなたの職業を」


「・・・医師です。精神科の」


「そうですか。わたしは大学生です。今、2年生です」


「学部は?」


「文学部です。現代文学論っぽいのをやってます。あなたは開業しておられるんですか?」


「いえ。大学病院勤務です。いずれは開業したいですけど」


「精神科って、大変ですか?」


「そうですね。僕が、というよりは患者さんたちが大変ですね。現実との悪戦苦闘の中で」


「カウンセリングをされるんですか」


「そういう手法もありますけど、主には投薬治療の方針を患者さんと相談しながらという感じですね。勤めておられたり学校生活との兼ね合いもありますから」


「学生もいるんですか?」


「おられますよ。僕の所に来る患者さんで10代の方もかなりおられますね」


「じゃあ、わたしと同じ年代ですね。先生」


「先生なんて言わないでください」


「でも、『あなた』って言い続けるのも恥ずかしいです」


「じゃあ、『タカイ』と」


「タカイさん。わたしを診ていただくこともできますか? 今、この場で。あ、わたしは『セエノ』って言います」


いい加減な見立てをする訳にはいかないが、彼女の容姿に対して無礼な観察をした後ろめたさがある。簡易にという断りをしてから彼女の相談を聴き始めた。


「わたしの容姿のことです」


「はい」


「タカイさんもご覧になった通り、わたしの見た目は醜いです」


僕は肯定も否定もせずに聴き続ける。


「すべてを容姿のせいにする訳じゃありません。ですけど、わたしが生きづらい人生を送ってきたのはわたしの努力が足りないからとかそういうことじゃないって思うんです」


「努力?」


「はい。両親は子供の頃のわたしの顔を見て冷静にこう判断したようです。『教育を受けさせよう』と。意味、分かっていただけますよね?」


「はい」


「わたしも同学年の女の子の顔と自分の顔を見比べて自分で悟りました。『成績を落とす訳にはいかない』と。落としたらわたしに残るのはこの醜い顔だけになってしまう、って、ずっと緊張感の中で過ごしてきました」


僕はただ無言で頷く。


「でもタカイさん。わたしはその努力も限界だって気づいたんです。だって、この先わたしがずっと学業でトップでい続けることなんてできません。現に今のわたしの大学。みんな優秀で、自分のアタマの悪さを思い知らされてます」


「セエノさんも優秀でしょう」


「もしかしたら世間全体の相対的なモノサシで見たらそうかもしれません。でも、わたしのこの顔からそんなことを読み取れる人なんて普通いません。それに、わたし自身優秀な子たちに萎縮して、最近は学校に行っていないんです」


「自主休講、ってやつですか」


「そんないいもんじゃありません。単なる現実逃避です。わたしもバカじゃありませんから、いざ社会に出たら逃げ続けられないってことも分かってます。タカイさん」


「はい」


「わたしはどうすればいいんでしょう? わたしは、いつまで、どこまでこの努力を続ければいいんでしょう?」


僕は最初の内、言葉を探していた。この子の心の苦痛を少しでも柔らげてあげるための。


けれども、1分近い沈黙の中、それは無理だとようやく判断できた。


ならば、事実に基づくしか方法はなかった。


「セエノさんの身近にお年寄りはいますか」


「? いえ、いません」


「ならば・・・僕の大学の同級生のお父さんがやってる医療法人があって。そこはいわゆる『老人病院』と呼ばれるところなんですけどね」


「はい」


僕は守秘義務や個人情報よりも目の前の彼女を救うことを優先することにした。


「都内なので著名人が結構入院してるんですよ。セエノさんの歳なら『サカイダ レイ』って女優さん、辛うじて分かりますか?」


「えっと。確か『威嚇』っていう異常心理犯罪をテーマにしたドラマに出てましたよね。中学の頃に見てた記憶があります」


「ええ。捜査陣をまとめるクールな女性管理職の役でしたよね。あの当時彼女はもう65歳だったんですよ」


「え? もっと若いって思ってました」


「女優さんですからね。ルックスの維持には相当努力してたようです。でも、今70歳を過ぎて認知症で完全看護ですよ。僕は同級生に頼まれて老人性うつ病の問診を直接してきましたけど」


「あのきれいな人が・・・」


言うべきかどうしようか迷ったけれども、僕は決断した。


「彼女の顔は、今のセエノさんの顔よりも醜いです」


初めてセエノさんが僕の目を直視した。

そのまま時間が流れる。


僕は、耐えた。彼女と見つめあうこの時間を。

最後に動いたのは彼女だった。こわばった動きだけれども目元が緩み、そして、初めて口を大きく開け、不揃いな歯を見せて発音した。


「だから?」


ガン、という音を立てて僕の背中に衝撃が走った。


うつ病の患者さんが自殺しても動揺しなかった自分が、底知れず怯えているのがフィジカルに伝わってきた。


「サカイダ レイが認知症だろうと、わたしの悩みは解決しないですよね? もしかしてタカイさんはわたしに心の持ちようで辛くなくなるとでも言いたいんですか?」


醜い冷笑。


僕は腹の中でお前が言うな、という言葉を明確に持ってしまった自分を恥じた。

恥じたけれどもどうすることもできない。


それこそ、僕がいくら自分自身の心の持ちようを変えたところで、彼女の容姿を美しいと感じることは到底できなかった。


そんな彼女が、ふと、冷笑ではない笑みを最後に漏らした。少なくとも僕はそう捉えたかった。


「タカイさん。あなたって、嘘がつけないんですね。あなたも生きづらそうですね」


そう言って彼女は自分の伝票を持って立ち上がり、レジへと向かった。


僕を一瞥するようにちらっと見やった。


そのまま駅の方へ向かって歩いて行った。

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