09. 最後の花火

 午後の重労働を終えると、カイとマキの二人は丘を降り、一度海岸へと帰って来る。

 夕陽が半分ほど、水平線へ沈もうとしていた。


 海と丘陵地に挟まれ、南北に細く伸びたこの街も、かつては人口百万と少しの大きな港湾都市だった。

 人が減り、港の規模が縮小されていくにつれ、街は活気を失ってしまう。

 より大きな街への移住が進んだ結果、三十年ほど前には、数千人規模にまで落ち込んだ。


 以降、人が戻ることはなく、病気と老衰でジリジリと街は終焉へと向かう。

 一週間前、一人が亡くなり、残された定住者は五十歳を越したばかりのカイだけとなった。


 誰もいない街に、電源や補給物質を届けるのは無駄な労力を費やしてしまう。彼は街の閉鎖を訴え、そのためにマキが派遣された。


 彼女の乗って来た車に寄り掛かり、カイは次の予定を尋ねる。


「公共施設のシステムは、大方シャットダウンした。これで終わりか?」

「はい。残りは、配電システムだけです」


 街灯や警告灯は今も夜の街を照らしていたが、これらも今後は不要だろう。最早、訪問者すらいない街は、地図から抹消されるのだ。


 各地の街の閉鎖を担当するマキは、昨日ここへ到着してから、手際良く作業を進めた。

 自動販売の商店を閉じ、浄水場と上水道を停止させる。

 通信機以外の機器は全て本電源を切り、生体と熱源の反応が無くなったのを確認して回った。


 最後の目的地は、少し離れた電力制御ビルらしい。

 ここで全市のシャットダウンを街の内外に通達すると、一帯は人の踏み入らない土地として黒く塗り潰されるわけだ。


 二人は車に乗り込み、五分程度のドライブでビルへ向かう。

 車中、運転するマキを見て、口を開きかけたカイは、何も言わずに黙ってしまった。


「カイさん、何か問題があるなら、遠慮しないでくださいね。生存者が一人でも、街の閉鎖は中断できます」

「そうじゃない。ちょっと……考えただけだよ」


 何を考えたのか、と聞かれた彼は、暫く口篭ってからポツリと一言答える。


「花火だ」


 無言で助手席を窺う視線に促されて、ようやく言葉が続けられた。


「妻と約束してたんだ。結局、間に合わなかったけど」

「ああ、それで……」


 死期を悟った妻は、花火を見たいと彼に頼んだ。

 どうせなら、今日、この夜にという願いを果たせないまま、彼女は先に逝ってしまう。


「補給物質の配送場所に、届いてましたよ」

「知ってる。私が頼んだのだから。もう必要無いと思ったんだが……」

「取りに行きましょう」


 大胆に車線をはみ出てUターンしたマキは、配送場所へ針路を変更した。

 港近くに設けられた配送場所は、投下ポイントの円いマークの描かれた平地と、隣接する倉庫で構成されている。

 上空から落とされた最新の配送物は、倉庫内に運ばれはしたものの、封を切らずに放置されたままだった。


 倉庫に車を横付けしたマキは、中に入って荷物の一つに近付き、伝票を確認する。


「これがそうね。玩具花火、よくまだあったものだわ」

「遊ぶ子供も減ったからな。相当苦労して、昔の在庫を探してくれたんだろ」


 梱包を解き、中から目的の袋を取り出すと、彼女は真空包装のパッケージを破り開けた。

 小さな手持ち花火は、全部で二十本くらい。


 花火はカイが、別梱包の着火剤はマキが車へ運び、一先ず電力のシャットダウンを済ませることにした。


 作業自体はカイが手伝えるものではなく、ビルへ入って行く彼女を見送ると、外で港町を眺めて時間を潰す。

 電力制御センターのビルは、やや小高い場所に建っているため、街路と港湾施設が眼下に見渡せた。


 光点が南北に破線を描き、埠頭の突端には赤いランプが並ぶ。

 すっかり日は暮れてしまい、茫洋とした海は、暗く判然としない。月明かりも無く、波の音だけが規則正しく聞こえてくる。


 やがて北の端から順に、明かりが消えていった。

 道路が闇に溶け、次に港が海に混じる。


 ――意外に何も思わないものだな。


 街の終幕を見届けた彼の元へ、ライトを持ったマキが静かに帰って来た。


「花火はどこで?」

「丘がいい。昼の丘の上に行ってくれ」


 なぜ花火をしたがったのか、彼女は尋ねるつもりはなかったのだが、移動する車の中で彼は自分から話し始めた。


「私は大して覚えちゃいなかった。プロポーズした日を忘れたのかって、妻に叱られたよ」

「それが今日の日付なんですね?」

「三十年近く前だよ。港で花火大会が開かれた最後の年だ」


 既に人が少なかった頃の話であり、花火大会と言ってもささやかな規模だったと言う。

 海岸で打ち上げ花火を鑑賞した際に婚約して、二日後には式を挙げた。

 若い夫婦は街の皆に祝福されたものの、彼らより年下の世代が誕生することは、遂になかったのだった。


 花火は寄り添ってくれた妻への手向けだと、丘の上に着いた彼は語る。

 暗闇の中、ライトの光を頼りに小枝を集めたマキは、着火剤を振り掛けて小さな焚火をこしらえた。

 カイは花火の半分を彼女へ渡し、一緒に点けてくれるように頼む。


「花火大会には、ショボくれ過ぎだがね」

「そうでもありませんよ。ほら」


 散り始めた火花を見て、マキは感心したように言った。七色に変化する火の粉は、なかなかに美しい。


 その後は無言で、十本ずつの花火を消化する。

 全てを点け終われば、彼らを照らす明かりは焚火だけだ。


 火の前に座ったカイは、黒い海へと顔を向けた。


「打ち上げ花火は、大きかったよ。海の上でパーッと開いて――」


 言葉を切った彼の顔へ、マキが振り向く。


「カイさん?」

「花火だ。見えたよ、綺麗な大輪の花火だ」


 満足そうに、彼は何度も頷いた。焚火の照明では心許ないが、彼の目尻から液体が流れ落ちるのを見て取れる。


 赤い液体――カイの目の血管が破裂したのだと、マキは気付いた。

 妻と同じ、最後の症状だ。


「納得したよ。後は頼む」

「ええ」


 機械であるマキに、彼が何を思って最期を迎えたのかは窺い知れず、本当に納得したのか、それすらも判断し難い。

 尤も、機械でなくとも難しいだろうが。


 ゴロンと横になったカイを、彼女は声も掛けずにただじっと見守った。


 夜を徹し、陽が顔を覗かせる頃、マキは冷たくなった彼の体を抱え上げる。

 二人で掘った大きな穴へカイを下ろし、土を掛けて表面を均した。墓標は昨日の内から立っている。


 二つ並んだネームプレートは、朝日を鈍く反射していた。


 燻る焚火を踏み消したマキは車に乗り込むと、二人が眠る丘を背に、次の街へとアクセルを踏んだ。

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