Ophiuchus (Web Edit)
ひざのうらはやお/新津意次
Ep.1 断罪者の矜持
プロローグ 邪教の蛮族たち 1
山間の小さな参道を、一人の男が、遠目に見ても規則正しいとわかるほど単調に歩いている。背丈は、四クローム半には少し足りないくらいで、軍人としてはほんの少しだけ小柄だろうか。短く切りそろえられた黒髪に銀縁の眼鏡が光り、群青色のギルハンス帝国陸軍の下士官服には皺一つなく、胸元には銀の下地で星がひとつの徽章と、黒地に白い星が二つの徽章が並んでいる。
ひときわ目立つのが、腰に下がっている長剣だ。幅が二と三分の一フィンもある特注の刀身と、その柄に散りばめられた、青と緑と黄色の魔石を用いた物理魔術回路が禍々しくも引きつけられるような美しさを放っていた。
男が向かう山の頂上には、白く磨かれたような巨大な神殿が鎮座している。
ルーヴェル山脈のほぼ中心にあるという極めて厳しい地にあるそれは、神々しい輝きを放ちながらも、どこか寒々しく彼を睥睨していた。
参道の勾配が少し緩やかになると、周囲の林が開け、前には巨大な兵装機巧が、横向きに道を塞いでいた。
機巧は、箱型の上質な魔導鋼の装甲に覆われており、高さはおよそ一リース半、長さは七リース、幅は三リースほどで、装甲の上に砲塔が置かれており、フィン砲が男の方向を向いていた。足下には横向きの履帯が装甲の下に隠されていて、最高速度は毎時四五フォーン程度だろうと思われる。
これほどまでに細かく寸法や詳細がたちどころに記述できるのは、兵装機巧(通常は略して兵機と呼ばれる)が、ギルハンス帝国の制式重型小兵機そのものであったからである。当然、その使い手は正規軍の人間ではない。
彼は悠然と立ち止まり、腰に提げていた羊皮紙を広げて、書かれている文言を読み上げた。
「エンタウルスの民よ、これは最終通告である。
貴殿らは機巧魔術規正法第一五二条七項の三、およびその他十数項に渡り重大な帝国法規の違反を犯した。今この時点で、違反を犯したことを認め、抵抗する意思を放棄したと認められた場合は、罪の執行猶予等の緊急措置の対象となることをここに宣言する。機巧魔術捜査課アルベール・アクウォス正尉。
この宣言が終了する前に貴殿等が抵抗する、もしくは宣言終了後しかるべき猶予を待っても抵抗する意思を放棄しない場合は、私以下五名の機巧魔術捜査官が直ちに罪の執行を行うものとする。以上!」
途中何度かフィン砲の砲撃が入ったが、彼の展開する魔術障壁はその程度で瓦解するような代物ではなく、その圧倒的な兵力を数発で理解した敵は、アクウォスの宣言が終わる前に兵機を正面へ向けなおした。
だが、結論から述べると、彼らの行動は明らかに愚かであった。
「五発の砲撃。うち三発が有効範囲内。以上の事実により、機巧魔術規正法施行令第三五一条一項の二に記されている通り、終代皇帝レティスバード・ギルハンスの名の下に代執行を実施する!」
アクウォスは極めて早口で宣言すると、腰の長剣を抜き、十リースほどの距離を二歩で縮め、兵機の正面から砲塔を斬り上げた。
縦に真っ二つに割れた砲塔から、エンタウルスの若き僧兵が驚愕の表情で彼を見つめる。彼が掲げた黄金色に輝く長剣の刀身に尋常でない魔力が集中している――戦闘経験が決して豊富ではない彼らには、その程度のことしか理解できなかった。
次の瞬間。
ぶおん。
アクウォスの振り下ろしと同時に、鈍い爆裂音と強烈な光が辺りを完膚なきまでに破壊した。装甲は紙束のように裂かれ、木々はたちまち灰となり、山の地肌は球状に数クロームほど凹んだ。
兵機の残骸に降り立ったアクウォスは、周囲に敵が残存しないことを確認する。
「――さて、問題はここからだ」
ほんの少しずり落ちた眼鏡を右手の中指で押し戻し、アクウォスはそうつぶやきながら、
{こちらアクウォス。第一関門にて代執行を実施。繰り返す、第一関門にて代執行を実施。以降、エンタウルスの民全員を代執行の対象とする。――始動せよ}
と、共鳴石に呼びかけた。
{ブラヴィア、了解。これより封鎖区間に入る}
甲高い少年のような声が入った。
{イグーロス、了解。これより甲地点から飛翔を開始}
こちらは重苦しい男性の声。
アクウォスは無表情で共鳴を切った。
「頼むぞ」
祈りとも呆れともつかない声で呟きながら、アクウォスは剣を納め、さらに上を目指した。
「あんにゃろ、まーた派手にやりやがった」
かなり下の方に起きた爆発を見て、ルースは大きなため息をついて俯く。いくら聞こえていないとは言え、自分の上官を「あんにゃろ」呼ばわりするのは、数万人単位の帝国軍人でも彼だけであろう。
目の覚めるような金色の髪の毛と深い緑色の瞳の持ち主は帝国では非常に少ないこともあり、ルース・ブラヴィア主査は帝国軍の上層部からもかなり目を付けられている。アクウォスからまるで出来の悪い生徒のように注意される彼を思い浮かべながら、傍らのフェムトは忍び笑いせざるを得なかった。
「目立ちたがり屋かよ」
「陽動作戦じゃないの?」
フェムトの問いかけに、ルースは一瞬、紅に染まった瞳を見つめた後、
「そんなまどろっこしいこと、考えねえよ」
と笑った。
「容赦ないね」
フェムトは淡々とそう言って、辺りを冷静に見回した。
彼らは山間の神殿のすぐ裏の林の木の上に隠れている。ここから一歩でも神殿に近づけば、「封鎖区間」――魔術が一切通用しない空間――というぎりぎりの場所だ。
「にしても、これで始まりってわけだ」
「だな」
ルースは共鳴石を握りしめ、
{ブラヴィア、了解。これより封鎖区間に入る}
と一言で共鳴を切ると、フェムトに手渡した。
「あとは、頼んだ」
「こちらこそ」
四クロームぎりぎりの小柄な身体は、みるみるうちにフェムトのもとを離れ、神殿の壁をがりがりと登っていき、中に消えていった。
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